寮生は姫君がお好き81_悪夢の始まり

うす暗闇の中、前方に目を凝らすと周囲の暗闇よりもなお濃い闇が浮かび上がった。
漂ってくる生臭い匂いに錆兎は太めの眉を不快げに寄せて、鼻にシワを寄せる。

鬼というものが本当に実在したのかは昔のことすぎてわからないが、彼の実家は平安時代に貴人に仕えて鬼退治をしたと伝えられる4人の有名な武家の筆頭の血筋である。

そのせいかはわからないが、彼は非常に優れた五感の持ち主だ。

だが今回はそんな風に優れた五感ではなくとも容易に判断が出来る。

獣のような息遣い。
それに伴って漂ってくる生臭い匂い。

それは時間の経ったものからつい先程ついたようなものまで様々な、しかしいずれも人の血の匂いだ。
その匂いは、前方に見える全体的に濃い緑色をした人型の得体のしれない何かから漂ってくる。
その顔にあるそこだけ赤い口から覗く牙と、そして異様に長い4本の手には、こびりついた血と肉片が見えた。

本当にそれは判断するには十分すぎる情報である。

これは…危険だ…

護身術という枠を超えた体術を身につけてる錆兎ですら、戦うことはためらわれる。
近づくとピリピリと緊張が身に走った。

逃げろ、逃げろ、逃げ切れっ!!
…でないと…死ぬぞっ!!



責務のための死を恐れるな。
だが、安易な死によって責務を達成できない事態になることは大いに恐れるべし。

そう育っている錆兎にとって、ここでの死は後者にあたる。
彼は自身に託されている大切な大切な自寮の姫君を守らなければならないし、そのためにここは生きねばならない。
置かれた状況が死ぬほど厄介だとしても、生きねばならないのである。

構える手。
その手に持っている竹刀が役に立たないことを錆兎は何故か知っている。

それでも低い体勢から宙へと飛び上がり、自分より遥かに高い位置にある頭の眉間のあたり、人であれば急所になる部分にそれを突き入れた。

グシャリ…と、嫌な感覚が手に伝わるが、相手の生命活動が停まる気配はない。

錆兎が相手の頭に食い込んだ竹刀でバランスを取って足を振り上げ、握ったそれで身体を支えるような状態で相手の両肩を思い切り突き飛ばすように蹴りを入れれば、相手は衝撃で吹き飛ばされて、数メートル先の木に激突する。

それでおかしな方向に曲がった手足にしばらく立ち上がれずに居る相手を確認する間も惜しんで錆兎は逃げ出した。

逃げろ、逃げろ、逃げろ…
日が昇るまでなんとか逃げきれっ!!

……っ!!!!





──あれ…?…あ~、夢か…

すでに日は昇っていて…しかし錆兎がいるのは危険な見知らぬ場所ではなく、よく見知った寮の自室のベッドの中だった。

どうやら夢を見ていたらしい。
ベッドから飛び起きた錆兎は両手で顔を覆って、はぁ~と息を吐き出した。

背中にぐっしょりと汗をかいていたので、寝間着を脱いでそれで身体を拭くと、上半身裸のまま浴室へ。
熱いシャワーを浴びてようやく気分が落ち着いた。


そうしてスッキリしたところでキッチンへ。
決して暇なわけでもない錆兎がそれでもバランスとカロリーを考えた食事を作るのは、小食な上に栄養が偏りがちな大切な姫君の健康管理のためである。

もちろん栄養バランスが良ければそれでいいかと言えばそうではなくて、大切な相手だけに好みに合う美味い物を食わせてやりたいのが人情というものだ。

見目麗しく食べやすく、そして美味くて栄養のある食事を、錆兎は日々研究する。
全部の学生の食事を一手に賄う食堂のシェフに、毎日自寮の姫君にとって最高であるようなそんな食事を用意しろと言うのはさすがに無理なので、こうして自分でとなるのであった。


いつもの朝。
いや、そう言えば昨日の夜、少々忙しくて義勇が急ぎではないが話したいことがあるというのをでは後日に…と、流してしまったので、今日は話をする時間が取れるように、手で食べられるサンドウィッチと手軽に野菜を摂れるスムージーにした。

そして毎日目覚まし代わりに淹れる紅茶を持って寝室へ。

ベッドですやすやと眠っている自寮の姫君が世界一可愛いのはこれも当たり前に毎日のことだ。

──姫さん、…ぎゆう、朝だぞ

ベッドに埋もれるようにして横たわっている小さな頭に少し唇を寄せて小さくささやくと、最初の頃は飛び起きていたのだが、最近は慣れたのか、いやいやと言った感じに小さく首を横に振る。

そんな様子もとても可愛い。
自寮の姫君である義勇は可愛いの塊だ。

錆兎はベッドサイドの小テーブルに紅茶のカップを置くと、
「ほら、昨晩に何か話があると言ってただろう?
話してくれないのか?」
と、背に腕を回して半身を起こさせる。

「…あ……そうだった…」
と、目をこすりこすりして、それでも眠いのか、半身起こした身体をコテンと錆兎に預ける義勇。

それに小さく笑いながらも
「ほら、これを飲んで目を覚ませ」
と、錆兎がカップを渡してやると、──ありがと…と、それを受け取り、両手でカップを持ってコクコクと飲み干す。

そんな仕草が本当に小動物のように可愛らしすぎて抱え込みたくて仕方が無くなってしまうのだが、相手は姫君。
寮生全員の神輿なので、そこをグッと我慢して、錆兎は
「じゃ、着替えて来いよ?」
と、空になったカップを手にキッチンへと戻った。


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2 件のコメント :

  1. 義勇さんが飲むモーニングティーは何故かミルクティーのイメージが有る( ^ー^)_cU~~
    そして誤変換報告です。一番最初の五感が五館に…(;^ω^)ご確認ください。

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    1. 確かに…柔らかい感じのモノ飲んでそうですよね>ミルクティ☕
      何故直後はちゃんと五感なのにそこだけ五館にしたんだか、自分😅
      ごほうこくありがとうございます。
      修正しました。

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