幸せ行きの薬_33_契約

やっぱり怖い…緊張する…

いったん錆兎の部屋の方に来た弁護士と今日の流れを再確認して、10時10分前に義勇は弁護士と錆兎と3人で久々に自分の部屋に足を踏み入れた。

マリが占拠した時に寝室には自前の家具を運び込んだようだが、リビングは義勇が居た時のまま…いや、正確には義勇が住み始めた時にはすでに置いてあった応接セットがそのまま置いてある。

なので話はそこですることにして、錆兎は一応部外者なのでいったんダイニングに待機していてもらうことにした。

そうして10時を5分ほど回った頃、マンションのエントランスのインターホンが鳴ったのでドアのロックを解除。
それからエントランスを抜けてこの部屋まで来ると、チャイムも鳴らさず当たり前に開けておいたドアから入ってくる従妹。

ひどく怒ったような顔をしている彼女を見て、それまでは彼女のことなどもう怖くないと思っていた義勇の自信はガラガラと崩れ落ちていった。

「あんたのせいでこんなことになったんだから、このマンションに住まないで売るくらいならあたしに明け渡しなさいよっ!!
あんた、守銭奴っ?!!」
と、リビングに入ってくるなりいきなり怒鳴りつけられて泣きそうになって固まる義勇の代わりに、弁護士が動く。

「お久しぶりです。
とりあえずかけて下さい。
一応申し上げておきますと、あなたが現在所有しているご自宅の売却金の残金はあなたのお父様のもので、そのお父様が本来義勇君から横領した、別居後に私が振り込んだ義勇君の生活費の返金をそこから求めることもできるんですよ?
そうしたらあなたの資産はほぼマイナスでしょう?
こちらはそこまでする気はないんですが、あなたの対応次第ではそれも検討せざるを得なくなりますよ」
と、温度のない笑顔で彼女に座を勧めた。

義勇1人なら怒鳴れば言うことを聞くだろうと経験上学習しているマリも、そこに弁護士と言うその手のことに長けた大人がいる以上、怒鳴りつけて脅すという方法は効果がないし無駄だと考えたのか、不承不承義勇たちの正面のソファに腰を掛ける。

それでも顎をグッと引いて、きつい視線で義勇を睨みつけてくるので、彼女に関しては色々トラウマ持ちの義勇はなんだか不安感が溢れ出て、もう色々がどうでもいいから逃げ出したくなってしまった。

体がす~っと冷えて、なんだかもう周りのことが色々頭に入ってこなくなる。

ダメだ…無理…逃げたい…逃げたい…逃げたい…
と、それしか頭になくて、ふわっと体が宙に浮くような感覚がした。

あ…これ…最初に子猫になった時の感覚……と気づいて、まずい!と思うものの、普段気軽に戻っている時と違い、自分でもどうしようもない。

まずい!!
いよいよとなってギュッと膝の上でこぶしを握り締めて、固く目をつぶった義勇だが、次の瞬間、空気がふわっと変わった。


──あっ!鱗滝さんっ!!
と、嬉しそうなマリの声。

圧迫感がなくなり、代わりに安心感が義勇を包み込む。
おそるおそる目を開けて見上げれば、そこにはミネラルウォーターのペットボトルを4本手にした錆兎。

「私のためにきてくださったんですねっ!」
と笑顔で身を乗り出すマリに
「いえ、うちであなたの親が持ち主の許可なしに捨てようとした彼の荷物を預かっている関係で」
と笑顔だがピシャリと突き放すようなことを言う。

その後、
「とりあえず…先に話し合いということだったので、これは差し入れです」
と全員の前にペットボトルを置いた。


マリはまだ何か言いたそうだったが、錆兎が弁護士の横に座って
「できれば話し合いその他は午前中で終わらせて頂けるとありがたいですね。
始めましょう」
と促したので、彼に対しては一切の文句は飲み込むらしく黙ったので、ようやく本題に入ることができた。

まずは記録のため録音をすることをあらかじめ双方で了承を取って始まる話し合い。

今回の話し合いの主点は二つ。
一つは横領金の返還を求めない代わりの接近禁止の書面化。
もう一つはもう決まっていることではあるが、部屋に置きっぱなしであるマリの荷物の速やかな撤去と移動だ。

まず弁護士が双方の同意で公正証書とするための書面をテーブルの上に置いて、本来なら返還されるべき横領金の返還を求めない代わりに、今後、義勇に対する接近を禁止。
このマンションと彼の実家の近辺にも近づかないというこちら側の要望を説明する。

それにマリは顔をしかめて、
「…いつまで?」
と短く問う。

「ずっとです。
幸い、マリさんのお母様とマリさん以外の親族は居ないので、他の親族の兼ね合いで顔を合わせなければならなくなることはありませんし、相続に関しましても、あなたのお母様の場合は実子のあなたがいる時点で義勇君には相続権はなく、逆にあなた方に関しても以前の話し合いでも申し上げましたが、従兄妹同士、あるいは甥伯母間では相続権はありませんので、互いに一生関わらないということは可能です」
とマリの問いに弁護士がそう答えると、マリはバン!とテーブルを叩いて身を乗り出した。

「こじぎ!!あんた何黙ってんのよっ!!
ふざけんじゃないわよっ!権力ある第三者の後ろに隠れて自分はなんにも言わないって何様っ?!!
そもそもその弁護士っ!!弁護士のくせになんで平等じゃなくてこじぎの味方なのっ?!」
と怒鳴りつけられて、義勇は涙目で震えているが、それを宥めるように錆兎がいったん席を立って義勇の側へ。

そしてその背をさすってやりながら、
「角田さん、この会話はすべて録音されていますからね?
今はそのあたりの訴えは起こされてはいませんが、あなた方家族には彼に対しての脅迫の容疑もありますから、そのあたりの訴えを起こされた時に不利な材料になる可能性もありますから、冷静に話し合った方が良いと思いますよ?
座って下さい。
あと…こちらの弁護士は義勇の代理人として雇われているので、彼の味方であるというのは正しい姿勢です。
弁護士は別に皆に平等に接する人間ではなく、法に基づいてなるべく依頼人の意向にそった結果に物事を導くのを仕事としている人ですよ」
と業務用の笑顔でマリに言う。

「…鱗滝さんがそうおっしゃるなら…」
と、自分を気遣われていると思ったのだろう。
マリは素直にソファに座りなおして、話が再開された。

そうして再度弁護士が口を開きかけるのを錆兎が遮る。

「その件について、俺の口から説明しましょうか?
角田さんはまだだいぶ感情が高ぶっているようなので…」

本来は弁護士がいて第三者に任せるというのもおかしな話なのだが、マリに関しては錆兎からの言葉の方が素直に耳を傾けるのは目に見えているので、弁護士も話し合いを円滑に進めるためなら…と、その提案を受け入れた。

「というわけで…今回の提案について、双方のメリットデメリットについて説明します」
と、話を引き継いだ錆兎が口を開く。

「まず現状、角田さんというより角田さん一家の状況は、刑事的には親御さん二人は業務上横領に問われて服役中です。
前科がつけば今までのような仕事にはつけませんし、ぎりぎりの生活費以上のものを稼ぐことは難しいと考えます。
そのうえで一家の資産は預貯金がほぼなく実家を売却した利益のみ。
これも残債を支払ったあとに残ったのは1000万強と思われます。
一方で角田さんは今後、社会人になるまでの4年間の生活費が必要になります。
なので、この残金が必要です。
ここから1200万を返還したら資産はマイナスで、大学に通っているどころではなくなります。
ちなみに…今回の諸々を踏まえて、彼の資産に関してはこれから随時まめに弁護士と連絡を取り合って管理していくそうなので、過去にそうだったように本人の知らぬ間に…あるいは恫喝して手に入れるということは不可能になるそうです。
そういう状況で自分の将来と現在の生活を犠牲にしてまで、義勇に会う意味がありますか?」

彼女はやはり義勇1人なら脅して資産を引き出すつもりだったらしく、錆兎の話を聞いて弁護士を殺意のこもった目で睨みつけている。


「この1200万の返還がなければ、大学の学費を奨学金に切り替えれば4年間の生活費は十分捻出できるので、彼に特別な想いを持っていて会うことができなくなるのは耐えられないということでなければ、この条件をのむことは角田さんにとっても悪いことではないように俺は思いますが?
これは逆に角田さんが彼の生活圏であるマンションや実家、大学などに近寄らず、偶然見かけた時にしつこく声をかけたりとかしなければ、彼の方も返還要求ができないという、相互の拘束事項になっていますから」

「あたしがこじぎに会いたいなんてことあるわけないじゃないですかっ!!!」
と、錆兎のさりげない煽りにマリは素直に食いついた。

「わかりましたっ。サインしますっ!」
と、マリは用意されたペンでガリガリと自分の名を書いて押印する。
義勇もそのあと自分の場所にサインと押印をした。

そのコピーをそれぞれマリと義勇が1枚ずつ持ち、原本は弁護士事務所に保管。

これでとりあえず一件は解決だ。

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