「なあギルちゃん、やっぱこんな事しとる場合やないと思うわ。」
夕方の執務室。
書類仕事には眩しかろうと、気を利かせて西日が差し込む窓のカーテンをシャッと閉める側近に、アントーニョは不満げに口を尖らせた。
目の前のデスクには王のサインを待つ書類の山。
内容にはほとんど目も通さずシャカシャカ署名をしまくっているのは、それらが問題のないものなのか、予めこの後ろに控える事務官としても十分優秀な幼馴染がチェック済みだからだ。
それを欠片も疑う事なく任せてしまうくらいには、王はギルベルトを信頼している。
それどころか、もうこの際、彼が自分のサインをしてしまっても良いとくらい思っているのだが、『それだけはだめだ。書類の信頼性がなくなる。』と、このチャラチャラしているようで実は非常に真面目な男は断固として許可してくれない。
まあそれでも王の仕事のかなりの部分を肩代わりしてくれているのには変わりはないわけだが…。
「こんな事って、お前のサイン待ちの書類にサインしねえでどうすんだよ。
お前がこれまで前線出てたのって、本来はイレギュラーな行動だしな。
王様は王城に引っ込んで下のやる事に許可与えるか、来客があればもてなすかしてんのが正しい図だろうがっ。」
と、優秀な側近は実に反論しようがない正論を吐いてくれる。
そのついで、世の中の王には俺様みたいな便利にして優秀な家臣はいねえんだぞ、と、冗談交じりに言うのはスルーしておいた。
便利で優秀というのは否定しようのない事実だが、素直に認めるのも癪に障る。
まあ本人は飽くまで冗談のつもりなんだろうが、冗談になっていない。
突っ込みもねえのかよっ…と、居心地悪そうに言うのをみて、ざまあみろと溜飲を下げると言うのが正しい対応だ。
「前線は別にもう出んでもええねん。
軍もしっかりしてきよったし、そもそもが当分領土拡大する予定もないしな。
言うとるのはそんな事やない。
……何が言いたいかはわかっとるんやろ?」
アントーニョがじろりと含みを持った視線で見あげると、当然わかっているギルベルトは秀麗な顔に複雑な表情を浮かべて、王から視線を背ける。
いつもいつも真正面から視線を合わせて来るこの男には珍しい事だ。
つまりは…それだけ言いたくない、言いにくい話だと言う事である。
あー…と、何度も口を開いては閉じを繰り返し、最終的にくしゃっと自らの前髪を掴んだ。
「別の国同士で永遠に仲良しはありえねえぞ?」
そう、わかっているのだ。
アントーニョの気持ちは現在後宮の最奥にある。
別にサインするだけの仕事なら、後宮の一室でやろうが構わない。
単に色ごとに溺れるだけなら、自分が極力仕事を被るから最低限に表向きの体裁だけ整えてくれれば問題ない。
それが後宮にあまたいる自国の貴族の出の側室達であれば、多少身分が低かろうと全力でフォローする。
彼女達はライバルの貴族の敵にはなりえても、国家の敵にはなりえず、むしろ国母になる人材なのだから。
しかし…それがいつ敵になるかわからない他国の少年となれば話は別だ。
可愛いのも放っておけないのもわかる。
無類の子ども好きのアントーニョならずとも、弟がいる兄で多少兄気質があるだけのギルベルトでも、どこか庇護欲をそそられるか弱く幼げな少年だ。
しかしながら、他国の人間である以上、いつかは敵国の人間になる。
同盟が平和的に終われば国へ返す事になるし、下手に不穏な終わりを迎えれば最悪処刑しなければならなくなる相手だ。
心を移し過ぎればその時に辛くなるのはわかっているのだから、一定の距離を保つべきだ。
わかっているであろう当たり前の事を改めて言うのも…と思いつつ、それでも苦言と忠告の意味を込めてギルベルトが言葉を口にすると、何故かアントーニョはポカンと口を開けて呆け、次の瞬間、ペンを置いた。
「そうやな。ほな、戻るわ。」
と、そのまま立ち上がりかける王を、ギルベルトは慌てて腕を掴んで止める。
「おいおい、どこ行くんだっ?!」
「どこって…アーティんとこ。」
と、本当に当たり前に答える王に、今度はギルベルトがポカンとする番だ。
「おい…お前、今の俺の話聞いてなかったのかよ。」
「聞いとったでー」
「じゃあ、なんでっ!!」
「アーティの気ぃ引いとかなあかんてことやん?」
「はあ??」
にこやかに答えるアントーニョの表情には全く迷いがなかった。
むしろ自分の方が何かおかしなことを言っているのか?とギルベルトが迷うほどに…。
そんな風にギルベルトが全くわけがわからないと思っている事がアントーニョもわかったのだろう。
ズルズルと腕を掴んだギルベルトを引きずったまま執務室を出て、真っ直ぐに廊下を進みながら言う。
「あの子をもろうた時の条件として、同盟が破棄されたら返すなんてもんはなかったやん。
仲良くしましょ~言うて贈った贈り物を、仲違いしたから言うて返せなんてないわ。
もろうた側が返す~って言うのはあったとしてもや。
そしたら、もう一旦もろうたからにはあの子は親分のモンやで。
せやけど…あの子の気持ち的に同盟組んどるから仲良うせんとあかんて言うのがないんやったら国帰りたいとか言われても嫌やしな。」
…というわけで言ってくるから放したってな。
そう言って後宮前でしっかり腕を握っていたはずの手は、あっさりと外される。
相変わらずとんでもない馬鹿力だ。
そして止める間もなく後宮の門をくぐられてしまうと、王でも医師でもない男であるギルベルトには追う術はない。
仕方ない……
ギルベルトは門番に一応王に早く戻ってくれるようにという伝言をして、執務室へと戻って行った。
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