炎の城と氷の婚姻_第二章_1

SideアーサーⅣ

そこはアーサーが今まで育ってきた自国の後宮の部屋と比べて、たいそう立派な部屋だった。

さすが大国、さすが飛ぶ鳥落とす勢いの太陽の国の正妻用の離れである。



「本当はしばらくこっちに戻すつもりなくて大急ぎで整えたさかい、ちゃんとしたもん揃えてなくて堪忍な。」

と、本当に申し訳なさそうに王に言われるが、これでちゃんとしていないというのなら、自国でアーサーの住んでいた部屋なんて人間の棲家ではないのではないだろうかと思う。


ぴかぴかに磨き上げられた石造りの壁や床。

猫足の物で統一された立派な戸棚やテーブルや椅子、そのどれもがやはり同様に完璧に磨きあげられ光っている。


所々のポイントに敷かれた絨毯もどれも繊細な模様を織り込んでいる立派な物で、なんだか踏むのをためらわれてしまうほどだ。


そしてベッド。

これも今までいた王の物よりは小さい…と言ってもアーサーくらいの少年なら二人くらい余裕で横たわれそうな大きさで、もちろん天蓋のついた立派な物である。


王に勧められて大きな椅子に腰をかけると、王がテーブルの上の銀の呼び鈴を鳴らす。

すると老女がしずしずと部屋に入ってきた。


自国でアーサーの世話をしてくれていたメイドよりは若干若いだろうか…。

深々と王に礼をし、そしてアーサーの方を向き直って直立不動で立った。


「アーティ、自分付きの使用人、ゾフィーや。

ベテランやさかい、わからんことがあったら何でも聞きや。」

と言う王からの言葉でメイド、ゾフィーは

「ゾフィーでございます。」

とアーサーに向かって礼をする。


「あ、宜しくお願いします。」

と、アーサーが慌てて立ちあがって同じく礼を返すと、ジロリと睨まれてアーサーは身をすくめた。


「恐れながら…主人は使用人に頭を下げたりはしないものでございます。

お立場をお考えになられるよう。」


と冷ややかに言い放たれて、アーサーはヒクリと息をのむ。

どうしよう…失敗した?
頭の中が真っ白になる。


それでなくても自分は国に辿り着いた初っ端から失敗している。

倒れて王の寝室を長期間占領し、あまつさえ、この国で一番偉く多忙なはずの王に看病をさせるなんて事までやらかしている。

これ以上何かやらかしたら……


そんな記憶がクルクルと脳内を周り、声も出せずに代わりに目からジワリと涙が溢れそうになった瞬間、


バン!!!
と、いきなり大きな音が響いた。


王が壁を叩いた音…。

その音にアーサーもゾフィーも固まって、次の瞬間、二人の視線が王の方へと向く。


刺すようなまなざし。

明らかに苛立った表情。


それが自分の方に向いてはいないものの、それだけでアーサーはサーっと全身から血の気が引く思いで硬直した。

が、王の大きな手が思いの他優しい調子でアーサーの頭を撫でてくるのに、ホッと息を吐きだす。

大丈夫。まだ大丈夫。王が怒っているのは自分に対してではないようだ。


「…一番わきまえたベテランをつけるよう命じたはずなんやが…」

と、地の底を這うような低い声。


こんなにきつい調子で言葉を発する王を初めて見た。

曲がりなりにも他国の王族であるアーサーにはもちろん、立場的には臣下であるギルベルトにだってこんな言い方をしていたのを見た事はない。


「…自分は…主人のやる事にケチつけるように躾けられてきたん?
使用人の分際で立場わきまえて物言いや?」

との怒りを内包した王の言葉に、ゾフィーは青くなった。


「出過ぎた事を申しました。申し訳ございません。」

と即アーサーに深く頭を下げるゾフィーに、

「身の程をわきまえて主人に尽くしや。次はないで。」

と、王はさらに言い放って、シッと言う風に軽く手を振って下がるように命じ、ゾフィーはお辞儀をして部屋を出ていった。



…立場を…わきまえる……


それは彼女より自分の方に言える事だ…と、アーサーは自分付きだと言われた使用人が消えたドアを凝視しながら思った。


王があまりに優しかったから忘れていた。

本来自分は歓迎されてはいない存在だ。


それがこの国に到着するなり倒れたりしたから…おそらく正妻として迎えて即死なれたりなどされれば太陽の国のメンツに関わるだろうから優しくしてもらえただけである。

しかしそんな立場を忘れて分をわきまえないでいれば、次に叱責されるのは、きっと自分だ…。


――普通にそれなりの部屋与えてそこに放り込んでそれなりの飯食わせて死なへんように預かっとけばええやんっ――
と着いた日に言っていた国王の言葉。

そう、それなりに預かっておけばいいだけのはずが、倒れたりして随分と迷惑をかけてしまったのだから、これ以上は絶対に手間暇をかけさせてはならない。


身が凍るような思いでそんな事を考えているアーサーの頭を王は引き寄せ、自分の胸元に抱え込んでなでる。


「躾けの出来てへんメイドがアホな事言うて堪忍な。

メイドの中では一番偉い奴らしいから、ちょお勘違いしとったみたいや。

これからもなんかアホな事言うたら、叱ってええし、自分で言いにくかったら親分に言いや?」


さきほどとは一転して優しい声音。

勘違いしてしまいそうになるが、立場を忘れてはいけない。

この優しい手に声に、冷たく突き放されるのはきっと辛い。

王の外交上必要な我慢の限度を超えないように、気をつけて付き合っていかなければ…。


アーサーはなんと答えて良いのかわからず、ただ小さく頷いた。

それすらも言葉を添えないなんて不敬なのではないかと怯えながら…。


こうして王は何事もなかったかのようにいつもの調子に戻って、自ら離れを案内し、昼食を一緒に食べて、夕食時にまた来るからと言い残して、仕事へ戻って行った。



離れには入ってすぐ公的なリビングがあり、その奥のドアから進むと左に使用人と専属の医師の控室。

右側にはトイレと大きなバスルーム、それに衣装室があり、廊下を突きあたると私的なリビング。

そのさらに奥に寝室と私室。

そのどちらにもバルコニーがあり、そこから庭に出られるようになっている。


王が帰ったあと、アーサーはしばらく私的な方のリビングにいたが、お茶を淹れるため控えているゾフィーの気配に落ち着かない。

本当に厳つい様子で横に直立不動で立っていられると、恐ろしくて仕方がない。

こんな恐ろしげな使用人に対して王のように気軽に何かを命じるなどと言う事も出来ず、ソファで硬直する。


下がれ…と一言言えば下がるのだろう。

だが、生まれてこの方、正妻の腹の王子でありながら疎まれて育ってきたアーサーは他人に命令するなどと言う事を思いつかない。

硬直しながらこの空間の脱出方法を考えて、ようやく思いついたのは自分の方が移動するという選択肢だった。


「あのぅ……」

と、おそるおそる声をかけるも、ジロリと視線を向けられてくじけそうになる。

ダメだ…ここでくじけてはダメだ…と、泣きそうになりながらも自分を叱咤して、アーサーはなんとか言葉を続けた。


「少し…庭に出てきます。」

と震える声で言うと、ゾフィーは抑揚のない声で

「了解いたしました。」

と言ったきり、また無言で直立不動。


いい…んだよな?もう言ったからいいよな?
それから少しの間、老メイドの様子を伺っていたが、それ以上特にうんともすんとも言わないので、アーサーは逃げるように寝室に駆け込んだ。


パタン!とリビングと寝室をつなぐドアを後ろ手に閉めて、アーサーはハァァ~~と大きくため息をついてずるずるとドアを背にへたり込む。


怖かった…ゾフィーは怖い。真面目に怖い。


そもそも外見が怖い。

アーサーよりも背は高く、まるで軍人のようにいつもピシッと背筋を伸ばして直立不動。

白髪交じりのグレーの髪はぴっしりと高い位置でまとめられていて、飾り気のないグレーのドレスを着ている。


王いわく、下級貴族の生まれで結婚もせず、王が生まれるよりも前から王城の後宮に勤めているらしい。


ゆえに後宮ではもう主のような者で、あまたいる名門貴族の出の側室達にも臆する事はない。

彼女の絶対者は唯一国王であるアントーニョ・ヘルナンデス・カリエド陛下だけだ。


つまり、この離宮の鍵の管理者としては適任というわけらしい。

確かに地獄の門番のようである。



しかしながら彼女が門番として守るのは飽くまで正妻の離れに他者を近づけるなという王の命令だ。

他国…それも小国の、追い出されるように嫁いできた王子であるアーサーではない。


彼女もまた、アーサーが不興をこうむらないよう気をつけなければならない太陽の国の人間の1人である事は確かだ。


そして、その最たるものである王がしばしばそれを忘れてしまうほど優しく柔らかい態度でアーサーに接するのとは対照的に、彼女は非常にわかりやすくそれを思い知らせてくれる。


忘れてしまって不興を買うのとどちらが良いのかはわからない。

が、この国に居る間の自分のプライベートスペースであるはずのこの離宮が、彼女の存在により非常に心休まらない場所になっている事は確かだ。


恐ろしさと息苦しさから抜け切った身体の力が若干戻ってくると、アーサーはゆるゆると立ち上がり、ガラス戸を開いてバルコニーに出る。

日差しは熱いが、部屋で息を詰めているより良いかと、靴を履いて庭へと足を踏み出した。


まず目に止まるのは自国のようにひっそりとではなく、太陽の陽ざしのしたで己を主張するように咲き誇る花々。

この国は植物までも堂々と力強い。


庭の周りはそんな花々の花壇に囲まれていて、それより内側は綺麗に刈り込まれた緑が小さな迷路のようになっている。


そしてその中心部には小さな噴水と白いテーブルとベンチ。

その緑の周りをぐるっと囲む花壇に挟まれた遊歩道の所々には色とりどりの花のアーチ。


もう少し涼しければ散歩をするのも楽しそうだが、太陽の国はとにかく熱い。


アーサーが暑さにハフっと息をついて、それは金属でできた高いフェンスにもたれかかると、フェンスの向こう、離宮の外から華やかな笑い声が聞こえてきた。


どうやらフェンスを越えた先には側室やその使用人達の庭があるらしい。


フェンスの隙間から見える色とりどりのドレスをまとったレディ達は皆、この太陽の国の花々のようにキラキラと美しい。


…ああ、綺麗だな……


と、素直に感心して眺めていると、そのうちの一人がアーサーに気づいたらしく、それとわかるように声をはりあげて笑った。


「ごらん下さいな。貧相な子どもがこちらを眺めておりますわ。」


その声に女性達の視線が一斉にアーサーに集まった。


「あら、本当。

みすぼらしいというか、華がないと言うか…」

と、1人が扇で口元を隠しながら笑えば、別の1人が

「しかたありませんわ。

だって、いくら美しいドレスを身にまとった所で、取るに足りない小国の…しかも少年ですもの。」

と、見下すように言う。


「子どもとはいえ男の身で男に嫁いでくるなんて。」

「御子も産めない意味のない正妻。」

「それでも正妻と言うだけで陛下のお時間を独占するなんて、ずうずうしいこと。」


悪意に満ちた視線と言葉の数々は、理由こそ違うものの自国にいてもよく投げつけられていたもので慣れてはいた。

だが、それでも部屋に逃げ込んで1人きりになれば逃れられた自国と違って、今は部屋に逃げ込んでも気難しそうな使用人がいる。


それでもジッと俯いて耐えれば耐えられないものではないはずだった。


しかしながらアーサーを打ちのめしたのは、

「お前達、お止めなさい。」

と、一段上からそれらを制した女性の声だった。


それなりに上等なドレスをまとった女性達よりさらに高貴な服に身を包んだその女性は、おそらく彼女達の女主人、つまりはこの国の名家の出の姫、王の側室なのだろう。


「でも姫様……」

と不満げな女官達を目で制して、女性は扇で口を隠してコトリと少し小首を傾けた。


「例え取るに足らぬ小国と言えど陛下が一時的にでも同盟を結ぶ意味があると判断した国、例え貧相な子どもだとしても陛下がそのために正妻にとお決めになった子どもですよ?
陛下の貴重なお時間が取られたとしても、政治的な意味合いのための一時的なもの。

女として妻として召された妾が気にするなど愚かしい事です。

殿方のお仕事と男女の仲を同列に見て恨み事を言うなど、はしたない事ですよ。」


王と同じ黒髪の…はっきりとした顔立ちの綺麗な姫だ。

その表情は自信に満ちている。

美しくも精悍な王とは美男美女でお似合いだ。


なるほど、単なる政治的な道具である自分と違って、彼女は本当に王の寵愛を受けているのだろう…と思うと、アーサーは何故だか泣きたくなった。


バカバカしい…。

彼女の言う事は本当にもっともだ。

いくら王が自分に優しく接してくれていても、それは自分に対する好意から来るものではない。

そんな事くらい、わかりすぎるほどわかっているのに、何故悲しむ必要がある。


夕食の時間にはまた来るから一緒に摂ろうと言ってくれた王。

今までずっと食事は1人で、誰かと一緒に食事をした記憶などほぼ無かったため、まるで家族のようだ…などと思いあがっていた自分が恥ずかしい。


アーサーはクルリと反転すると、自分の部屋に向かってゆっくりと歩き出す。


その後ろから聞こえる

「さすがは姫様。お心が広い。」

「さすが、国母の第一候補と言われるお方。」

と、女主を褒め称える女官達の笑い声を背にして、一路自室を目指しながら、アーサーはぽつりと涙を零した。


フェンスが遠のけば遠のくほど溢れ出る涙。

自室へと続くバルコニーに辿りつく頃には嗚咽が止まらなくなっている。


…寂しい……


そんな事を思うのは身の程知らずで贅沢だ。

それでも悲しい、寂しい、と思う気持ちは止まらない。


バルコニーから寝室に戻ると、アーサーはベッドの中にもぐりこみ、ブランケットを頭からかぶって声を押し殺して泣いた。


泣いて泣いて自分なんか涙と共に溶けて無くなってしまえば良いと思う。

そうすればもう王の手を煩わせる事も、王に愛される綺麗な姫君に不快な思いをさせる事もない。



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