朝一でにこやかに言う宇髄。
それに錆兎は
「ああ。とびきりの引っこ抜いて来るから、楽しみにしておいてくれ」
と、笑う。
外資系なので国内の企業より1年近く早いスタートだ。
錆兎は別に人事ではない。
だが、この会社では人事と共に人材が欲しい各部署の課長が同席して、自分の所に欲しい人材を物色するのが常なのだ。
しかしながら、開発部の課長の宇髄は正直そういう場所が必ずしも得意ではない。
彼は自分がイケメンで優秀で、だが、相手によっては萎縮をさせ、また別のタイプにとっては鼻につくタイプの人間だという自覚がある。
優秀な人間がイコール自分と気が合う人間とは限らないので、どんな相手が来るかわからないが絶対にスカウト失敗は許されない。
そんな場には万人受けする錆兎を送り込んだ方がいい。
そもそもが新人が来てもどうせ面倒を見るのは彼で自分ではない。
…ということで、おそらく直接的になるか間接的になるかは別にして、どちらにしても面倒を見ることになるのであろう、有能にしてコミュニケーション能力が高く人を見る目がありそうな課長補佐にその役割を一任したということなのである。
天気はあいにくの雨だが、人と接する事はわりあいと好きな錆兎はやや機嫌が良い。
鼻歌交じりの部下に、宇髄は少し安堵した様子で
「最近、少し煮詰まってたよな。
機嫌は直ったか?」
と、笑顔を向けた。
それにピタっと歌うのをやめて、錆兎は
「よく気づいたな。さすが宇髄」
と、驚いた顔をする。
確かにこのところ、錆兎はやや苛ついていた。
が、その原因はと言うとネットゲーム内のことだったりするので、さすがに表にだすわけにもいかない。
だから完璧に隠していたつもりだったのだが、他人の気持ちを察する事に関しては人一倍長けているこの上司は気づいていたらしい。
錆兎は素直にその観察眼はすごいなと感心した。
ついでに…
「原因は”彼女”が万人に優しすぎる事…って感じかぁ?」
というところまでバレているあたりは勘弁して欲しいところではあるが……
「あ~、その話は今度な。
面接に集中しないと」
と、肩をすくめて小さく息を吐き出しながらかわすと、錆兎は
「んじゃ、学生イジメに行ってくる」
と、後ろ手に手を振ってフロアを出た。
吹き抜けになっている建物の2階から下を見下ろすと、受付のあたりにスーツを着た学生達の姿が見える。
いずれも緊張した面持ちで受付を済ませ、2階にある待合室につながるエスカレータへと向かっていた。
(さすがにまだヒヨヒヨしてるなぁ…)
と、錆兎は、その就活生達がカチンコチンになってぎこちない様子で続々と2階にあがってくる様子をしばらく眺めていたが、雨に濡れた靴で滑ったのであろう。待合室までの廊下で1人の学生が盛大に転んでひっくり返った。
周りの学生は一瞬驚き、それからざわざわと遠巻きに見るか、もしくは苦笑している。
おまけに派手に転んだせいだろう。
スーツの前ボタンが一つすっ飛んでいる。
転んだ学生は呆然としたあとに、泣きそうになって俯いた。
(あ~、これは…フォローに入ってやらんとダメか?)
と、さすがに思って錆兎は駆け寄りかけて、しかしすぐ足を止めた。
転んだ学生から少し離れた人ごみの中、1人の学生が駆け寄って来て、
「大丈夫です?立てますか?」
と、手を差し出したからだ。
漆黒の髪に大きく澄んだ青い瞳。
肌は透けるように真っ白で、小さな鼻や淡いピンクの唇は、成人済みの同性とはとても思えない。
瞬きをすればバサバサ音がするんじゃないだろうか、と、思われるほど濃く長い睫毛など、少年と言うより少女のような容姿である。
就職活動というより、広報部が広告のモデルに呼んだんじゃないか?と思ってしまうほどだ。
そんな美少年…いや、ここに居ると言う事は幼く見えても大学3年生なのだから、美青年というべきか…に顔を覗きこまれて、ぼ~っとその愛らしい顔を見あげる学生。
それにちょっと不思議そうに小首をかしげる様子は、控えめに言っても天使だと思う。
その愛らしい青年は遠目に観察している錆兎に気づくことなく、真っ白なハンカチを出して、立ち上がった青年のスーツをパンパンと汚れを広げないように丁寧に拭いてやっている。
「ん。これで大丈夫かな。
色合いが濃いから汚れも目立たないし…あ……」
と、そこで青年のスーツのボタンが一つなくなっている事に気づいて、小さく眉を寄せた。
そして、とある方向で視線を止め
「ああ、良かった」
と、ふわりと微笑んで、その一点に向かって走り出していく。
戻った時、その手にはさきほど飛んだボタンが握られていた。
「さっき飛んじゃったみたいですね。
スーツ脱いで貰って良いですか?
ボタンつけますから」
と、言いながら、鞄の中からなんとソーイングセットを取りだすではないか。
(え?え?なんだ?このお坊ちゃん??女子力高すぎだろう!)
錆兎は目を丸くして、廊下の端でちくちくボタンを縫いつける青年の様子に見入っていた。
「はい!できました」
と、ボタンがきっちりついたスーツを転んだ青年に返して、彼は
「それじゃ、俺の待合室はこちらのようなので。
お互い受かると良いですね」
と、颯爽と待合室の一つに入って行った。
(…え?この坊ちゃん、あの学校の主席かよ…)
いよいよ面接が始まり、錆兎の手元にも資料が配布されている。
それを見ながら、人事の人間がいくつかの決まった質問をしているのを聞いた後、各部署の担当からそれぞれ思い思いの質問をぶつけると言う形の面接なのだが、錆兎の目の前には今、何人か目の面接を終えて、例の可愛らしい青年が座っている。
届いた資料によると、彼、冨岡義勇はなんと某難関大学の主席である。
たいした秀才だ。
どうやら本当に間違ってこちらの面接会場に来てしまった広報部の広告のモデルではないらしい。
面接官の側からすると、もう何度も聞きすぎて聞き飽きた質問が終わったあと、人事部の課長が
「それでは人事からの質問は終了です。
各部署の担当から何かありますか?」
と、振って来た。
大抵はここで自分の部署に欲しいと思う人間が質問をする。
この時に質問がないイコール欲しがられていない…つまり不合格と思って良い。
さて、今回の坊ちゃんの場合は、さすがに難関大学の主席なだけに、いくつかの部署から質問が飛ぶ。
ここからが本番ということは何か察したのであろう。
青年はさきほどまでより、やや緊張した面持ちで、それでも飛んでくる質問に卒なく答えていた。
そして最後
「他には?質問がある部署は?」
と見渡す人事部員に
「開発部だ」
と、錆兎は手をあげた。
最後まで待っていたのは、より印象付けたかったからだ。
面接が終わるとその日のうちに内々に合否が出され、合格者には部署の希望を取る。
もちろん絶対にその希望通りになるわけではないが、希望部署に著しい偏りがない場合はおおよそ希望部署に回されることになっているので、こちらが欲しい場合はあちらに来たいと思って貰う事が重要だ。
そのためには他の部署との差別化を図らなければならないと錆兎は考える。
だからまず最初に反則技を使うことにする。
「開発部の課長補佐鱗滝錆兎だ。
課長から部の人事を一任されている。よろしくな」
と、端正な…と言われ続けてさすがに自覚のある顔に笑みを浮かべ、そして言った。
「開発部では冨岡君を欲しいと思っている。
出来れば開発部を希望してくれると嬉しい」
うあああ~~!!!と、彼を狙っている部署の面接官が一斉に焦った顔を錆兎に向ける。
そんな爆弾を落としておいて、彼らが我に返って文句を言い始める前に、錆兎は始めた。
「さっき廊下で見てた。
すっ転んだ学生を助けてただろう?
男子学生の鞄からいきなりソーイングセットが出てくるとは思わなくて驚いた」
と、笑顔で言えば、それまで緊張しつつも平静さを崩さなかった青年の顔が朱に染まる。
初めて崩れた表情に、錆兎は内心してやったりと思った。
他の部署のことなど思いだせないレベルでの印象付けはある意味成功だ。
だが、一応ここは面接会場なので質問の一つくらいはしなければならない。
そこで錆兎は少し揺さぶって見ることにした。
「で、質問だ。
転んだ学生はスーツは汚れてボタンは取れていた。
まああの服装の乱れだと面接で落ちていた可能性が高いな。
そうしたらライバルが1人減るわけだが、何故手を差し伸べようと思ったんだ?」
面接のハウツー本には載っているはずもないイレギュラーすぎる質問だ。
さあ、どう答える?と、錆兎は興味津々で答えを待った。
青年の方もさすがにそう来るとは思ってもみなかったらしい。
ちょっと目を丸くして、それから少し視線を落として1分弱ほど考え込み、そして顔をあげた。
「御社の募集人数が一名ではない以上、彼の合否が私の合否を左右する可能性はそう高いものではないと考えました。
一方で自分の負担にならない範囲で手を差し伸べる事で、もし同じ会社の同僚になれた時に良好な関係を保つ事ができると思います。
もしどちらかが御社にご縁がなかったとしても、プラスがないだけでマイナスはありませんし」
ニコリと笑みを浮かべる青年。
それにやや意地悪かと思いつつも、
「助けた時にそこまで考えてたか?」
と、にやりと笑って言うと、青年はとても困った顔で
「…いえ。単にとても困って見えたので…」
と、眉尻をさげる。
そんな素直な表情も錆兎的には好感が持てた。
「よしっ!合格!
基本は善意で。
でもそこに理由付けが必要ならきちんとそれらしい理由を考えられるのはいいことだ。
ということで、俺からの質問は以上!」
と、そこで切りあげると、青年はホッとしたように小さく息を吐きだした。
まあ合格も何も、始めから彼を取る気は満々だし、もし錆兎が取らなかったとしても複数の部署から引く手あまただろう。
その後
「ちょっと時間取ってしまったな。次よろしく」
と、促せば、変わったやりとりを興味深げに見守っていた人事担当者は慌てて青年を退出させて、次の学生の入室を促した。
そして…錆兎の目論見通り、青年は唯一、自分を取るつもりだと言って最終的に合格という言葉を使った開発部なら入れるのだと思ったのだろう。
実際、その後彼は開発部に希望を出してきたので、錆兎は無事取りたい相手をキープできたのである。
…カッコいい人だったなぁ……
義勇は帰宅して買ってきた夕食をレンジに放り込んでチンしながら、今日の面接のイケメン試験官を思いだした。
今日は義勇にとって初めての会社の面接だった。
まあまだ3年生だし、ここで決まらなくてもまだ1年あるから良いと言えば良いのだが、出来れば早めに決めてゆっくりしたい。
そんな気持ちで始めた就職活動だったが、無理めだと思っていた第一志望の有名外資系企業の最終面接まで残れてしまった。
受かるかな…受かるといいんだけど…
一応会場では自分のことを欲しいのだと言ってくれた部署があって、その部署の若い課長補佐は合格と言ってくれたが、それはあくまで彼がしてきた質問に対しての義勇の答えに対してなのだろうから、会社の合否とはまた別物だろう。
そもそもが、会社の採用試験というものはそういうものなのはわかっているが、試験に面接があるという時点で受かる気がしない。
だって自分は今まで友達の1人も作れずに来たのだ。
初対面の相手に好印象なんて与えられる気は全くしてこない。
若い課長補佐が話題にあげた例の件だって、転んで周りに遠まわしに笑われている図が昔よく見た光景を思い起こさせて、自分が嫌だっただけだ。
その時笑われていたのは、義勇自身の母親だったのだが……
何故そういうことになっていたのかは当時幼かった義勇にはわからないが、記憶にあるのは父の親族の集まりにでることに怯える母と、それでも母を集まりに連れて行きたがる父。
そして、周りの親族やその配偶者の女性達は母よりも随分と年上で、いつも皆で母に何か言って母が泣かされ、しかしそれをかばう事もなく笑ってみている父の姿だった。
今にして思えば当時の母は父の兄弟の配偶者と比べてもずいぶんと若かったようで、その年齢差がきつい言葉を投げつけられる要因の一つだったのかもしれない。
とにかく、あの時、床にへたりこんで泣きそうになっていたあの学生が、いつもいつも悲しい思いで見ていた母のそんな姿に重なったのだと思う。
当時は義勇も小さくて、自分を大人たちから守るように抱きしめてくれる年の離れた姉にしがみついて涙を零すことしかできなかったが、今目の前の相手には適切な救いの手を与える事ができるのだ。
そう思ったら、手を差し伸べずには居られなかった。
しかし面接の会場でまさかそんな事まで話すわけにもいかず、当たり障りのない言葉でごまかしてみたら、面接官をするくらいの相手にはそんな詭弁は当たり前に見抜かれていて、その時に本当にそう思ったのか?と聞き返されてしまった。
ごまかせない…そう思って出て来た言葉は
『…いえ。単にとても困って見えたので…』
と、ありきたりのもので、一応それで合格と言ってはもらえたけど、実際はどう映ったのだろうか…。
緊張しすぎて、その面接官がとても珍しい宍色の髪に綺麗な藤色の眼をした、モデルか俳優かと思ってしまうほどに整った容姿の男性で、黙っているとどこかキツイ印象を与えるのに、笑うととても人懐っこい感じのする人だったと言う事以外、本当に記憶にない。
それでも、日々あんな上司にあんな笑みを向けられて働けたら幸せだろうな…と、何故かそんな事を思って、部署の希望はその面接官のいる開発部にしておいた。
名前は確か鱗滝錆兎。
鱗滝課長補佐だ。
「…受かるといいなぁ……」
チン!と小さな音で弁当を温め終えた事を知らせてくる電子レンジからやけどをしないように注意深く弁当を取りだすと、義勇はそれを持って、机に向かい、食べながらテキストに目を通す。
大学が始まってからも21時から24時まではほぼ毎日ネットゲームに時間を費やしているので、その他の時間を少しでも有効利用しなければならない。
そう、勉強が本分ではあるのだが、この時間だけは削れない。
このゲームの中には義勇がもう一人接していたい相手、竜騎士のウサがいるのだから…
Before <<< >>> Next (6月30日公開)
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