愛妻から出たその言葉は、本当にあり得ない提案だった。
抱かれれば相手が英傑であるかどうかを示せる森の民の末裔の少年…
その少年を手にいれてそれを内外に示したいというのが、雲の王の意向だ。
実際にはそれは生涯の中で非常に限られた期間で、その時期は過ぎ去ってしまったわけなのだが、それはほぼ知られていないことだし、言っても信じないだろう。
英傑である…それを証明できるまで自分の大切な大切な愛妻が何をされるかなど、想像しただけで頭に血が上り、怒りに目の前が赤く染まる気がした。
「…ありえへんわ……。
自分…雲に行ったらどういう事されるかわかっとるん…?」
アントーニョ自身が手折って子まで生したのだから、それが何を示すか知らぬままの子どもではない。
しかしながら少年はそれに直接的には答えずに
「…俺は…ただ王と自分の子を守りたい……」
とだけ口にして、長い睫毛を伏せた。
ありえない、ありえない、ありえない!!
そのくらいなら今すぐアーサーと娘をヘーデルバーリーの領内に脱出させて、自ら大剣を担いで戦場へ赴き、敵兵を一兵でも多く道連れにして死んだ方がましだ!!
そうアントーニョが断固として主張して、アーサーが少し悲しげにその太い眉を寄せたその時だ。
──お邪魔すんぜ!!
と、この場に相応しくないテンション高めの声が部屋の入口、リビングの方から聞こえて来た。
そして返事を待たずに寝室にドアが開く。
「ギルちゃん!こんなとこで何しとるん?!」
と、ベッドから立ち上がって呆れたように言うアントーニョに、一応産まれたばかりの赤子がいる部屋だと考慮してか、身を清めて着替えた新しいサーコートの上に大きめの白衣を羽織ったギルベルトが、中へと入って来た。
若干やつれたのは激しい戦いのためだけではなく、その前のグラッド公のゴタゴタから休む間もなくいるせいだろう。
身を清めたにも関わらず血の匂いが落ちないのは、それが敵の血ではなくギルベルト自身が負ったまま癒す間もなく抱え続けている怪我のためである。
それでも男は笑顔を崩さないまま、アントーニョの手の中の赤ん坊を覗き込んで安堵の色を見せた。
「お~!無事産まれたなっ!
俺様これから森の国の街中を少数精鋭で突破して王城に特攻、国王を直接たたきに行く予定なんだけどよ、その際に、この赤ん坊様が産まれたかどうか、無事でいるかどうかが、森の国の一般人の反撃に多少なりとも影響すっから、確認しにきたんだ」
明るく言うその言葉。
だが内容を聞けばそれは決して明るい話題ではない事がわかる。
ようは…戦略ではもうどうにもならない状況で、一か八かの…というにはあまりにも勝算のない特攻をかけるということだ。
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