幸せ行きの薬_26_面談

──ぎゆうはもう俺の家族なんです。

そう言った青年には珠世も見覚えがあった。
最近経済紙などでも顔を見る祖父から会社を引き継いだ若き社長だ。

年齢のわりに随分と優秀な人物だという話だし、話をしてみると性格もなかなか良さそうで、さらに今回の件には関係ないと言えば関係ないが、容姿も大変よろしいと思う。
こんな人物に拾われたとは、あの子ども…もとい、義勇は随分と運が良いと珠世は思った。


第一線を離れたとは言え一部ではいまだ有名な研究者である珠世を知っていたらしく、最初に連絡を取った時には随分と驚いたようである。

だが、その知名度が何よりの身分証明書となって、相手の警戒心を緩めてくれたようだ。
子猫の様子が知りたいのなら会うのは生育場所である自宅がいいだろうと、あちらから申し出てくれて、今相手と対峙している。


こうして訪ねたマンションでチャイムを鳴らして迎えに出てきた青年はなぜかエプロン姿で、その中央にある大きなポケットの中に漆黒の毛並みに青い目の子猫が収まっていた。

ああ、あの子だ…と、その子猫を見た瞬間、珠世はそれがあの時の子ども…義勇が姿を変えた子猫なのだと確信した。

一方で子猫の方は一瞬警戒した様子を見せたが、珠世の姿を認めるときょとんとまあるい青い目を大きく見開いて、なんだか気の抜けた様子で、にゃあ、と鳴く。
どうやら彼の方も珠世を覚えていたらしい。

「お久しぶりね。
おばさんのこと覚えているかしら?」
と差し出す珠世の手を、身を乗り出してぱふぱふと前足で軽く叩く。

子猫のその様子に、青年鱗滝錆兎は珠世の言うことが本当だと完全に気を許してくれたようだ。

「俺がぎゆうを救出した時はまだ生後1週間になるかならないかだったんですけど、覚えているものなんですね」
と、感心したように目を見張る。

「あら、ぎゆう…って名前にしたの?」
と、珠世が少し目を丸くすると、錆兎は
「あ~…俺は名づけのセンスがないので…。
その時は一時的に預かるだけの予定だったので、呼びかけるのに名がないのも不便だし、隣人の冨岡義勇氏の飼い猫ということで、”ぎゆう”と呼ぶことにしたんです。
で、最終的に飼うことになった時には俺もぎゆうもその名に慣れてしまっていたので、結局そのまま…」
と、少し恥ずかしそうに頭をかいた。

優秀な経営者ともてはやされても苦手なことは苦手なのだと素直に口にできるその姿勢にも好感が持てる。

彼はそんな優しくも誠実な人柄で、死にたいと思うまで傷ついたのであろう元子どもの心をしっかりと癒してくれたのだろう。
本当に嬉しそうにその手の中で寛ぐ小さな毛玉となった元子どもに、珠世は顔をほころばせた。


もちろん義勇が子猫の一生を望むならそれもやむなしと珠世は思っている。
だが彼女が目指す本当のところは、子猫の姿になって一時的な退避をして心の傷をいやしたうえでの人としての生活への復帰だ。

そのあたりを義勇はどう思っていて、目の前の青年はどこまで彼を受け入れてくれるのだろうか…。


そんなことを考えつつ続けている会話。
話題が義勇のことになっていくと、錆兎は『隣人なんだからもう少し気を付けてやれば良かった』と口にした。

その言葉は珠世にとって大きな一歩だ。
彼は人間のあの子でも受け入れてくれるかもしれない。

「そうですね…その子猫と気が合うあなたなら、あるいは彼ととてもいい関係を築けたかもしれません…。
彼とその子猫はずいぶんと似ていたから…」
と、話を振ってみると、錆兎は
「わかります」
と大きく頷いて見せた。

「あら、わかるの?」
と、同意されたことに少し驚いて見せると、錆兎は
「見た目も…漆黒の毛並みと青い目でどことなく面影があるんですけど…」
と、どうやら休日のおやつらしい猫用のミルクボーロをカリカリと嬉しそうに食べている子猫に優しい視線を向けるとその頭を撫でる。

その様子に、彼の綺麗な藤色の瞳に愛しい愛しいという感情がにじみ出ているようだと珠世は思った。

そうして錆兎はすぐに珠世に視線を戻して、
「どれだけバカなことを考えているんだと思われそうなんですが…」
と、恥ずかしそうな笑みを浮かべる。

「先日、俺は本当に久々に風邪をひきまして…そのせいか面白い夢を見たんですよ。
ぎゆうとはいつもベッドで一緒に寝ているんですが、その時は目を覚ますといつも枕元にいるぎゆうがいなくて、俺はすごく慌ててあたりをみまわしたんです。
そうしたら額を冷やす用の水とタオルの入った洗面器を手にしたやつがそこにいて…いうんですよ、自分は子猫の恩返しをするために人間になったぎゆうなんだって。
日差しが眩しそうだったからカーテンを閉めてやりたくて人間になったんだなんていうんです。
そのほかにも食事を作っておいたから、レンジで温めて食べろとか言われて…。
ありえないでしょう?
でも俺は、『ああ、こいつ人間になったんだ。じゃあ会話とかできるんだなぁ』なんて、なんの疑いもなく思ってて、じゃあおしゃべりでもしようかってとこでぎゆうは唐突に子猫の姿に戻ってしまったんで、しかたなしにいつもみたいに一緒に寝たんです。
そうして次に目を覚ましても、ぎゆうは当たり前に子猫の姿で…。
夕方まで寝てしまったようで、まずぎゆうの飯をやらないとと台所に行ったら、俺以外が台所を使った気配があって、合い鍵を持っている従姉に俺が寝ている間に来たか?って聞いても来てないって言うし、熱で鍵を閉め忘れて誰か入ってきたかと戸締りと家で隠れられそうな場所のチェックをしたけど、誰もいない。
おかしいな…と思って、それでも気のせいかと自分の食事を用意しようと冷凍庫開けたら、粥とかおじやとかがいっぱい入ってるんです。
冷蔵庫にも常備菜が。
それで、それを温めて食べて一息ついて、ふと食事を用意したって言っていた人間の義勇をよくよく思い出したら、そういえば以前行方不明になった時に見せてもらった写真の冨岡義勇氏に似てたなぁと思ったわけで…」

「ちょっと待ってくださいっ!」
と思わずストップをかける珠世に、
「はい?」
と小首をかしげる錆兎。

「食べちゃったんですか?」
「はい?」
「あなた、誰が置いて行ったかわからないようなもの食べたんですかっ?!

なんて怖いもの知らずなっ!と思わず声が大きくなる珠世に、錆兎は
「外部から誰か入ったんじゃないとすれば、もしかしたら本当にぎゆうが用意した物なのかと思ったので」
と、頷く。

「もしぎゆうが俺のために作ってくれたものなんだとしたら、捨てたりできないじゃないですか」

この人あたまがおかしいわっ!!
と、珠世は思った。

あんな薬を作った自分がいうのもどうかとは思うが、本当に自分の飼い猫が人間になって食事を作るなんてことがあると思っているんだろうか…

と、その思考回路があまりに気になって、
「本当に飼い猫が人間になって作ったものだと思うんですか?」
と聞いてみると、彼からは珠世の予想のはるか斜め上を行く答えが返ってきた。

「いや…だって万が一そうだとしたら、俺のために一所懸命作った料理を食わずに捨てられたらぎゆうが傷つくでしょう?」
と、真顔で言われて珠世は答えに窮してしまう。

いや、そうなのだが…実際はそうなのだが…と思っていると、彼は続けた。

「男なら、保護すると決めたのなら自分より相手のことを守るべきでしょう?
食べ物に問題があって自分に害がある可能性と、食べ物に問題がなくて相手を傷つける可能性のどちらを避けるべきかということなら、俺は前者を選んで後者を避けるように生きてきたし、これからもそう生きていくと思います。
俺はかなり強い立場の人間なので、俺が相手を守るよりも自衛に走ってしまったら、普通の人間よりも大きく相手を傷つけるから」

その言葉を聞いて、珠世は、ああっ!と思う。
こんな青年がもしクラスメートにでもいたなら、娘は死なずに済んだのだろうか…。

いや、今は取り返しのつかない過去を思うより、娘の悲劇を教訓に救おうと思ったあの子どもの将来を考えるのが先だ。


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