鱗滝先輩狙いだとしたら、まあ仕方がない…と寿美は思っていた。
だって先輩は姉が求める要素をあまりに持ち合わせすぎている。
包容力って言うの?
もうそんなのビシバシ感じるし?
なにしろ6年間、皆が見て見ぬふりをしてきた長兄の冨岡さんへの暴力を一人で完全に封じ込めた実力者だ。
その迷惑野郎の妹に言われたくはないだろうが、あっぱれな男だと思う。
みんな長兄のターゲットになるのが怖くて、目を背けていたせいで、犠牲者が実はめちゃ可愛い少女だったことになんて、イジメてた長兄以外は最近まで気づいていなかったんじゃないかと思う。
鱗滝先輩がピシッと守っているから、美少女冨岡さんは元々はそうだったんだろう、おっとりと優しい深窓の令嬢オーラを振りまきながら、いつもふわふわと幸せそうに笑っている。
うん、本当に幸せを絵に描いたような感じ。
その幸せなポジションに自分が代わって立ちたいという女子も少なくはないだろうが、寿美なら頼まれてもゴメンだ。
だって僻まれる要素満載だ。
誰にどんな追い落としをかけられるかもわからない。
そのくらいなら、容姿は不快感がないくらいの良くも悪くもない普通の容姿で、そんな出来すぎ男達を友人に持ち、何かあったら率先して助けてもらえるような凡人の彼女とかの方が幸せになれる気がする。
マイナス要素ばかり満載の家族の中でのサバイバルで育ってくると、恋愛なんてきらめきよりもいかに平和に過ごせるかに重きを置いてしまう。
自分が攻撃される要素の多い恋なんて、どれだけキラキラしくても絶対に嫌だ。
……と、寿美は思って生きて来たわけなのだが、姉は違ったらしい。
いや、元々は同級生の可も不可もなく実直そうな男子が好きだったのだから、そうだったのかもしれない。
単に長兄と父のことで陥れられてその男子に暴言を吐かれて振り切れてしまったのか…。
今の姉は間違いなく鱗滝先輩の彼女の座を狙っているのだと思う。
まあそれはいい。
みたところ、元々料理上手で気の付く長女としての女子力を見せつけて、冨岡さんの方にプレッシャーを与えて、先輩との別れをきりださせることを目指しているようだったから。
もしそれで彼女が自分じゃ鱗滝先輩にふさわしくないと別れを切り出して別れたところで、別に姉は彼女の方に自分の女子力を披露していただけで、誰を攻撃したわけでもない。
毎朝張り切って焼き菓子を焼いている姉を横目に、たまにそのご相伴に預かりつつ、寿美はそんな姉の様子を生温かい目で眺めていた。
自分に利すること以外すべてに興味がない寿美ではあったが、兄弟姉妹の中で唯一、姉の貞子にだけはわずかばかりの恩義のような堅苦しい善意を持っていたので、最初は少しくらいなら協力してやっても良いとさえ思って居た。
何故なら自分達は年子で、だが、長女としての義務や責任は姉の方が全て完全に背負っていたからだ。
勝手に背負っていると言えばそれまでなのだが、例えば年の離れた末の妹のことが『姉ちゃんは姉ちゃんだから大丈夫』と信じているほどには純粋に強い目上とは思って居ない。
ほぼ同い年のようなものなのでそれを背負うにはまだ辛い年なのだという事はわかるのである。
しかし、DV野郎の父と、その父の背中を見て育ったせいかすぐに暴力に走る兄二人、本人が問題行動をとるわけではなくとも、その父と共依存で父から離れられない母に、まだ幼い弟妹達という機能不全の家庭で、姉が姉と言う立場を放り出してしまったら、一気に色々が壊れて砕け散る気がした。
たぶんそれを本人も意識的にか無意識にか感じていたから手放せなかったのであろう長女の責任。
それをじゃあ自分が?と思えばぞっとする。
そんなことを思いながらキラキラしい先輩達カップルを見てみれば、強く賢く優しい鱗滝先輩に大切に大切に守られている冨岡さんは、まあまあ裕福なご家庭で、両親と年の離れた姉に大切に大切に慈しまれて育った綺麗なお嬢さんだ。
自分達にとって家族は重石でしかないのに、彼女にとっての家族は自分を守ってくれるとても頼りになる存在なのである。
幸せな家庭を持っていて彼氏も完璧で…ついでに本人もとても愛らしく生まれついてる。
世の中恵まれた巡り合わせの人間っているもんなんだなぁ…と寿美はため息交じりに思うわけなのだが、寿美以上に全てに恵まれずに生きて来た姉がその事実を認めることはできたとしても、許すことができなかったのは、まあわからないでもない。
だからそれだけ色々持っているなら素敵な彼氏くらい譲ってくれても…と思うまでなら、目をつぶる。
だが、プラス部分をくれというのではなく、相手を敢えてマイナスに突き落とすような真似をと言うと話は別だ。
それは姉本人だけではなく、その家族で彼女を構成する集団の一員とみなされる弟妹にとっても諸刃の剣となるのだから。
プラスが欲しいのかマイナスに突き落としたいのか…それによって寿美の人生の中で姉を切り捨てるかどうかが決まるところだったのだが、その判断が難しく、なかなか出来ないまま、姉が行動に移す時が来てしまったようだ。
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