幸せ行きの薬_37_拉致

普段はエレベータで1階につくとそこからは出口とは反対側にある駐車場へ向かうのだが、今日は早朝のランニング時と同じく出口の方へ。


そういえば猫の姿でこうして錆兎と散歩に出るなんて初めてかもしれない。
この姿の時には常に車で移動していたし、移動先は会社か自宅だった。

ずいぶんと景色が新鮮な気がしたのはそのせいだったか…と義勇はいまさらのように気づいて、しかし同時にこれが最後の経験になるのだろうということにも気づく。

錆兎に抱っこされているので耳元で聞こえる錆兎の心臓の音…息遣い…そして感じる錆兎の体温。
どれも愛おしくて、手放すと思えば死にたくなるほどに悲しい。
でもそれ以上に自分が錆兎を不幸にするということには耐えられない。

人間の姿になって色々身の回りのことをやってやれれば幸せにできると思っていたのだが…実際に自分が女性だったとしたらそうだったのかもしれないが、男の自分では錆兎の家族を作ってやれない以上、錆兎の幸せを奪う存在にしかなれないのだ。

そのことに今朝まで気づかずに1年間、互いに幸せに過ごしてきて、またこのまま幸せに生きていけるのだと勘違いしていた自分の愚かさに絶望する。

離れるなら早い方がいい…
というか、自力で人間に戻れなくなってしまった以上、猫の姿では室内にいたら出てはいけない。

今日…この時が唯一のチャンスかもしれない……

そう思うのに体が動かない。
離れたくない!とぎゆうの中の全細胞が叫んでいた。

──ぎゆう…?なにか気分でも悪いのか?

緊張して硬くなるぎゆうに気づいて、錆兎がぎゆうを片手で抱えなおして、優しく背を撫でてくれる。

その優しさが嬉しくて心地よくて…でも辛くて……辛すぎて……

──にゃっ!!
と、ぎゆうは一声叫んで、錆兎の手の中を飛び出した。

──ぎゆうっ!どうしたんだっ?!危ないから戻ってこいっ!!!

後ろから聞こえる錆兎の声を必死に聞かないふりをする。
胸が痛くて張り裂けそうだ。

今なら戻れる…もし人型に戻れなくても錆兎が居れば猫としてだって十分幸せに暮らせるはずだ…と、気を抜けばそんなことを思ってしまう。
だが、それではダメだ、ダメなのだ。

必死にそう自分に言い聞かせていたら、いきなりガバっと何か袋を被せられた。
え?え??と動揺して暴れるぎゆう。

だが分厚い袋の中で暴れても、外に出ることはかなわない。

──…つ~かまえた~~……
ぞっとするような声。

その声の主をぎゆうは当然知っている。
ずっと幼い頃から義勇を虐げてきて、今回、ぎゆうが錆兎を幸せにすることは出来ないのだという現実を突きつけた張本人だ。

従妹マリは黒猫のぎゆうが人間の義勇だとは知らないはずなのに、なぜ猫である自分をとらえようとしているのか…。

わけのわからなさと本能的な恐怖でぎゆうが──ふぎゃあぁあ~!!と思わず悲鳴をあげると、遠くから──ぎゆうを返せーー!!!という錆兎の声がした。


その声にマリから逃れようとするが、袋は猫であるぎゆうが爪をたてたりするのを想定して用意したらしく非常に分厚くて、どれだけ必死に暴れても穴どころか衝撃すら与えられない。

「…ふふっ…暴れても無駄よっ…。絶対に離さないわ。
お前は鱗滝さんに婚姻届けにサインしてもらうための餌なんだから…」

暴れるぎゆうをあざ笑うように尖った声で言うマリの言葉にぞっとした。


確かに義勇だって錆兎には錆兎に可愛い赤ん坊を産んで家族になってくれる女性と結婚して幸せになってほしいとは思ったが、その相手は絶対にマリではありえない。
それならまだ子が望めなくともぎゆうとだらだらと暮らしていた方がマシだろう。

ああ、自分のせいで錆兎をさらに不幸にしてしまうのか……
そんなのは嫌だ。
絶対に嫌だっ!!

ぎゆうは渾身の力を振り絞って暴れて見せた。

──暴れるなっ!クソ猫がああぁぁーーー!!!!
と、まるでホラーの怪物のような声で叫ぶマリ。

…と、次の瞬間……ドン!!!と何か強い衝撃があって、ぎゆうは自分が宙に放り出されたのを感じた。

遠くに聞こえる錆兎の悲鳴。

キキーー!!!!と車のブレーキ音がして、クラクションがあちこちで鳴っている音が聞こえ…そして袋越しに地面にたたきつけられるような衝撃を感じて、ぎゆうは気を失った。



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