空が紅く燃えている。
本当に綺麗な夕焼けだ。
町中で見ても十分綺麗だが、狭霧山で見た夕焼けはもっと綺麗だった…と、錆兎は幼く幸せな日々を思い出す。
木と川と岩の他は何もない山の上のほったて小屋。
あれからもう何年もたって、戦って戦って生き残り続けていたらいつのまにやら、鬼殺隊の中の隠密部隊、”影”の中の頂点にあたる【影柱】となり、立派な屋敷まで与えられるまでになった。
が、いま、その豪奢な館の縁側で見ている夕日よりも、あのほったて小屋の前で見た夕日のほうが何倍も美しかったように思う。
それはきっと、誰より大切な幼馴染と手をつないで一緒に同じものを眺めていたからだろう。
今となっては夜の帳が降りて義勇が眠りに落ちてから、幻術で夢として言葉を交わすことしかできなくなってしまったが…。
そう…もう手をつないで一緒に夕日を眺める日が来ることはないのだ。
──錆兎…今日は義勇が出るよ。行くんでしょ?
錆兎がそんな風に感傷に浸っていると、いつのまにやら後ろに控えていた真菰が声をかけてくる。
「おう、悪い。そろそろ出る」
どうも夕暮れ時は感傷的になっていけない。
昔の義勇を惜しんで今の義勇の護衛がおろそかになどなったら、本末転倒だ。
少しうるみかけた目元をぐいっと羽織の袖口で拭うと、錆兎はクルリと夕陽に背を向けた。
そう、何を悲しむ事があるというのだ。
たとえ共に陽を見る事ができなかったとしても、今の自分は【水柱】に就任した義勇の専属の護衛、【水の影柱】だ。
義勇が生きている。
そして【水柱】にまでなっていて、自分はそれを一生守っていける。
これはあの日、自分が望んだ最良の未来だったはずだ。
義勇を生かすためなら、自らが暗い世界に落ちようと構わない。
どんな犠牲でも払おうと、13の年にした決意は今も変わることはない。
錆兎はそのことを改めて思い、草履に足を入れた。
今日は義勇が出動する事になっている。
なので、必然的にその【影柱】である錆兎も出動だ。
さらにその【影柱】である錆兎の今日の随行員は真菰。
手足として使える4人の補佐役の1人である。
館にはその他に雑務を受け持つ”影”が7人ほど。
補佐役が死ねばその7人の中から補完することになる。
実はその11人は皆、鱗滝の元から”影”に身を投じた兄弟子達だ。
兄弟子の中では唯一、錆兎の前の【影柱】の危険な任務に随行した兄弟子が、その【影柱】と共に命を落としているが、その後を継いで錆兎が【影柱】になってもう5年。
それからはまだ、1人も欠けてはいない。
5年もの間【影柱】を含めてその下の”影”達が誰も死なぬのは非常に珍しい。
もうその地位についてから8年にもなる最古参の【影柱】の下の“影”達でさえ1年に半数以上は入れ替わっているので、錆兎のこれは“影”の歴史の中でも快挙と言われている。
それは錆兎をこの世界へと導いた兄弟子がその折に口にしたように、死ぬために生きると言われていた”影”達に生きる希望と光をあたえる事になった。
「蓮之さんのとこ…手足3本もげたんだって。
大変だよね…」
まだ若干明るさの残る夕方の町中で、小柄な真菰は小走りで錆兎についていく。
それでも呼吸一つ乱れることなく、ゆっくりと歩いている時に暇つぶしに口に乗せるような調子で、真菰はおしゃべりと言うには少々物騒な世間話を始めた。
影のしごとは、【柱】の護衛が始まってしまうと自分達のミス一つで鬼殺隊の隊員達の士気を左右させかねない緊張感を伴うものなので、それまでは雑談でもしながらなるべくリラックスさせて…という姉弟子の気遣いであることはわかるのだが、それは気を紛らわすための雑談の話題としてはいかがなものだろうか…と、錆兎は思う。
もちろんそれは心のなかで思うだけで口に出すことなどはしやしないが…。
「それは…辛いな」
「うん…」
手足がもげるというのは、文字とおり自分の手足を失うというものではなく、手足として使っている補佐役が死ぬということだ。
4人のうち3人が死ぬということは、半数以上が新しい人員に入れ替わるということで、築いてきた人間関係やら共有できていた情報ややり方などを、もう一度作り直すことになる。
もちろん表の隊員達以上に情を捨てざるを得ない”影”とは言え、常にそばにあった気心の知れた人間がいきなりそんな形でいなくなるというのは、精神的にも辛い。
幸いにして錆兎は今までそんな思いをせずに済んでいるのだが……
「俺は…運が良かったな」
と、錆兎はその自分の状況をそう口にした。
「…運……なの?」
と、その錆兎に真菰はこくんと子どもじみた様子で小首をかしげる。
「ああ。運だろ。
たまたま良い師匠に恵まれて、良い兄弟子、良い姉弟子に恵まれた。
で、俺は弟弟子だから”影”に入る前から彼らが色々助けてくれて、【影柱】になった今も、弟弟子の俺の下で嫌がることなく助けてくれている。
ありがたいことだ」
と、こんなことを当たり前に口にしてしまうのが、自分達が自分達を追い越していってしまった弟弟子の下で彼を支えようとおもう要因の一つだということを、本人は気づいているのだろうか…と、真菰は思う。
錆兎を”影”に勧誘した、唯一亡くなってしまった兄弟子が言っていたが、錆兎のこういうところが本当に”影”らしくない。
錆兎が”影”になる前は、兄弟子たちももう少し”影”らしく殺伐としていたんだけどな…
と、目上に支えたいと思わせてしまう錆兎のカリスマ性が絆を強くすることで死人がでにくくなっているのは確かだと、真菰はそんなことを思う。
濃い闇色の髪の多いこの国では目立つ明るい色合いの髪。
亡き兄弟子の言っていた通り、錆兎は”影”を照らし導く太陽のようだ…
死なせてはならない…
みんなそう思って、頑張っているのだ。
それが良い結果につながっているのだと思った。
真菰がそんなことを考えていると、それとな、と、若干硬い声で錆兎が続けた。
「俺達は…まだ上弦と遭遇してない。
前任の水付きの【影柱】は上弦の肆と遭遇して前任の【水柱】を逃し切ることもできずに一緒に死んでるしな…。
あとは今の【蟲柱】の姉で前任の【花柱】もその【影柱】と共に、上弦の弐に殺されている。
代々【柱】が死ぬのは上弦戦がほとんどだからな。
遭遇しちまったら倒せるかわからない。
だから敵う相手じゃないとわかったその時は…」
「……その時は?」
「俺が絶対に活路を開く。
その間に真菰が義勇を誘導してくれ。
絶対に俺に構うな。
二兎を追えば一兎も救えない」
「…錆兎がいると思えば義勇は撤退しそうにないものね。
了解。
戦いでは力になれないけど、幻術ならばっちりだよ。
義勇が錆兎に気づく前に、幻術を発動させるね」
にこりとなんでもないことのように了承する真菰。
ただ、そこは姉弟子。
ちくりと一言。
「でもそれは、どうやっても敵わなくて、どうやっても二兎追えない時だけだよ。
もし頑張れば倒せるなら…2人で倒しなよ?」
「…え?」
錆兎の足が初めてピタリと止まった。
ゆっくりと真菰を振り返ると、真菰はやはりにっこりと愛らしい笑みを浮かべて言う。
「いい加減、義勇にもやらせなね?
あの子はもう泣き虫なお子さんじゃないよ?鬼殺隊の【水柱】だよ?
あんたが望んだ通り、他をかなぐり捨ててひたすら頑張って強くなったんだから、いい加減、背中に隠すんじゃなくて、背中を預けてあげないとダメだよ?
もうずっと昔から言ってるけど…違う人間なんだから、絶対に死ぬまで一緒とは限らないの。
なのに、全部やってもらうことに馴れさせちゃったら、何かあった時に困るのは義勇だよ?
生活面は…もう仕方ない。
あんたに何かあっても私がやるし、その時点で私に何かあったら託す相手くらいはみつけてあげるけど、戦闘に関しては義勇はもうちゃんと戦える子に育ったんだからね?」
「…でも俺たちは……」
「あ~はいはい。
記憶操作なら真菰お姉ちゃんに任せなさい。
幻術だけなら錆兎より上なんだからね。
義勇の記憶はちゃんと封じておいてあげるから、あとのことは考えないで、夢の共闘しちゃいなさい。
…ひそかにずっと夢だったんでしょ?義勇に【水柱】を目指させた頃から…」
ああ、たしかにそうだ。
考えないようにはしていたが、元々は隣に並んで鱗滝に稽古をつけてもらっていたのだ。
力の差が歴然としてきた頃にはあまり考えもしなかったが、ひたすらに剣術にだけうちこむようになった義勇が力をつけてきた頃から、並んで刀を振るいたいと何度も思った。
自分から光の世界を捨てたにも関わらず、あの時点ではそれが唯一義勇を守れる最良の選択だったと今でも思っているにも関わらず、それでも光ある世界に戻りたいと切望してしまう瞬間があったのは事実だ。
それを口にすると、今“影”として自分を支えてくれている兄弟子たちに申し訳なくて、絶対に口にすることもなく、気付かれないようにはしていたのだけれど……
「…本当に…真菰にはかなわないな……」
と、錆兎が苦笑すると、
「私のほうがお姉ちゃんなんだよ?
弟たちの考えることなんてお見通しだよ」
と、真菰はフフンと笑ってみせる。
幻術の中でも記憶の封じ込めはとてもむずかしい。
子どもの頃ならまだ夢と納得してくれるが、おとなになれば状況の不自然さを感じて考えれば暗示が解かれてしまうことがままある。
それを解かれないと思えるレベルまでの能力を、戦闘ではやや劣る自覚のある真菰は血のにじむような努力をして身につけてくれたのだろう。
自分は本当に環境に…先輩弟子に恵まれている。
錆兎は改めてそう思った。
「上弦を倒せたなら…快挙だな…」
あえて礼は言わない。
錆兎が思っていることは真菰はわかっている。
だから錆兎はそれだけ言ってまた前を向くと、あるき始めた。
「そうだねっ」
と、真菰もソレ以上追求することなく、またぴょんぴょんと飛び跳ねながら、それについていく。
前を歩く弟弟子の目が少し潤んでいることを知っているから…
”男としての矜持”を誰より大切にしている彼がそれに気づかれたくないのも知っているから…
それに気づかぬふりで、ただ後ろからついていった。
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