動き出した。
ぺこりとお辞儀をする彼女に、
「1人で大丈夫か?」
と、声をかけると、そこで彼女は初めてふわりと微笑んだ。
まるで朝露に濡れた蕾が花開いていくような愛らしい笑み。
「はい。…い…兄と駅のホームで待ち合わせているので…」
と言う彼女。
そして
「……?」
さっきの痴漢野郎とか別の変な奴とか来たら怖いだろ」
不思議そうに振り向く彼女と並んで歩きながら、錆兎が言うと、彼女はポカンと口を開けて呆けたあと、
「あ、ありがとうございますっ」
と、真っ赤になって俯いた。
お嬢様だから…なのだろうか…。
それとも人見知りなのだろうか…。
別に怯えられているとか、警戒されているとか、そんな感じはしないのだが、一緒に歩いていても随分と雰囲気がぎこちない。
彼女に歩調を合わせて随分とゆっくり歩いているつもりなのだが、気をつけないと置いていきそうだ。
「あのさ…もしかして人見知りだったりするか?
兄貴いるって事は、男ダメとか言う事もないだろうし…」
と言うと、彼女はビクッと身をすくませて
「ご、ごめんなさいっ…」
と、オロオロと動揺するので、あ~悪いこと言っちまったか?と言う気分になって、錆兎は
「ああ、別に不快とかじゃなくてな。
人多いしあんまり離れて歩いてるとはぐれたら困るだろ?
だから、ほら、どうぞ?
お姫さんの方から掴まるだけだったら、嫌になったらすぐ放して距離とれるから」
さっきあんな事があったばかりだし、知らない男が怖いのは当たり前だ。
だから錆兎の方からは触れない。
飽くまではぐれないために彼女の方から彼女のタイミングで掴まってもらえば良い。
そう思って提案すると、彼女は
「…ありがとう…ございます…」
と、少しはにかんだように微笑んで、小さな手をちょこんと錆兎の肘に置いた。
飽くまで表情には出さないが、そんな反応にいちいち胸がドキドキする。
それでいてそれが決して不快ではなく、むしろ楽しい気分なのが不思議だ。
本当に感動モノだ…と思う。
ふわふわとして小さくて、人形のように綺麗だが冷たさがなく、雰囲気としてはむしろ小動物…いや、天使!そう、天使だっ!!
重さをまるで感じない軽やかな足取り。
ふわりと香る良い匂い。
待ち合わせの場所につくと、おそらく同じ学校なのだろう。
対になるような色合いの制服を着た線の細い少年が立っていた。
「アオイっ!どうしたのっ?!」
と、駆け寄ってくる声はまだ声変わり前のソレで、背も妹とたいして変わらない。
おそらく中学生くらいか。
そっくりとまではいかないまでも、一目で兄妹とわかるような似た顔立ちをしているが、やはりそこは性差なのだろう。
優しい面立ちの妹よりも意思の強さを感じさせるシャープな顔立ちをしていた。
「あなたは?」
と、自分より背の高い錆兎に臆することなく、見あげてくる視線は鋭くキツイ。
涙が残る顔で見知らぬ男に連れて来られた可愛い妹…という図式なら、それは実に正しい感情だろう…と、錆兎も思う。
そこで少女をゆっくりと兄の方にうながしてやると、少女の方が慌てて今にも喧嘩を吹っ掛けて来そうな兄を制して言った。
「アオ…っ……義勇違うっ!
この人は…その…助けてくれて……心配して送ってくれた良い人で……」
恥ずかしがり屋のようだし、自分で性的な被害は口にしにくいのだろう。
最後はごにょごにょっと小さくなる声に、錆兎は一応、と、自分で説明をする事にした。
「あのな、彼女、電車で痴漢にあって泣きそうだったから保護して、痴漢自体は逃げてしまったから、ここまで来るまでにまた粘着されたりしたら危ないし、送って来たんだ。
俺、これから学校だから、もう行くな?
じゃ、2人とも気をつけてな~」
と、簡単に説明を終えると、ヒラヒラと手を振って元来た道を急ぐ。
錆兎は割合と余裕を持って自宅を出る方だが、今日は少々時間を取られすぎた。
遅延証明がでるほどの遅れではなかったので、急がないとさすがに遅刻する。
二段飛ばしで駅の階段を登っている時にチラリと視線を下に向けると、先ほどの兄妹がぺこりと揃ってお辞儀をしてきた。
それに笑って手を振って、錆兎は今度こそダッシュで階段を駆け抜け、ホームへと駆け込んだ。
そうしてすぐ来た電車に飛び乗って、学校の最寄り駅についたら学校まではダッシュ。
かろうじて遅刻を免れて、教室に飛び込むと、今日は珍しく揃って遅刻せずにいる悪友達。
「錆兎、お前がぎりぎりたぁ珍しいなぁ」
と、悪友の1人不死川が言えば、
「あ、もしかして俺が彼女紹介するとか言ったから、昨晩眠れなかったとかか?
お前、モテるわりにほんっとに女っ気なかったもんなぁ。
ほんと今度紹介する子、すごい美人だから期待していいぜ?」
と、にやにやと言う天元。
それに
「ちがうっ!!」
と、返しつつ、その言葉で例の約束を思い出す。
ああ、そう言えば女の子と会う約束してしまったんだったか…と考えると、ふと浮かぶ今日の少女。
名前すらきかなかった…。
いや、出会いがアレだから、下ごころあるように感じて怖がらせるんじゃ…と思えばきけなかった。
でも…聞きたかったな…。
可愛かった。
まあきいたところで、男苦手そうだし、あんな事があったら余計に苦手になっただろうし、また会う機会なんて作れはしないんだろうが……
そう思うとズキズキと痛む胸。
「…錆兎?」
と、急に黙りこんで俯く錆兎の顔を左右から覗き込む悪友達。
「…どうしたんだぁ?
もしかして体調悪いのか?保健室行くかぁ?」
と、右側から不死川が
「どうしたんだよ?
あのな、例の子のことなら、多少ポカしても俺のお隣さんだしフォロー入れてやるから緊張し過ぎないでも大丈夫だぜ?」
と、左側から天元が言うのもスルーで、錆兎は黙って教科書を取りだして机に広げた。
(これは…会ったらまず土下座だな……)
たぶん自分はあの子を好きになったんだ…と、錆兎は今更ながらに自覚した。
天元の幼馴染に関しては、すでにその気はないと意思表示をした上で、それでも会うだけでもと言われているわけだし、約束はすでに明日に迫っているので会うしかないが、好きな相手がいるのに付き合うのはあまりに不誠実なので、相手の子には正直に言って怒られようと思う。
(フォローは自分がするって、こいつたった今明言したしな…)
と、ちらりと天元を見てため息。
…ああ…これが、あの子とのデートの約束だったら、楽しかったんだけどな…
その日は授業も上の空。
そんな事を考えながらため息をついているうちに一日が過ぎていった。
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