幸せ行きの薬_31_家族

そうして隣の部屋を売って錆兎と暮らすことにした義勇がまず始めなければならなかったのは、マリが置いたまま出ていった荷物の整理である。

家主の義勇の許可なく住み着いて、あまつさえ錆兎が気づいて預かってくれなければ家主の義勇の荷物を勝手に処分しようとまでしていたのだから文句を言われる筋合いはないと思うのだが、あとで文句を言いに来られるのも怖い。

だから気は進まなかったが彼女が滞在しているらしい彼女の父方の祖父母の家に弁護士から荷物を引き上げて欲しい旨を伝えてもらった。

もうマリに関してはトラウマ過ぎて、弁護士とのやりとりさえ錆兎にしてもらって、自分は子猫に戻って錆兎のエプロンのポケットでぴるぴる震えていたのだが、どうやら話が着いたらしい。

勝手に部屋を占拠されたのでそんな義理はないと言えばないのだが、荷物の運送費用は義勇が持つということで、まずはマリ自身が自らの手で持ち出したい物、荷造りしたい物はしてもらい、その後はもう引っ越し屋に任せる形で、ついでに使い込み金の返還を求めない代わりに接近禁止という条件を説明の上、公正証書にしてサインをもらおうということになった。


当日は当たり前だが弁護士同伴。
話し合いは義勇のマンションの部屋で、条件の説明と書類のサインが終わり次第荷造りをし、その後、業者を呼ぶという流れの予定だ。

ああ、怖い…。
せっかく普通に人間に戻れるようになったのだが、ずっと子猫のまま錆兎のポケットに隠れていたい。

人型に戻ってもそんなことを口にしつつ半泣きでぴるぴるしていると、
「あ~わかった。俺もつきあってやる。
何か言われたりされそうになっても守ってやるから」
と、錆兎が苦笑交じりにだがそう請け負ってくれて、少しだけホッとした。

迷惑をかけっぱなしで本当に申し訳なさしかないわけなのだが、今後家事で返していこう…と、義勇はとりあえず今できることから、と、日々錆兎にバランスの良い美味しい食事を作ることにする。



そうしてマリと会う前日の夜の夕食時のこと…。

あの人間であることをカミングアウトした日からずっと、食事は義勇が腕を振るっている。

錆兎はなんでも好きな食材を買わせてくれるので、料理を作るのも仕事として仕方なくしていた頃より段違いに楽しいし、
「お前、本当に料理美味いなぁ」
と錆兎が感心したように言いつつ美味そうに食べてくれるので嬉しい。

「お嫁さんにしたくなった?」
と、冗談めかして言う義勇に、錆兎は口に入れた料理を咀嚼して飲み込むと、
「そうだな。このレベルならしたいな。
もし義勇が出ていきたいとかいうのがなければ、ずっと養ってもいい」
と、真顔で返してくるので、よっしゃあ!と心の中でガッツポーズをする。

「料理、もっともっと頑張るし、他の家事も一所懸命やるからずっと一緒にいていい?」
「ああ、もちろん。俺の方から頼みたいくらいだ」
「…家族とか、作りたいと思わない?」
「お前が家族になればいいだろう」
当たり前のように返されて胸が詰まる。

「俺じゃなくて一緒に暮らすのが女性だったら…結婚もできるし、子どもも産める」

もしいつか錆兎に好きな女性が出来て一緒に暮らしたいと言い出せば、絶対に自分のことが邪魔になってくると思う。
家族に…と言ってくれるのは嬉しいが、期待しすぎて絶望したくない。

そんな思いで自分で自分を追い詰めるような言葉を続けてしまう義勇に、錆兎は箸を止めて、テーブルをはさんで正面に座る義勇の方へと身を乗り出して、

「子は嫌いではないが、だれか子を産めるお前ではない女なら、子を産めなくともお前と暮らしたいと思っているぞ、俺は。
さっきも言った通り俺はお前を拾ったからには看取るまで世話はするつもりでいるが、一応万が一俺が先に何かあった時にお前が困らないように、お前がその後暮らしていけるくらいの資産は残してやるつもりだし、法的にきちんとそれがお前に行くように遺言も用意しておく。
それでも婚姻という形でないとどうしても家族として安心できないというなら…そうだな、海外移住してもいいぞ?」
と、頭を撫でてきた。

そこでいっぱいいっぱいになった諸々があふれ出てしまったように、義勇がただ、

「…なん…で?」
と、ただベランダで子猫を拾っただけのはずだった錆兎が、どんどん重くなる責任を何事もないことのように背負いこんでくれるのかと思って泣くと、錆兎はそのまま頭を撫でながら苦笑して

「俺はわりあいと色々が強くて硬質にできていて…お前は繊細で柔らかくできている。
俺は物理的な仕事とかはできて、やればできるのかもしれないが料理とかな家事全般は体と生活を維持するためだけの無機質なものだったんだが、お前がいると部屋の空気も和らいで温かく飯も美味くて、部屋が単なる雨風を遮る箱のようなものではなく、人が安らぐ生活場所になる。
完全に見える人間でも人はみな全てが完璧なわけではなく何かが欠けているものなのだが、俺のその欠けた部分にぴったりと埋まるのがお前なんだと俺は感じている。
欠けた部分を多少デコボコと隙間を残しつつ埋められる相手は多くとも、ピタっと隙間なく埋められるのは、きっとこの世でお前だけだ」
と、子猫の時によくそうしたように、義勇の黒いつむじに口づける。

「…俺……本当に、ここにいていい?邪魔じゃない?」

邪魔…と言う言葉は幼い頃からあまりに使われ過ぎていて、否と言ってくれる可能性が著しく高いと感じなければ口に出せなかった。

しかし錆兎は
「当たり前だろう。俺はいつでもお前と共にいるし、お前が何かで一人で帰れなくなっている時には何をおいても迎えに行って連れ帰ってやるぞ?」
と即答して、そんな義勇のわずかな不安をも完全に払しょくしてくれる。

ああ、どのくらいぶりだろうか…
義勇には幼少時に失ったままだった家族というものが、また出来たらしい。
嬉しくて暖かくて幸せだ。

思わずほわりと笑みが浮かべると、錆兎も笑みを返してくれる。

「これで安心できたか?
ということで、飯を食ってゆっくり休んで明日に備えるぞ」
という錆兎の言う、備えなければならない”明日”と言うのは、人の姿を取ってからは本当に久々のマリとの再会のことである。

ああ、嫌だな、怖いなとは思うものの、さっきまでの一連の話で、自分にはもう戻れる場所があって受け入れてくれる家族がいるのだと思えば我慢できる気がした。

そう、明日さえ乗り切れれば、辛く孤独な過去から決別して、家族のいる幸せな未来へと向かえるのだから…



Before <<<    >>> Next  (7月26日0時更新予定)



0 件のコメント :

コメントを投稿