一人暮らしが長くなり、テレビをつける時間が増えた。
見ているわけではない。
自分がたてる音以外に音のない生活がなんとなく物足りないだけだ。
珠世が一人で暮らし続けている理由なんてそんなものだ。
朝起きて朝食を作って一人で食べて、その後身支度を整えて、しかしどこに行くでもなく本を読んで過ごす。
そう、一日の大半をそうやって活字を追って過ごしているのだから、テレビの内容なんて関係がない。
ただのBGMと同じである。
その日もそんな風に惰性でつけていたテレビのニュースで映し出されたその顔と名前に、珠世は本当に久々に釘付けになった。
…あらあらまあまあ、あの子も随分と大きくなったのねぇ…
と、誰もいないのについ声に出してしまう。
懐かしい。
最後に会ったのは13年前。
家族全員に先立たれて一人公園で泣いていた小さな子ども。
この家にもその時に一度だけ連れてきたことがある。
差し出した珠代の手を握った柔らかい手は本当に小さかった。
自身も子を産み育てたことがあったため、その子どもの手の小ささに亡くした娘の幼児期を思い出して胸が締め付けられる思いがしたあの日から、もう13年もの月日がたっているのかと思えばなかなかに感慨深い。
どうやらあの時の少年は、もう大学生になっていたらしい。
冨岡義勇18歳、大学生。
テレビに映る綺麗な顔立ちの青年には、あの日の子どもの愛らしい顔の面影がかなり残っている。
そこそこの資産家の遺児が行方不明。
事件と事故両方の可能性があるが、前提として彼の伯母夫婦が彼の資産をずっと横領していて、彼が行方不明になった日も、18で彼の管理下になる予定だった自宅とマンションを自分たちの名義にしろと迫るために彼の住んでいたマンションを訪れていたということで、伯母夫婦に彼の拉致疑惑がかけられている。
どちらにしろ、多額の資産の横領だけで刑事起訴されているらしいので、あとはどれだけ問われる罪が増えるかということだけだ。
子ども時代を知っている青年が行方不明。
そのことに珠世はそれほど心を痛めていないどころか、どこか安堵している。
もちろんそれには理由があった。
13年前にあの子どもに飲ませた薬…それがあるいは彼の命を救ったのかもしれない。
そう、死にたくなったら人の姿を失くして猫になる、あの薬だ。
葬儀の時の伯母夫婦の対応で、おそらく彼らに引き取られる子どもは何度も辛い思いをして育つのだろうと思ってあの薬を子どもに飲ませたのは正解だったのだと思いつつも、それが本当にそうだったのか、確認をしたくなった。
彼が資産を狙った伯母夫婦に拉致されているという可能性も皆無ではないからだ。
ということで、珠世はマンションの管理人に電話をかけてみた。
いわく…ニュースで冨岡義勇氏が行方不明になったということを知ったのだが、実は彼に子猫を預けていたのだが、何か子猫に関して知らないかという形の問い合わせである。
普通なら怪しまれるそれも、珠世が有名人で彼の実家の隣に住んでいたという関係性が物を言ったようで、それに管理人は、ああ、それならっ!と、ずっと不思議に思っていたのだが…と、彼のベランダに出ていた子猫を救出してそのまま飼っているという隣人の連絡先を教えてくれた。
子猫…そう、聞いた状況では猫を飼っていた気配もない密室状態のマンションのベランダに子猫だけ残されていたという謎な状態だというので、間違いないと思う。
そうなると飽くまで善意で開発して与えた薬ではあったのだが、彼女も科学者のはしくれ。
自分の目で効力を見てみたいという気持ちもあるし、与えた責任上、もし面倒を見てくれているという隣人の性格次第では、ある程度説明をしてやった方がいいのかもしれないと思う。
もちろんあの子どもが猫のまま生きていたいというのであれば黙っておくつもりではあるのだが、いつか人間に戻りたいと思う気持ちがあるのなら、その方法も教えておいてやりたい。
そう思って電話をかける。
警戒されないように、まず自分の名と自分が実家に住んでいた頃の冨岡義勇の隣人で、彼に子猫を託していたこと。
ニュースで義勇が行方不明だと知って、託した子猫がきちんと養育されているのか気になって管理人に電話を掛けたこと。
そこで子猫について謎に思われていたことを知って、事情を話すために電話をかけたことを告げると、電話の向こうから聞こえてくる若々しい男性の声は、少し警戒するような色を帯びた。
「可愛がって下さっているなら、そのまま飼って頂いてもかまいませんし、もしご迷惑ということなら元の飼い主の責任もありますし、引き取らせて頂こうと思ってますのよ」
と言うと、即、──飼いますっ!と言う返答が返ってきたことにホッとする。
どうやらあの元子どもは可愛がってもらえているようだ。
それなら、何かあった時に相談に乗れるようにだけ、もう一歩だけ踏み込んでおこうか…と思って、
「子猫を可愛がって頂いているようなのはとてもよく感じられましたが、いきなりのことだったので心配もありますし、一度だけ様子を見させて頂いても構いませんか?」
と申し出ると、相手が確かに大切な子猫なのだからもっともな申し出だと思うと言ってくれたので、その答えや姿勢にも相手の男性の子猫に対する愛情と誠実さを感じて、珠世はさらに安堵した。
誤変換報告です。「玉緒の手を握った」→珠代の…かと。ご確認ください。
返信削除ご報告ありがとうございます。修正しました😄
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