朝、満員電車で錆兎はため息をつく。
毎朝の通学時の事とは言え、この混み具合はやはり慣れる事はない。
ふと隣のホームに目を向ければ、都会方面から住宅地に向かう列車が止まっていて、その空き具合が羨ましく思えた。
学生のうちはそこまでそういう目で見られる事も少ないが、混んでいてやむを得なく隣り合った女性に手が当たったりした日には、下手すれば痴漢の冤罪をかけられかねない。
だから錆兎はいつも鞄を肩からかけた上で、両手で一つの手すりにつかまるようにしている。
本当に…女性専用列車に文句を言う男もいるが、錆兎からすれば痴漢の冤罪から男を救うためにもどんどん作って欲しいと思う。
むしろ自分達男性の方を隔離してくれてもOKなくらいだ。
錆兎の通うこの路線は最近随分と痴漢が多いらしく、先日も従姉妹の真菰がそんな話をしていた。
が、痴漢にあって相手の腕に関節技を決めて駅員に突き出したという真菰は論外としても、安全ピンを手に突き刺しただの、ちょうど良い位置にあった固い鞄を思い切り股間にぶつけてやっただの、おいおい、過剰防衛という言葉は?とか、それ、万が一人違いだったらとか、冤罪だったとか言う場合は?とか、心配になるほど、女性陣は怖い。
よくドラマや漫画にあるように、痴漢にあって羞恥と恐怖で抵抗も出来ずに俯いて耐える…みたいな子は絶滅したのだろうか…。
それともああいうのは所詮フィクションか?
別に女性を蔑視するわけではないし、強い女性も出来る女性も嫌いではないし、友人としては好ましいとは思うモノの、恋愛的な好みと言う事でいえば、錆兎は守ってあげたくなるような小さくてか弱い、いわゆる昔から言われているような女の子っぽい女の子が好みだった。
それは単に錆兎が自分の事はたいてい自分で出来るし、自分と同じような人間なら2人は要らない、むしろ自分は労力その他を提供し、相手からはメンタル的な癒しが欲しいと思うからで、それでギブアンドテイクというだけのことだ。
つまりそれがいわゆる錆兎個人の性癖というだけで、他人に強要するつもりもない。
そういう関係を差別だと受け取るタイプは単に自分には向かない。
完全に同じ事を協力してやりたいという相手と一緒に居れば良いのだとおもう。
ということで、理想の恋人像を胸に幾星霜。
親の仕事上の付き合いで女性をエスコートする機会くらいはなくはなかったが、運命の恋人は現れないまま、彼女居ない歴を重ねて高校2年生。
告白されても告白されても断り続ける錆兎を心配した小学校からの同級生である悪友天元に、ついに強引に女の子とのデートのセッティングをされてしまった。
錆兎に断られるのは想定の範囲内だったらしく、
『相手の子にもう言ってOKもらっちまったからな。
少し男が苦手な子なんだよ。
そんな子にOKもらって会う前に断られたとか言ったら一生傷ひきずっちまうと思うし、頼むわっ!!』
と、断れば相手が非常に傷つくのだと言う事を前面に出すのが汚い。
天元の幼馴染で、名門ミッション学校の高等部1年。
中学では風紀委員長、高校では1年にして生徒会会計を務めている学年トップの成績の優等生。
そして男が苦手……
(いや、これ苦手じゃなくて、男嫌いってやつじゃないのか?)
と、錆兎は秘かに思う。
脳内に浮かぶのは銀縁眼鏡か何かのきつそうな顔立ちの美人。
正直…錆兎の好みからはかけ離れているのだが、どうやって断ろうか…。
はぁ~と、今日も吊革につかまって代わり映えのない窓の外の景色が流れていくのを見ながら、錆兎はため息をついた。
会う前より会ったあとのほうが断るのってハードル高いんじゃないか?
むしろ自分の側には拒否権を与えないつもりか?
成績は良い、コミュニケーション能力だって低くはない錆兎だが、こと恋愛に関してはそんな風に理想を胸に秘め続けて来たため経験がなく、どちらかと言うと苦手な方だ。
(あ~、くそっ!いざとなったら土下座か?)
と、半ばやけくそにそんな事を考えていた時、ガタっと大きく揺れて止まる電車。
そして聞こえるアナウンス。
『ただいま線路内で不審物を発見。確認のため列車をしばらく停止いたします。
皆様お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけします』
(勘弁してくれっ!!!)
ざわつく電車内。
ああ、本当についてないと錆兎も肩を落とす。
流れが止まる景色。
どのくらい停車しているのかはわからないが、とりあえず長くなるなら本でも出したいところだが……
周りが女性だと手を降ろすのは危険だ…と、錆兎は自分の周囲を見回して、そこでドア近くの手すりにつかまっている女の子に気付いた。
(…泣いて…る?)
真っ青な顔で目を潤ませているのが気になって
「あんた、大丈夫か?気分でも悪いのか?」
と、半ば強引に人1人分くらいかきわけて近づいていくと、彼女は涙でいっぱいになった目で錆兎を見あげた。
…か、可愛い……
思わずぽかんと見惚れてしまう。
小さな顔、真っ白な肌。
涙にぬれて輝く睫毛は驚くほど長くて、森の奥深くでひっそりと水をたたえる泉のような色合いの青い目は、本当にまんまるで子猫のようだ。
そして…震える小さな桜色の唇…。
いかにもお嬢様学校と言った感じの制服に包まれた身体はどこまでの華奢で頼りない。
そして…泣いている。
何故……と、言う疑問は、人ごみをかきわけて錆兎が近づいた事で、逆に人ごみをかきわけて慌てて遠のいていく男の存在でなんとなく想像できた。
(…あいつ…もしかして、ちかんか?)
と、一応間違っていたらまずいので、すぐ目の前まで辿りついた少女に小声で確認を取ると、少女は震えながらコクコクと頷く。
そんなやりとりの間もポロポロと泣き続ける少女に、錆兎は
「ちょっとごめんな?上着のポケットから物出すだけだから大丈夫だからな?」
と、手を動かす事をあらかじめ伝えて、ブレザーのポケットからハンカチを出すと、
「これ…使えよ」
と、涙が止まらない少女の目元にあててやる。
そうしておいて、錆兎は少女を自分の腕の中に引き寄せてガードしながら、
「ちょっとすみません。通して下さい。
気分悪くなった人間いるので」
と、ドアの所に。
そしてドアを背に彼女を立たせて、自分はその両側に腕をついて若干の空間を作ってやって言った。
「ごめんな。本当は座席譲ってもらえたら良いんだけど、この状況では難しそうだからな。
でもこうやってたら変な奴はこないから。
もう少し辛抱できるか?」
その言葉に彼女はそれでなくとも大きな目を零れ落ちそうなくらい大きく見開いて、ぽろんと涙を一雫。
それから少し俯いて、恥ずかしそうに小さな小さな声で
「…ありがとう…ございます…」
と、言った。
ずきん…と、胸のどこかが締め付けられるような、痛むような…
何かすとんと落ちたような…そんな気分。
そう…錆兎はあとからこの時のこの状況を知る。
つまり…恋はするモノではなく、落ちるモノ…そういうことである。
0 件のコメント :
コメントを投稿