──さびと…
──はいはい、おかわりな。
──さびとぉ…
──お前の湯呑みはこっち。好きに飲め。
──さびとっ…
──醤油はこっちだ。あ~…お前はまた口に食べかすつけて…取ってやるからジッとしていろ
いつもの通りの食事風景だ。
義勇は鮭大根を美味しそうに頬張って、おかわりをして、錆兎が淹れて猫舌の義勇が即飲めるように少し冷ましてやったお茶を普通に飲む。
ポロポロこぼしながら食べるのも相変わらずだし、記憶がないはずなのに声音だけで錆兎に色々要求してくる。
まあそれはそれをいちいちわかって面倒をみてしまう錆兎のせいなのだが…
さて…本当に物理的には問題はないな…と改めて実感したものの、それは日常生活においてのみだ。
鬼狩りとなれば、少しの違和感が生死を分ける危険性がないとは言えない。
そしてこればかりはやってみると言うには危険すぎる。
本当なら速やかに花屋敷に行って状態を見てもらうのが正しいのだろうが、錆兎は躊躇した。
今、義勇に記憶がないということは、錆兎が言う事が全てであり、錆兎が出ろと言わなければ鬼狩りに参加することもない。
記憶がある義勇にそれを言ったら侮辱だと怒られるかもしれないが、義勇はあまり戦いの場に身を置くことに向いていないと思うし、似合わないと思うし、戦いに出したくないと錆兎は内心思っていた。
そりゃあ義勇だって男として生まれたからには自らの手で家族を殺した鬼を一体でも多く倒したいだろうが、もともとは争うことが苦手なとても気が優しい少年なのだ。
今こうしてすべての記憶を失くしてほわほわ笑っているのを見ると、もう、このままでいいんじゃないかと思ってしまう。
生活なら錆兎は柱なので義勇の一人くらい余裕で養えるし、貯えも出来たし、錆兎に何かあったとしてもその貯えがあれば義勇が細々暮らしていくくらいはできるだろう。
なんなら狭霧山の先生の元に戻ったっていい。
記憶が戻るまではこのままにしてしまおうか…と、ふとそんな考えが脳裏をよぎった。
今日は錆兎が作ったが、鱗滝先生の所では慣れてからは家事は当番制なので、義勇も普通に家事全般は出来る。
だから、このまま任務に就かせることをせず、継子は剣技を学びながら師匠の身の周りの世話をするものだとか教えてしまおうか…。
記憶が戻ったら大激怒されるかもしれないが、正直、本当はずっとそうしたいと思っていた。
なにしろ家族全員を殺されて鱗滝先生の元へと引き取られた錆兎には、もう家族と呼べるのが先生と真菰と義勇しかいない。
その中でも、先生はお年でもあるし、狭霧山に住んでいて、真菰は自分自身の道を歩んでいる。
だから錆兎が一緒に居られるのは義勇だけなのだ。
それがまた鬼に殺されてしまったら立ち直れない。
男として情けないとは思うが、本当に生きていける気がしないのだ。
だから…義勇は安全な場所で自分を待っていて欲しい。
ずるいとは思うが、その代わりに自分が死んでも義勇が苦労しないくらいのものは残すから…
ずっと言いたくて、言ったらおそらく義勇に嫌がられて離れていかれるんじゃないかと思うと言えなくて、現在まで来てしまったそんな願望。
それを叶えられるのなら…と、魔が差した。
本当に魔が差してしまったのだ。
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