本城よりも遥かに大きい窓から射し込む日差しがレリーフや絵画を照らす、明るい廊下。
その所々から花々が咲き乱れる中庭に出られる造りになっている。
かつかつと足音が鳴り響く本城のそれと違って、床には柔らかな絨毯。
武骨な兵が足を踏み入れる事ができるのは後宮の入り口の詰め所までなので、その上を歩くのは軽やかな足取りの女人のみである。
外見的にはそんな風にふわふわと美しいこの空間は、しかし内面は戦の最前線並みに殺伐としている…と、アントーニョは思う。
前にも述べたがアントーニョは身分の低い妃の腹の子で、有力な貴族の後ろ盾がほぼないと言って良い珍しい王だ。
それはある意味、我こそはと思う貴族達にとっては、格好の権力を掌握するための的になる。
なにしろ王を取り込めば…もっと言うならば自分の娘がその跡取りを産んだのならば、通常ならある王の母方の実家、外戚の干渉がなく、自分は王にとって唯一の後ろ盾になれるのだ。
年頃の娘がいる者は娘を、居ない者は養女を探してでも王の妃にとこぞって後宮へと送りこむ。
誰かの娘を受け入れるのに、誰かの娘の受け入れを拒否すると言う事は、すなわち、その気がなかろうと、受け入れた娘の家に加担するという意思表示と取られかねないので、パワーバランスを考えるとよほどの事がないと断れない。
ゆえにアントーニョ・ヘルナンデス・カリエド王の後宮には現在、かなり多数の妃がいる。
家の期待、親の言い付けなどももちろん重要だが、後宮入りしたとは言えど妃達も若い娘だ。
やはり恋愛ごとには興味はある。
が、後宮に入れば若い男は王1人。
その王は、なまじ幼い頃から身体を鍛え、自ら戦場を渡り歩いていただけあり、彼女達貴族の周りの若い男達にはない精悍さがあり、筋肉質な体躯も無駄なく引き締まっている。
しかも、好みは色々あるとは思うが、アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド王はかなり整った顔をしていた。
そんな恋愛ごとの相手としてはとてもそそられる容姿で、しかも国の最高権力者。
親の思惑と自分の感情。
それがほどよく一致しているとなれば、皆必死だ。
何しろ歴代の王の中でも後宮にいる妃の数はかなり多い。
そのくせ王は滅多に後宮に足を向けない。
たまにお義理程度に足を踏み入れても、どの娘にも手をつける事無く、数人ずつ適当に順番に選んで皆の話や歌などを聞きながら酒を飲んで帰って行く日々である。
最初の頃はそんなクールなところも尊いと思うのだが、1年以上もいるとだんだん焦れてくる。
女に興味がないのかと思えば、城下の娘に手をつけたりはしていたというので、そういうわけでもなさそうだ。
なので、なかには自分からしなだれかかって誘いをかける勇者もいたが、あっさりいなされて撃沈。
誰に対しても平等に興味を持たない…そんな状況に、特に上級貴族の娘であるとか、容姿に特に自信のある娘などは苛立ちを募らせる。
おいでのない時は皆牽制しあいながら、少しでも王の好みに近づこうと実家からの手紙を頼りに情報戦を繰り広げていたりするので、いざ王が足を踏み入れた時には本当にギラギラと殺気だっているのだ。
…ああ、嫌やなぁ……
と、アントーニョは奥に向かう途中の廊下に待ち構えている女達を見て内心ため息をつく。
気が強いのも時には悪くはないが、こう常にギラギラと鼻息荒くこられると興ざめだ。
それに比べ……と、王は後宮の奥深くの離れでひっそりと過ごしているであろう正妻を想う。
アントーニョの方からいくら積極的に近づいて行こうとしても、怯えたように距離を取られてしまうあの子になら、顔を見せた瞬間に走り寄ってこられても和むだろうに……。
そんな事を考えているとワラワラと妃たちが飛び出して来る。
…陛下、お待ちしておりましたわ。ぜひわたくしの部屋へ…
…実家から良いお酒が届きましたの。ぜひ陛下に召し上がって頂こうと…
…わたくし、新しい歌を覚えましたのよ?ぜひお聞き下さいませ…
女官を使って押し合いへしあいさせながら、道を塞ぐ妃たちに苛々を隠す事無く、アントーニョは思わず声を張り上げた。
「うっさいわっ!!俺は正妻の顔見に来てんっ!下がりっ!!!」
シッシッと手を振って周りを押しのけながら、アントーニョはそう言って強引に通り抜けようとする。
妃達の間に殺気が走るが知った事ではない。
ふんっ!と息を吐き捨てると、アントーニョはマントに手をかける女達の手を振り払いながら、奥へと進んだ。
1人脱落、2人脱落しながらも、まだまとわりつく女達。
それでも奥へと進みかけると、前方で待ち構えるように立つのはこの国でも随一の大貴族、グラッド公爵の娘、マルガリータだ。
「なん?自分も自縛霊になるん?」
いい加減不機嫌に言うアントーニョに臆する事なく、また、道を塞ぐこともなく、マルガリータは優雅に一礼をすると、侍女に目配せをした。
目配せをされた侍女は恭しく進み出ると、アントーニョに花籠を捧げる。
「これは?」
とりあえず受け取って視線を向けるアントーニョに、マルガリータはニコリと微笑む。
「正妃様はまだ幼い少年のようですし、故国を1人離れられて心細くお過ごしでしょう。
少しでもお慰め出来ればと造らせました。
わたくし達は直接お会いしてお届けする事は叶いませぬゆえ、陛下から差し上げて頂ければ光栄にございます。」
さっと見たところ、おそらくマルガリータの庭に咲いている物のようで、害のあるような花はない。
親の位に従って正妻の離れの隣、正妻を除けば後宮の最奥に住まう妃だ。
あるいは庭を散策中にでも、あの子が寂しそうにしているのを見かけたのかもしれない。
「おおきに。自分みたいに気ぃのつく妃やと助かるわ。」
との王の言葉に、王の服を掴んでいた妃達がおずおずと力を緩める。
それに対して、
「とんでもございません。お可哀想な身の上の方です。そんな方をお気にかけて心を尽くされる優しい陛下にお仕えし、また少しでもご協力出来る事を嬉しくも光栄に思います。
これからもお会いする事は叶わなくとも、ゾフィーを通して何かお気が紛れるような物をお届け出来ればと思いますので、ぜひ陛下のお手すきの時にでも正妃様のお好みなどお教え頂ければ幸いです。」
それだけ言うと、マルガリータはさらに一歩引き、侍女たちにも大きく道を開けさせた。
「皆様も…陛下のお渡りがなく寂しくお思いになる事は仕方ないとしても、妃としての品位を忘れ、はしたない行動に出るのは感心できません。」
と、暗に非難されて、妃達が手を放して自分から一歩離れると、アントーニョは心底ホッとして
「おおきに、マルガリータ。今度お礼でも届けるわ。」
と、マルガリータに笑顔を向ける。
「いいえ。陛下の妃として当然の事をしたまでですわ。」
と、それに答えるマルガリータには他の妃達から刺すような視線が集まるが、さすが大貴族の娘だけあって、動揺する様子は微塵もなかった。
そんな妃同士のやりとりには全く興味もなく注意も払わず、
「ほな、親分行くわ。」
と、奥の正妻の離れへと向かうアントーニョ。
その姿が見えなくなるまで笑顔で送って、その場で唇を噛みしめたり拳を握ったりしながら自分を睨みつける他の妃達にくすりと笑いかけると、
「では戻りますよ。」
と、マルガリータはあえて彼女達には何も言わず、侍女を引きつれて自室へと戻って行った。
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