その日の朝から、太陽の国の王…アントーニョ・ヘルナンデス・カリエドは、大変不機嫌であった。
自分の元に隣の小国から男の正妻が送られてくる。
それ自体がすでにアントーニョにとっては楽しくない。
世の中にはせっかく女と言う人種がいるのだ。
なのに何故自分と同じ性を持つごつい男を妻として迎えねばならないというのだ。
相手は14歳。まだ少年期を抜け出てはいないであろう年齢である。
しかし、腹心で軍務を一手に引き受ける幼馴染のギルベルトの弟は正妻と同じ14歳だがすでに筋骨隆々で、あそこまでではないとしても、そんなのを妻でございと送られても、正直嬉しくない。
それなのに、それが今日、形式上とは言え正妻と言う事で花嫁としての正装…ハッキリ言ってしまえば、ドレスを着て嫁いで来ると言うのだ。
なんの冗談だ?と言いたくなっても不思議ではないだろう。
それを花婿として出迎えろと言うのだから、断固拒否したいところだ。
しかしながら、それを敢えて出迎えろと言うギルベルトの進言も実に正しく仕方ない事もわかっているので、余計に苛つくのである。
今年21になるアントーニョは、身分の低い側室の子で、3歳で実母が亡くなったあとは、乳母がその妻であった縁で、当時将軍であったギルベルトの父に預けられて育った。
それはそれでアントーニョ的には特に問題もなく、もしそのまま平和であったなら、おそらくそのまま臣下に下がって、ギルベルトと共に前線を渡り歩く将軍の1人となっていただろう。
ところが世の中は色々あるもので、アントーニョが7歳の年、急死した父親の跡を継いで有力貴族の娘の腹の異母兄が王になった途端、太陽の国は各国から攻め入られて国土のほとんどを失い、ほぼ王都のみを残すような状態に陥り、5年後、アントーニョが12歳の年に、当の王が国を捨てて逃げ出した。
そこで次の王に誰を据えるかとなった時、ほとんど消えかけた王国の最後の王となる事を恐れて皆が尻ごみをする中、王家に忠誠を誓い命をかけている養父である将軍から推挙される形でアントーニョが王位につく事になる。
王城が落ちれば、あとは処刑されるだけの王…そう思えばこそ、他の兄弟も、その親族である有力な王族貴族も、誰もその即位に反対する者はいなかった。
そこからは苦難の連続である。
まず養父を中心に軍をたて直し、小さい戦を繰り返し、確実に勝ちを重ねて行き、そこから他国の信用を得て、マメに同盟を結び、共闘し、徐々に領土を取りかえしていく。
王国の正規軍が足りず、傭兵すら雇い、そこから優秀な者を取りたてて行くという形で兵を増やし、その数少ない兵を盛りたてるために、自らも何度も出陣した。
幸い幼い頃から軍人となるべく養父の将軍直々に鍛えられていたため、その頃には並大抵の大人でも太刀打ちできない剣技を見に付け、戦場における判断も的確で、常勝の将軍王として敵味方双方に名を馳せる事になる。
そうしてかつての国土以上の国土を手にした時にはもう、表立ってアントーニョの即位を覆す事など有力貴族達と言えど不可能になっていたので、今度は次代の王を自家から排出すべく、アントーニョの妃候補を巡って水面下で争いが起こっていた。
自分の娘に現王の子ども…つまり、未来の王になる子どもを産ませたい……そんな貴族達の思惑ゆえ、少年期から青年期になったアントーニョは徹底的に性生活を制限される事になる。
もちろんアントーニョはそんな王族貴族に反発。
こっそりお忍びで城下に遊びに行っては、先々で遊び相手をみつけては遊ぶ。
正直、城で由緒正しい貴族の出の側室達の相手をするよりも、街娘達といる方が楽しい。
身分の低い女の子どもが…と蔑んでいるような空気を微妙に隠しきれずに不自然な笑みを浮かべる側室達をだく気にはならず、身分を隠して行く街で、敬いもしない代わりに蔑みもしない、ただ、そこにいる整った顔立ちに人懐っこく見える性格の自分自身を気に入って一夜を共にしたがる娘達と情を交わす日々が続いていた。
そんな日々が終わりを迎えたのは、アントーニョが20歳を少し過ぎた頃だったか…。
その日も城を抜け出して街へ繰り出そうとしていたアントーニョは、とある貴族の家臣が同じようにこっそりと城を抜け出している現場に遭遇した。
何か秘密裏に、それこそ王家転覆でも計画しているのか…と、こっそり跡を付けて行くと、向かった先は城下にあるとある家。
その家には見覚えがあった。
確か数カ月も前に一夜を共にした娘が住んでいる家のはずである。
その時アントーニョは初めて知ったのだ。
これまで関係を持った中には当然男女の交わりの中で実を結んだ相手もいたらしい。
ところがそれらの娘達は全て側室達の親である貴族達に処分されていたというのだ。
正直、娘達には多少の憐憫がないわけではなかったが、しょせん一夜の遊び相手で心を移した相手ではなかったというのもあって、それほど衝撃を受けたわけではない。
なのにその腹にいた自分の子が殺されたと言うのは、実際に見たわけでもないのに、ひどくショックだった。
小さな命の芽が摘まれていた…その事に本当に耐えがたいほど悲しい気分になって、それ以来、アントーニョはこの街での遊びをピタリとやめたのであった。
そんなことがあって以来、アントーニョがますます自国の有力者の娘と交わる事が嫌になったのはごくごく自然なことである。。
それでも娘をアントーニョの正妻にと望む貴族王族達の争いは激化する一方で、これ以上正妻をおかねば国が分裂しかねないほどになりつつあった。
「どうしても…あいつらの中から正妻置くのは嫌やねん。
あいつらだけは嫌や。
どうしても正妻おかなあかんのやったら、余所からもらわれへん?」
アントーニョがそう相談した時、ギルベルトはそれを無理だと諦めろとは言えなかった。
この国が、そしてボロボロだった国を継いだアントーニョが一番大変だった時、有力な貴族や王族の大部分は縁のある近隣諸国へ逃げていたのだ。
その時のやりきれない気持ちは、その場にいてプライドも何もかも捨ててなりふり構わず一緒に国をたて直したギルベルトにはよくわかる。
しかし…今はこうして飛ぶ鳥を落とす勢いの太陽の国の王が敢えて余所から正妻を迎え入れるには、理由が足りない。
貴族達の中には他国と強い繋がりを持つ者の多くいて、その全てを敵に回すとさすがに太陽の国の常勝の将軍王と言えども辛い…。
どうするか……
「わかった…なんとかする…」
と、それでもアントーニョの意を汲んで、ギルベルトがギリギリ出来たのは、まだ国情が落ち着かない事を理由に、正規の正妻問題を他国から子を産まない前提の暫定的な正妻…つまり同性の正妻を迎え入れる事で、いったんは先送りにするという事までだった。
有力者達は良い顔はしないだろうが、しかし完全に正妻への道、しいては未来の王になる跡取りの外戚になる可能性が断たれるわけではないので、なんとか納得させられる。
そして暫定の正妻で時間を稼いでいる間に、貴族や親族である王族の力をなんとか弱め、王自身の権力を強めれば、あるいはアントーニョの望む正妻をつける事も不可能ではなくなるかもしれない…。
と、そのために随分と奔走したギルベルトの苦労がわかっているからこそ、アントーニョも強くは言えないわけなのだが、やはりごつい男のドレス姿など見たくはないと言えば見たくはないのである。
「……せやから、会う必要なんてないやん?!
なんで親分がわざわざ顔見せたらなあかんねんっ!
どうせ向こうかて、こっちを利用するため来とるんやろうし、こっちも同じ、形式的なもんやろ?!
普通にそれなりの部屋与えてそこに放り込んでそれなりの飯食わせて死なへんように預かっとけばええやんっ」
これが美しくも愛らしい姫だと言われれば城門まで出迎えて自らの手で馬車から降ろして労わりつつ部屋まで案内してやる事もやぶさかではないのだが、さすがにムキムキにドレスをまとった相手にそれをやる気は起きず、最低限の目通しをとひっぱって来られた謁見室で、避けられないものと諦めながらも――諦めていなければ例えギルベルトと言えどもアントーニョをここまで引っ張ってくる事はできないだろう――、アントーニョはまだ往生際悪く悪態をついた。
その直後だった。
ドアの向こうでざわめきが広がった。
どうやら正妻を連れた兵がすでに部屋の前まで来ていたらしい。
もしかして今の会話を聞かれたか?と一瞬思い、しかしすぐ、まあええか…と、開き直る。
慌てて飛び出そうとするギルベルトを制して、アントーニョは玉座から立ち上がってドアに向かった。
ドアの向こうでは会話を聞いて正妻が怒っているのかもしれないが、こちらは大国、あちらは小国。
別にこちら側としては緑の国ごときと同盟を結ばないでも全く困らないのだ。
あまりにうるさいようなら、破談にでもなんでもして、他国から同様に嫁をもらいなおせばいいだけだ。
そんな事を考えながら、
「騒々しいでっ!」
と、アントーニョは謁見室のドアを乱暴に開いた。
………
………
………
…?!!!
まず目に入ってきたのはふんわりと床に広がる薄いベール。
大理石の床に広がるレースの波の中に浮かび上がるのは、乱暴に触れれば壊れてしまいそうな、華奢な肢体。
全体的にはっきりした色合いや気配のなかで、そこだけはふんわりと空気に溶け込んで消えてしまいそうな儚い雰囲気を醸し出している。
……近づくな…関わったら、触れたらあかん……
何かが圧倒的に変わってしまいそうな予感に、アントーニョの脳内で本能が警告を発する。
なのに歩み寄る足を、伸ばす手を、止める事がどうしてもできない。
アントーニョは兵士の1人に半身を支えられているその小さな花嫁の前に膝を付き、そっと手を伸ばし、フェイスダウンされているベールを震える手でめくった。
…ああ…出会ってしまった……
絶望なのか歓喜なのかわからない、何か堪えようのない激しい感情が心の内を駆け巡り、感情の奔流に巻き込まれて一瞬思考が停止する。
花嫁は清く純粋で…しかし華奢で薄幸そうで儚かった。
レースの中に散る金色の髪。
透けるように白い肌。
大きな目は閉じられたままの瞼の下だが、その代わりに驚くほど長いまつげがその下で光っている。
そして何か悲しい事でもあったのだろうか…その睫毛の先で光る透明な滴。
濡れたまま未だ乾かぬ青白い頬を見た瞬間、ズキリと心臓がきしんだ気がした。
「…自分ら……ふざけた真似はしてへんやんな?」
静かに…しかし一気に膨れ上がる殺気に兵士達は一斉に凍りつく。
気押されて口を開く事すら出来ない兵士達に、若き武闘派の王の殺気がさらに増し、あと一歩で爆発するのでは…と思われた瞬間、ポン、と、敢えてその空気を破って、忠実にして勇気ある腹心が王の肩に手を置いて声をかけた。
「俺は任務中にくだらねえ私語を言うようには兵をしつけてねえよ。
ルッツみてえに軍人一家で育てば別だが、14っつったら、まだガキだろ。
不安に泣けるくらいあるだろうよ。
言っとくけど…傍から見たら、俺らはおっかねえ武闘派国家だからな。
後宮育ちの箱入り様からしたら、鬼の巣に生贄に送られるくらいな感覚かもしんねえぞ。」
と、そこまではアントーニョに言い、その後、今度は兵を振り返って
「どうでも良いけど、おひいさん部屋に運んで医者呼んどけ。」
と、命じる。
「は、はいっ!!」
と、それまで固まっていた兵士達は指示を与えられた事にホッとして一部は駆け出していき、しかし花嫁を支えていた兵がそのままその身体を抱えあげようとすると、ひどくピリピリした様子の王が、奪うようにそれを引き寄せてだき上げた。
そうして完全に少年を自らの手のうちに抱え込むと、アントーニョは、ほぅ…と充足のため息をついた。
日々戦場を渡り歩き重量武器を振り回していた王からすると、ないにも等しい、まるで羽のように軽い体重。
幾重にも重なった薄いレースに包まれているせいか、ひどく手ごたえがない頼りないまでの柔らかさ。
少し顔を寄せれば、花の香りが鼻腔をくすぐる。
小さく頼りなく…自分の手の内にすっぽりとおさまってしまう花嫁…。
キラキラと愛らしい、柔らかな光を放っているような伴侶がそこにいる。
そんな目の前の現実にアントーニョの気分は一気に高揚した。
…ああ…可愛え……
まるで宝物を手にした子どものように、王はこれ以上なく機嫌良く花嫁をだいたまま、
「あ、医者は親分の寝室に寄越したってな。
後宮は遠いし、お姫さんはいったんそっちに運ぶさかい。」
と、有無を言わせずギルベルトに言いおいて、軽い足取りで歩を進める。
「げ、マジかよっ!おい、伝令っ、伝えてこいっ!!」
それを聞いて焦って命じるギルベルトの言葉に、兵士の1人が慌てて走っていくのを見送って、ギルベルトは自分もアントーニョの跡を追った。
「ちょ、待てよっ!お前ん部屋運ぶのは良いけど、そこからまた移すのか?
それよか、近場に部屋用意させた方が良くねえか?」
倒れたと言う事は相手は曲がりなりにも病人だ。
あまりあちこち移動させるのは宜しくない。
そう思って提言すると、アントーニョは極々当たり前のような調子で
「移さへんよ~」
と答える。
「へ?じゃあお前どこに寝んだよ?」
「この子の状態が落ち着くまでは心配やし寝られへんやん。
落ち付いたら…戻せばええやろ?」
「寝られねえって…そういうわけには……」
「まあ…別に落ち付いたあとかて一緒に寝たってもええんやけどな。
親分のベッド広いし…」
鼻歌でも歌いそうな上機嫌さでそう言うアントーニョにギルベルトは内心呆れかえる。
つい先ほどまで会うのが…というか、視界に入れるのが嫌だとごねてなかったか?
そう突っ込みをいれたいのは山々だが、痛い目を見るのは目に見えている気がするので、ギルベルトはグッとその言葉を飲み込んだ。
こうして着いた王の寝室。
他の家具にはさして興味もなく希望も述べなかった王が唯一それだけはこだわったベッド。
寝る事が大好きなこの男らしく、日中でも日を遮る事ができるように厚い布の天蓋のついていて、大の大人が数人余裕で眠れるくらいの広さがある。
その広い広いベッドに横たわらせると、小さな花嫁はさらに小さく見えた。
「あ…着替え後宮か。
ほな、今は親分のに着替えさせたろ。」
ほとんど国が滅びかけていると言う非常時に即位したアントーニョは、未だに着替えなどの自分の身の回りの事は自分でやりたい派なので、洗濯した着替えはクローゼットに収納されている。
なので、そのクローゼットの中から当たり前に自分の寝間着をとり出した。
そしてそこはそれまでの火遊びのせいですっかり手慣れた様子で花嫁のドレスを脱がせ、コルセットを外し、寝間着を着させてやるが、案の定まるで子どもが大人の服を着ているがごとくブカブカで、余計に幼さを際立たせる。
「あかん…可愛え……」
赤く染まった顔を片手で覆ってそう言ったきり絶句するアントーニョに、――ああ、そう言えばこいつペド疑惑があがるくれえ小動物やガキ好きだったな…――と、ギルベルトは遠い目をしてため息をついた。
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