彼女が彼に恋した時_14_5

──この度は申し訳ありませんでした。二度と姿は見せません。

最初病院の廊下でそう言われた時には、正直何に対して謝罪されているのかわからなかった。
自分だけかと思えば、隣の鱗滝君もきょとんとしている。

おそらく全ての事情をわかっているのであろう村田君は、珍しく他人に寄り添うことなく、生田須美様…となっている面会謝絶の病室へと籠ってしまったので、義勇は貞子が事情を話してくれるのを待つしかなかった。


2人して無言で戸惑っていると、貞子は鱗滝君に視線を向けて、それから少し困った顔で義勇に視線を移すということを繰り返していて、何か考え込んでいる。

そんな感じでなかなか話が進まないので、今回に関しては義勇と同じくらい状況を知らないらしい鱗滝君が、完全に止まった空気を破るように、

──不死川じゃなくて…生田さんになったんだな。お母さんの旧姓とか?
と、ちらりと寿美の病室の名札に視線を向けて言う。

それに貞子は頷いた。

──父が逮捕されて母との離婚が成立したから…犠牲はすごかったけど……
と、そこで何かこみあげてきたように、涙を零した。

──本当なら…私が残るべきだったし、私が怪我をするべきだったっ…
感情を吐き出すように言う貞子。

それに鱗滝君が動き出す前に、義勇はポケットから自分のハンカチを取り出して、貞子に差し出す。

そこは…こんな時にそれか?と自分でも思わなくはないのだが、鱗滝君がハンカチを差し出す相手は自分だけが良いので、なんならこのハンカチが返ってこなくてもまだ差し出せるように、義勇はハンカチを3枚用意していた。

しかし貞子はそれを受取ろうとはせず、ただ首を横に振るので、
(よもや、鱗滝君のハンカチじゃないと嫌とかっ?!!)
などと義勇は思ったわけなのだが、そういうわけじゃないらしい。

ただ、…ごめんなさい、…ごめんなさい……と繰り返しながらしばらく泣いていたが、やがて落ち着いたのか、大きく息をしたあとに、

──あの日…わざと実弥兄ちゃんを残して、冨岡先輩と接触させようとしてました。申し訳ありません…

と、頭を下げて来た。


え??とびっくり眼の義勇。
しかし隣の鱗滝君はそれをある程度予測していたのか、綺麗な形の太めの眉を寄せて、何かを堪えるように目をつむる。

そして、言う。

──こちらの精神衛生上宜しくない。詳細は言わないでくれ。

いつでもなんでも物事ははっきりとしたい彼にしては珍しいな…と、貞子の懺悔は衝撃的と言えば衝撃的だったのだが、義勇としてはそちらの方がより気になったのだが、あとでそれを伊黒君に話したら、

「その場合の”こちらの”と言うのは錆兎自身じゃなく、お前のと言う意味だろう。
錆兎は自分の感情よりも不死川の妹の悪意というものをお前にリアルに実感させないことを優先したんだ。
どうしても詳細を知りたければあとで宇髄あたりを突けば情報は出てくるだろうからな。
俺が同じ立場だったとしても同じ選択をしたな」
と言っていた。

なるほど。
さすが鱗滝君。優しくて賢いな…と、義勇はそれに感動する。
そして、自分の恋人が彼みたいな人で本当に幸せだ、と、実感したのであった。


まあ、そんな後日談はおいておいて、貞子に最後に会った当日に話を戻す。

結局、そのあたりはさらっと説明を受けたのだが、貞子はやっぱり鱗滝君のことが好きだったらしい。
そして義勇が不死川とくっついてくれれば、鱗滝君がフリーになると思ったとのことだった。

驚いたことに不死川本人が繰り返し主張していた、奴が義勇のことをずっと好きだったというのは本当で、貞子と寿美の姉妹は、不死川のこれまでの行動を考えると、その恋が実る事はありえないとは日々忠告はしていたらしい。

しかし途中で鱗滝君のことで貞子が脱落したため、寿美が一人で色々注意はしていてくれていたようだ。

今回寿美だけ不死川家に残ったのも、退学に追い込めたとしても、不死川は出歩ければ通学時などに付きまとって迷惑をかけるから…というもので、なんだか詳細は教えてくれなかったが不死川を自宅に籠らせることに成功したため、寿美もそろそろ母親の元へ逃げようとしていた矢先のことだったらしい。


不死川家は元々は長子の実弥と同様、父親が話を聞かない男で、他に好きな相手が居た母親に片思いし続けた父親が半ば無理やり母親と結婚したこともあって、その母親が逃げたことで父親が日々荒れていて、その暴力の矛先が子どもに向かっていた。

普段なら上の男二人が下の弟妹をかばっていたのだが、長子の実弥が引きこもってしまったことで、次子の玄弥が自分も暴力を受けながらも妹の寿美をかばって亡くなったらしい。

かばわれた寿美も意識不明の重体。

貞子に言わせると本来なら長女である自分が残るべきところだったのだが、前回のことで自分は完全に寿美の信頼を失ってしまって寿美が残ったためにこうなった。
本来なら自分が寿美の代わりに怪我をするべきだった…

というのだが、義勇に言わせればそもそもが怪我をさせられることが前提なのがおかしい。


鱗滝君も同じことを思ったらしく、

──誰が、じゃなくて、そもそもが誰かが暴力を受けて怪我をさせられるという環境自体がおかしいな…
と、やや呆れ気味に言った。


それに泣きながら苦笑する貞子。

「私達にとって…それが当たり前の日常だったから…。
誰か守ってくれそうな人をみつけて…逃げたかった…。
ずっと好きだった男の子とか親友とか…みんなが居なくなった時にそこになんでもできる先輩がいたから…勝手に夢みちゃって、上手くいかなくて…
自分さえ逃げられればもう誰が不幸になってもいいって思ってたら、寿美に迷惑かけちゃった…。
あの子、いつだって自分は自分以外のことなんてどうでもいいって言ってたのに、一番みんなのこと考えてくれる子だった…。
私の事も…逃がしてくれるつもりだったの。
父さんや兄ちゃん達から物理的にというだけじゃなくて…先輩達の悪評からも…。
本当は私が黒幕だってこと言わずに、でも兄ちゃん達が先輩達に迷惑かけたりしないようにって自分が残ってしりぬぐいしてくれた。
他なんてどうでもいいっていつも言ってるのに、うちの中で唯一の良心だった」

「…それ…別に言わなければ知られずに済んだのに…実際に一度は言わないまま去ったのに、どうして今になって?」

貞子の言葉に鱗滝君が聞くと、貞子は少し視線を落とした。

「村田さんだけを呼んだはずなのに、鱗滝先輩まで来たから…。
なんか神様に悪いことを隠しちゃだめなんだって言われてる気がして…
全部打ち明けて鱗滝先輩に軽蔑されて、今後近づこうとしても絶対に近づけない…そういう状況にすることが、寿美の目指したところでもあるのかなって思ったし…」

「確かにな…俺は姉のように育った従姉妹にも常々恋愛ごとに疎いと言われていて本当に気づかないほうだから言われなければわからなかったんだが……正直引いている。
義勇に危害を向けられた怒りというのを別にしても、そこまでしてしまう人間が少し怖いし気持ち悪い。
この感情は義勇のせいじゃなくて…彼女が居ても居なくても俺はそう感じると思う。
社会的、表面的には万人に親切にはするように育っているが、俺は実はそういう神経質で気難しい人間だ。
だから…大勢の中の知り合いとして付き合うには良いかもしれないが、1対1でつきあうとなったら、気が合う人間は少ない。
一般的には貞子はよく気がつくお嬢さんなのかもしれないが、そう言うタイプほど俺には無理だし向かないと思う。
義勇のように良く言えばおおらかで悪く言えば細かいところに気がつかない、そういう大雑把な相手が良いんだ。
性格の向き不向きはもうどうしようもないし、義勇が居ようが居まいが、俺は自分が色々考えて動いてしまいたい人間だから、たぶん貞子のように色々察してくれてしまうタイプは落ち着かないし、付き合えない。
気づかない俺も悪いのかもしれないが、初めにそうと言ってくれれば、そうやって説明も出来たと思う。
ということで…義勇に関しての諸々は悪いが許せないし、俺とは合わないということも再認識した。
だが、俺に対して騙したとか負い目とかは感じないでいい」

考え考えとつとつとそう言う鱗滝君に、貞子は小さく笑った。

そして何故か義勇に視線を向けた。

「もうお詫びも受けたくないかもしれませんけど…一方的にお詫びとして今の鱗滝先輩の発言について解説しますね。
ようは…完全拒絶して私を追い詰めすぎると失うものがなくなった私がまた暴走して冨岡先輩の方に行っちゃうと怖いから、自分に関しては気にすることはないという逃げ道を残しておいた。
でも、恋愛的には私みたいなタイプは絶対に無理。
ただしそれは冨岡先輩とは全く無関係で、私と鱗滝先輩の相性の問題だから、冨岡先輩のほうには行くなよ?…ってことだと思いますよ」

義勇には全くわからなかったのだが、鱗滝君の言葉の真意はまさにそういうことだったらしい。

彼は大きくため息をついて
「俺は行動も言動も全て見透かされる相手よりは全く通じない相手の方がまだいい」
と頭を掻く。

しかし、しかしだ。

その言葉通りだとすると…
──鱗滝君、もしかして私のこと、すごく察しの悪い子だと思ってる?

それは由々しき問題だ。
そう思って義勇が少し眉を寄せつつ見上げると、鱗滝君は

──そういうタイプである義勇が好きだ…ということで、納得してもらえないか?
と、困ったように眉尻を下げて言う。

ああ、ずるい。
そんな言い方をされれば彼のことが大好きな義勇としては怒れないじゃないか。

結局
──…仕方ないな。
で許してしまうあたり、本当に自分は彼が好きすぎると義勇は思ったのである。







2 件のコメント :

  1. あの、思ったんですけど、実弥が生き残ったという事は、この時点で12月になっていなければ彼は12歳の中学1年生で、父親が逮捕されたら母親が引き取ることになりますよね?それって寿美的には最悪では?命がけで立ち回ったのに一番厄介なのが合流してきたら意味無いじゃん!施設預かりの手もあるけど、あの母親が寿美の説得無しの状態で引き取り拒否を出来るでしょうか?拒否されたらされたで実弥、傷ついて荒れ狂うだろうなぁ。今は玄弥の死と寿美の容態に責任感じてうちひしがれているだろうけど。本来なら流石に気の毒に思うところなんだけど、義勇への数々の仕打ちのせいで可哀相と思えない。それより天元や錆兎を頼って来るなよとしか思わない私って鬼👹でしょうか?

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    1. 一応…最終回のネタバレになりますが、実弥は母親が他の子を全員連れて逃げてしまったため、父方の祖父母にとって唯一の孫になるので、父方祖父母が引き取ることになります😀

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