幸せ行きの薬_38_悲しい思い出

…あ、気づいたよ……

誰かに抱かれている。
錆兎よりもだいぶん小さくて柔らかいその感触には覚えがあった。

そして、小さく目を開けかけた時に聞こえてきたその声でぎゆうは確信した。
…真菰だ……

錆兎は…?
と気にする暇もなく、その真菰の声に

──ほんとかっ?!!
と、錆兎の声。

普段なら言葉と同時くらいに飛んでくる行動派なのに…?と不思議に思って声の方に視線を向けると、なんと頭や腕に包帯を巻いた錆兎がベッドの上で半身を起こしている。

え?ええ???

──ふぎゃあ~!!!
と、全身の毛を逆立たせて真菰の手から抜け出すと、ぎゆうは錆兎のいるベッドに飛び乗った。


──…ぎゆう…良かった。どこか痛いところとかないか?大丈夫か?
と、錆兎はボロボロ泣きながら包帯をしていない方の手で義勇を抱きしめる。

大丈夫じゃないのは自分じゃなくて錆兎の方だ!と思うのだが、猫の姿では何も伝えられない。
ただ子どものように泣く錆兎を慰めたくて、ぎゆうは涙が伝う頬をぺろぺろと舐めた。


「色々大変だったんだよ…」
と、真菰が話してくれたところによると、手から飛び出したぎゆうを追いかけていた錆兎の目の先で、袋を持ってこっそり付け回していたマリにぎゆうを拉致されて、それを取り戻すべく追いかけたとのことだ。

錆兎は運動神経がとてもよろしい成人男性でマリは女性でさらに荷物…ぎゆうの入った袋を抱えている。

追いつかれないように大通りに出て、そして逃げ切ろうと車の方が止まるだろうと思ったのか交通量が多い道路に飛び出して、当たり前に止まれない車に跳ね飛ばされたらしい。

マリが車にぶつかってぎゆうの入った袋が車道に転がって、それが轢かれない様にと飛び出した錆兎が自分の体を盾にして、こちらも車に引かれたとのことだ。

その結果が今のこの姿なわけだが……


幸いにして錆兎が轢かれたのはマリの事故が先でそれを視認してスピードを落とした車だったので腕を骨折したのと、全身打撲と額の擦り傷で済んで、ぎゆうはマリが拉致した時にぎゆうが暴れても大丈夫なようにとずいぶんと分厚いクッション入りの袋を用意していたため、道路に放り出されても怪我一つなかったようである。

そしてそこに来た車からは錆兎が体を張って守ってくれたわけで……

結局錆兎を少しでも幸せにと思った行動で錆兎に大怪我をさせたことが不甲斐なくて、申し訳なくて、にゃあにゃあ鳴いたが、錆兎はそんなぎゆうの気持ちをやっぱりわかってくれているかのように、
──違う…お前のせいじゃない……
と、泣きながら首を横に振った。

しかし続く言葉が
──お前が逃げたくなるような俺が悪い……
…で、ぎゆうは心底困ってしまう。


にゃあ…と必死にとめどもなく溢れ出る錆兎の涙を舐めとっていると、
──いきなりそんなこと言われてぎゆうも困ってるよ。
と、真菰が苦笑した。

そうして
「とりあえずぎゆうが人間に戻れない状態ならあんたが世話しないといけないんだから、さっさと怪我治しなね。
とりあえず水分補給。ほら、水」
と、錆兎にペットボトルの水をわたして、いったんぎゆうを自分が抱き上げる。

そのままぎゆうの顔がよく見える位置にかかえあげると、綺麗な青だね、と、真菰が笑った。


「でもこれが錆兎のトラウマでもあるんだけどねぇ…。
あのね、ぎゆう。
錆兎にとっては同性だとかあんまり問題じゃないんだよ。
昔々錆兎にとって一番大切だったのは7歳年下の青い目の小さな妹でね。
あたしたちのおじいちゃんが当時社長で結構なお金持ちだったから身代金目的で錆兎の目の前で誘拐されて、最終的に殺されちゃったんだ。
錆兎の頬の傷はその時に誘拐阻止しようとして犯人に切り付けられた傷ね。
それが原因で錆パパママはおじいちゃんの会社にかかわるのが嫌になって外資系企業に勤めてたこともあって会社に希望を出して海外移住しちゃったの。
錆兎は日本に残ったけど、あんまり人と深く関わらなくなったかな。
だから…ぎゆうは本当に久々に錆兎が身近に置いた子なんだよ。
最初に子猫だったからかもね。
気づいたら懐に入ってたって感じ?
だからさ、特別なの。
ぎゆうがもし錆兎のこと迷惑じゃなければ、一緒にいてやって?
ぎゆうがいなくなったら他の女の人みつけて子ども作ってってできる子じゃないの、錆兎は。
もしぎゆうが本当に嫌なんだとしてもそれはそれで受け入れるとは思うから、その場合は堂々と出て行って大丈夫。
遠くにいても二度と関われなくても、ぎゆうが幸せで暮らしてくれていると思えば、それを思って幸せでいられるから」

そこで真菰はいったん言葉を切って、
「これ…話して良かったよね?」
と、錆兎に視線を向けた。
それに錆兎は黙って頷く。

真菰のその話を聞いて、ぎゆうは猛烈に後悔した。
目の前で自分がマリに拉致されたのを見た錆兎はどんな気持ちだったんだろう。
それを思っただけで胸が張り裂けそうな気持になる。

ぎゆうが錆兎を必要としているだけだと思っていたが、錆兎にとって自分が必要だというのを初めて知った。

自分が一緒に居ても錆兎がちゃんと幸せになれるなら、義勇に錆兎から離れるなんて選択肢があるわけがない。

一緒に居たいんだ!
そう伝えたくて、でもにゃあにゃあという声しかでてこなくて、もどかしい!と思った瞬間…ほわん…と体が浮く感覚がして、義勇は人間に戻っていた。



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