寮生はプリンセスがお好き8章_01_招待状


うす暗闇の中、前方に目を凝らすと周囲の暗闇よりもなお濃い闇が浮かび上がった。
漂ってくる生臭い匂いに香は太い眉を不快げに寄せて、鼻にシワを寄せる。

彼は非常に優れた五感の持ち主だ。

だが今回はそんな風に優れた五感ではなくとも判断が出来る。

獣のような息遣い。
それに伴って漂ってくる生臭い匂い。

それは時間の経ったものからつい先程ついたようなものまで様々な、しかしいずれも人の血の匂いで、全体的に濃い緑をした人型の得体のしれない何かの顔にある、そこだけ赤い口から覗く牙と、そして異様に長い4本の手にこびりついた血と肉片

本当にそれは判断するには十分すぎる情報である。

これは…危険だ…

護身術という枠を超えた体術を身につけてる香ですら、戦うことはためらわれる。
近づくとピリピリと緊張が身に走った。

逃げろ、逃げろ、逃げ切れっ!!
…でないと…死ぬぞっ!!



責務のための死を恐れるな。
だが、安易な死によって責務を達成できない事態になることは大いに恐れるべし。

そう育っている香にとって、ここでの死は後者にあたる。
例え不本意だろうとなんだろうと、香に託された以上、彼は頭首の盟友の遺児を守らなければならないし、そのためにここは生きねばならない。
置かれた状況が死ぬほど厄介だとしても、生きねばならないのである。

構える棍。
だがそれが役に立たないことを香は何故か知っている。

それでも低い体制から宙へと飛び上がり、自分より遥かに高い位置にある頭の眉間のあたり、人であれば急所になる部分にそれを突き入れた。

グシャリと、嫌な感覚が手に伝わるが、相手の生命活動が停まる気配はない。

香が相手の頭に食い込んだ棍でバランスを取って足を振り上げ、握った棍で身体を支えるような状態で相手の両肩を思い切り突き飛ばすように蹴りを入れれば、相手は衝撃で吹き飛ばされて、数メートル先の木に激突する。

それでおかしな方向に曲がった手足にしばらく立ち上がれずに居る相手を確認する間も惜しんで香は逃げ出した。

逃げろ、逃げろ、逃げろ
日が昇るまでなんとか逃げきれっ!!

……っ!!!!





──あれあ~、夢かぁ

すでに日は昇っていてしかし香がいるのは危険な見知らぬ場所ではなく、よく見知った寮の自室のベッドの中だった。

どうやら夢を見ていたらしい。
ベッドから飛び起きた香は両手で顔を覆って、はぁ~と息を吐き出した。

背中にぐっしょりと汗をかいていたので、寝間着代わりのTシャツを脱いでそれで身体を拭くと、上半身裸のまま浴室へ。
熱いシャワーを浴びてようやく気分が落ち着いた。


そうしてスッキリしたところでキッチンへ。
決して暇なわけでもない香がそれでもバランスとカロリーを考えた食事を作るのは、彼らの一族のボスである王の養い子の健康管理兼ダイエットのためである。

そう、養い子のアルフレッドはとにかく食べる。
そして太る。
それはもうムチムチと。

普通ならまあそれも個性と放置するのもいいと思う。
だが、彼は金狼寮のプリンセスだ。

行事のたびにそれを抱える香からすると、せめて体重を20キロ落としてくれと思う。

金狼寮と同じ一年で構成されて対になる隣の銀狼寮のプリンセスなんて、おそらくアルフレッドの半分くらいの体重しかないんじゃないだろうか。
とにかく小ちゃくて愛らしい。

まあ別に自分にとって愛らしくなくても香は全く構わないのだが、寮としては困る。
素敵なプリンセスを戴いてそれを守るというのが、この学校では勉強以上に求められるのだから。

王の配下の家系である以上、自分がおかしな成績を取れないのはもちろんだが、それ以上にボスの養い子におかしな成績を取らせるわけにはいかない。

だからその道は困難であろうと、彼を少しはプリンセスらしいプリンセスにしなければならないし、自分もそれをお守りする寮生の筆頭であらねばならないのだ。

それにはまずは外見から。
すなわちウェイトを落とすところから始めなければならない。

だがまあ、それでもそれは可能な限り食事管理をする理由としては、割合と平和的な方の事情だ。
もう一つの事情はもっと重い。

現在香が護衛しているその養い子は命を狙われている。
王の盟友であった彼の父親は、孤児院出身の女性と結婚したので勘当されて一般人の生活を送っていたが元は大財閥の跡取り息子で、不慮の事故で亡くなっている。

……ことになっているのだが、王はそう思っていないらしい。

たとえ勘当されていたとしても二人しかいない総帥の実子という立場であれば、相続となった時に遺留分だけでも大財閥の資産の4分の1。
莫大なものになる。

それを快く思わないものは当然居るだろう。


そもそもが王は養い子の母親のことすら、財閥の跡取りだった彼の父親を引きずりおろすために雇われたのではと疑っていた。

出会いから結婚までが出来すぎている。

息子であるアルフレッドはそれを運命的な出会いの一言で片付けていたが、普通なら出会うはずのないレベルで住む世界の違う二人がとてつもない確率で出会って、即日に恋に落ちて関係を持ってデキ婚なんてあるはずがないというのが、王の意見だ。

むしろ、かなりしっかりとした意見を持っていて扱いにくい跡取り息子を廃して扱いやすい妹を跡取りにしたかった誰かもしくは自分自身が全てを手にしたかった妹自身が、彼を跡取りの座から降ろすためにしかけたハニートラップと考えた方が自然だと言うのである。

だから彼の父親が一般人になってからも友人たちと共に足繁くその家に通い、さりげなくプレッシャーをかけていたということだ。

もちろんそれを両親を誇りに思っている養い子に対して口にしたりしない分別は皆あるわけだが


普通に考えれば、ただの元同級生相手に何故そこまで?と思わないでもないのだが、このシャマシューク学園に入学して、香もその感覚がわかった気がする。

この学園で築かれる人間関係は密接で固い。
特に全員寮生活になる中学から高校までの多感な時期に能力の高い人間が集まって一つの目標に向かって共に戦い抜いて行くというこの学校特有の性質は、ある意味戦友のような強い結束が出来るのだ。

香が一族の中から選ばれて小学校からこの学校に放り込まれたのもそのためである。

王の盟友の息子とちょうど3歳の年の差。
つまり彼が中学で入学してくる時に高等部へあがってカイザーになれる年。

中学からは一般家庭の子息も入学してくることを考えれば、この学校で育ったアルフレッドの親も息子をこの学校に入れようと考えるだろう。
もしいれるのなら、カイザーとして手助けをしつつ守ってやれる部下を一人入れておこう
当時はそんな考えだったらしい。

よもやその頃に盟友が亡くなって自分がその子どもを引き取ることになってしまったのは、さすがの王も想定外だったようだが


ともあれ警備は厳重なので、確かに他の学校で放し飼っておくよりは安全なはずだったのだが、閉じられた世界だけに敵に内部に入られるとなかなかキツイ。

前回の体育祭でもずいぶんと罠が仕掛けられていたから、今後も油断しないようにしなくてはならない。

そういう意味では、安全性の意味合いでもアルフレッドが口にするものは自分で作ったほうがいいのである。


夢見が悪かったこともあって香はそんな諸々の重い事情を思い出しながら、コトコトと丁寧に煮込んだ鶏の出汁でゆっくりと煮た中華粥をかき混ぜる。

ダイニングでは腹を空かせて待ちきれないアルフレッドが行儀悪く食器を鳴らしているがスルー。

トロリと煮えた粥の上に、出汁を取るのに使ったあと固くなりすぎないように取り出しておいた鶏肉を細く切ったものと生姜、それに彩りにパクチーを載せて、煮玉子その他、簡単なおかずと共に食卓へ。


「遅いんだぞっ!もうお腹ぺっこぺこだよっ!!」
と頬をふくらませるアルフレッド。

誰のためにこんな大変な思いをしていると思うんだと言いたいところではあるが、まあ慣れた。

それに自分はそれでも運が良いほうなのだ、という自覚も香にはある。

8人いる彼の兄弟は、跡取りである長子と、すぐ上の一歳年上の姉と末っ子の香以外はもっと過酷な任務についてすでに亡くなっている。

長子は家を存続させるために子孫を作ることを第一に、本人はほぼ現場に行くことなく一族の管理についているし、姉が死んでいないのは兄弟の中で唯一の女ということでその特色を生かした他よりは若干死ににくい任務が多かったという理由があった。

だが、そういう事情のない香は本来は忖度される立場ではないので、小学校からお坊ちゃん学校に通って人脈を作りつつカイザーを目指していれば良いという今回のこの任務は、かなり恵まれたものと言えた。

それこそアルフレッドが入学してくるまでは本当にそこらの金持ちのお坊ちゃん達と変わらない生活をさせてもらっているのである。

アルフレッドが来てからだって、彼を中等部へと送り届けてしまえば高等部の自分には何もできないので普通に学生をできていて、任務を離れた友人と戯れてみたりと普通に学生をやっているのだ。

そんなことをつらつらと考えながら食事を摂っていると、香の倍くらいの速さで食べ物をかきこんでいたアルが

「ねえっ!中華料理ってさっ、皆が皆こんな食べごたえないものじゃないんだろっ?!
ガッツリしたものもあるよねっ?!」
と、顔をあげて聞いてきた。

いやいや、Youは作った人間を前にしてそれ言っちゃう感じ?
と、一瞬返しかけたが、それで色々言われるのも面倒なくらい疲れていたので

「あ~コッテリしたものもあるけど知りたきゃググったら良い的な?」
と、返す香。

思わずため息が漏れる彼の様子に、アルは目をぱちくり。

「どうしたんだい?元気がないじゃないか。
お腹空いてるのかい?」
と、抱え込んでいたおかずの皿を少し香の方へと寄せる。

元気がない=腹が減っているってどれだけ単純に出来ているんだと思わないでもないが、食べることがこれだけ好きで、食事量が足りないと思っている中、大事な食料を分けてくれようとするあたりが、まあ優しいのかもしれない。

なにしろ彼は自分が香に命を守られているなんて全く知らないのだから、純粋な善意だ。

Thanks。ちょっと夢見が悪いだけで別に腹が減ってるわけじゃないし、それは食ってくれて構わないけど」
と言うと、即引っ込められたわけではあるが



それでも彼はなんとかしてくれる気満々らしい。

少し考えて、あ、そうだ!!と、いきなり席を立ち上がって自室へと駆け込んでいった。

大人がいれば食事の最中に中座なんて行儀悪い、後にしなさいというところだが、ここにいるのは香だけである。
そしてその香も引き受けたのは護衛だけなので、ここで躾けまで仕事に加える気はさらさらない。

というわけで、スルーして食事を続けること1,2分。
アルが自室からパンフレットを持って戻ってきた。

「それは?」
と、箸を止めて顔を上げる香に、アルはジャ~ン!とカラーのペーパーを広げてみせる。

豪華クルージングの旅。
豪華と言ってもそれは謳い文句で、12日、船でそれでもまあ豪華なのであろう中華料理を食べながら船旅気分を味わうというお手軽なもののようだ。

それを手にキラキラした目をするアルフレッド。

もしかしてさっきの食べごたえ云々はこのパンフレットに関係するのだろうかと思って香が視線を向けていると、

「王からねっ、招待状が届いたんだっ!ほら、もうすぐバカンスだろう?
長くは一緒に過ごしてやれないけどって」
と、満面の笑みを向けられた。

「それは王大人も来る的な?」
「だからそう言ってるじゃないかっ」
「なるほど
「それで昨日の週一のプリンセス会でそれ言ったらなんとフェリシアーノも来たいって言うから一緒に行くことになったんだ。彼も食べるのが好きなんだねっ!」
というところで、またなるほどと思う。

銀竜寮の寮長副寮長コンビはどちらも有力な家の嫡子とは言い難い。
おそらくフェリシアーノは卒業後のために王のコネクションが欲しいのだろう。
食べるのも好きかもしれないが、メインの目的はおそらくそちらだ。

まあ…単純に同志がいたと喜んでいるアルにそれを告げるほど無粋ではないので、香がただ無難に相槌を打っていると、アルの話はさらに続く。

「それでね、フェリシアーノが行くんだからアーサーもどうだい?って言ったらOKもらえたからっ!
俺とヒロインの思い出のページが一枚増えるってわけだよっ!」

と、それには
(それはフェリシアーノだけで止めて欲しかった的な
これ、ギルからの苦情案件じゃね?)
と、香は無言のまま大きなため息で返した。

しかし王がいるなら自分と違って周りも含めて守れる百戦錬磨の護衛達がいるのだろうし、安全な中での食事会ということで勘弁してもらおう。


彼はその時意識出来ていなかったが、それは本当に悪いタイミングで告げられていた。
香がたまたまどこか参っていて、いつもの危機管理意識が作動していない本当に最悪のタイミングで。

普段ならありえない。
そう、王に直接確認の連絡を取ることを忘れるなんて、本当にあり得ないことなのである。

そして彼はそのことを、後にひどく後悔することになる……



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