幸せ行きの薬_27_意思確認チャレンジ

「ねえ鱗滝さん、30分ほどでいいからこの子と二人にして頂けないかしら?
この子のことで少し集中して確認したいことがあるの。
安否が気になるようなら隣の部屋でペット用の見守りカメラか何かでみていてくださっても構わないから」


錆兎との暮らしもかなり慣れたある日の昼下がり。
マリがいなくなってから真菰以外の人間が訪ねてくることはほぼない錆兎のマンションで女性の来客があった。

綺麗な黒髪をふわりと結い上げ、今どきの女性にしては珍しく着物を着こなしているその女性には見覚えがあった。

最後に会ったのは13年ほど前。
実家の隣のマンションに住んでいた美しい女性。

両親と姉が亡くなって葬式を行う予定だった雨の日…ひたすらに泣いていたら支度の邪魔だからと追い出されて公園にいた義勇を自宅に招いてくれた人だ。


──おばさんもね、一人娘が亡くなって一人なの。君と同じね

と、泣きそうに笑って、子どもが訪ねてくることはないからジュースとかがなくてごめんね…と言いながらいれてくれた甘いカフェオレが温かくて美味しかったことと、綺麗な青のキャンディをもらったことをすごくよく覚えている。

その後は葬式後すぐに義勇が伯母の家に引き取られていったから会っていない。


気づけば13年もの年月が経っているというのに、女性は変わらず美しかった。
優しい笑みも変わらない。

不思議なことに彼女は錆兎に自分が子猫のぎゆうを人間の義勇に託したのだと説明した。
そうではないということは義勇は当然知っているし、また、彼女も知っている。
何故彼女はそんな嘘をついたのだろう?と不思議には思うが、彼女を警戒する気は起らなかった。

彼女は義勇に対して悪いことはしないだろう…そんな信頼があるのは、家族亡きあと、錆兎に出会うまでは彼女が最初で最後、唯一義勇に優しくしてくれた人物だったからかもしれない。


彼女は冒頭のように言って錆兎に離席をしてもらったあと、
「おひさしぶりね、義勇ちゃん」
と、自分が冨岡義勇であるとわかっているようにそう言って白い綺麗な指先で毛並みを優しく梳くように子猫のぎゆうの頭を撫でてくる。

そうしてできた二人きりの時間に彼女が話してくれたことは、ぎゆうにとって驚くべきことだった。


人間の冨岡義勇がいきなり子猫のぎゆうになった原因は、13年前に彼女の家でもらったブルーのキャンディだというのである。

あれは優秀な科学者である彼女、珠世が長い時間をかけて開発した、『死にたくなったらその原因から一時的に逃げるために子猫になる薬』で、救えなかった彼女自身の愛娘の代わりに、家族が全員亡くなってあまり優しいとは言えなさそうな親族に引き取られて苦労するであろう義勇がもし追い詰められることがあったなら助けになるように…と食べさせてくれたそうだ。

「今こうやって子猫ちゃんになっているということは…役に立ったのね」
と頭や顎を撫でる指先はとても優しく心地いい。

思わずゴロゴロとのどが鳴ってしまうのに、彼女はふふっと柔らかく笑った。
それがなんだか今はもうだいぶ思い出すことが難しくなっている5歳の時に亡くなった母親の温かさを思い出させる。

すりりっと撫でてくれる手にすり寄ると、彼女は
「この姿もとても可愛らしいのだけれど…」
と、優しい声音で話始めた。

「私がこの薬を作った主旨は確かに子猫になって辛い人間生活から逃げることなのだけれどね。
もちろんそうしなければ生きられないのならそのまま猫として一生を終えるのも悪くない…そう、悪くないのだけど、理想はそうして心の傷を癒して、また人として楽しく人生を送ってもらうことなのね。
私が見たところ、彼…鱗滝さんはすごく良い人で…どういう姿であってもあなたを大切にしてくれると思うの。
この薬はね、本人が精神的に満たされたうえで強く人間に戻りたいと思ったら人間の姿に戻れるのよ。
だからさっきの鱗滝さんのお話はきっと本当にあなたが一時的にでも今が幸せで人間になりたいって思ったのでしょう?
何故子猫に戻ってしまったのかわからないけど…それがもしあなたが人間だというのが夢ではなく現実だと知ったら鱗滝さんがうけいれてくれないかもしれない、そうしたらまた一人ぼっちに戻ってしまうという不安とかだったらね、おばさんを思い出してね?
あなたが望むなら、あなたと一緒に人生を歩んでくれる人と巡り合えるまで、私が一緒にいてあげますからね。
お母さんのようなものだと思って頼ってちょうだい。
私はもう…支えてあげる子を失ってしまった女だから…。
ふふ…母のない子と子のない母と…という感じね」

ああ、この人は子を失ってもいまだ母なのだ…と、その言葉に義勇は思った。

「打ち明けるのが怖ければ…おばさんから鱗滝さんに説明してあげてもいいわ。
あなたがそれを望むならね。
まだ望めないというなら、説明が必要になった時にいつでも相談してちょうだい。
あの子に与えてあげたかった逃げ道を与えてあげられたあなたには、それで幸せになってほしいのよ。
あなたは今どうしたい?
打ち明けたい?
それとも待ってほしい?」

優しく撫でながらの問いに、義勇は考えた。
子猫の姿でいる方が錆兎とは暮らしやすいだろう。
だが…人間になれば錆兎に色々してあげられる。
してもらうだけではなく、してあげられることが確かにあるのだ。

説明が必要なら1度、今はまだ不要なら2度鳴くように言われて、義勇は真剣に考え込んだ後、にゃあ、と、1度鳴いた。


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