「先生、どうぞこちらに…」
と、普段は悠然としているしのぶがカチンコチンで上座の椅子を引く。
それに礼を言いつつ、
「ああ、お前さんはあれか、悲鳴嶼君のとこの事務所の子だな」
と笑顔を向ける桑島の表情は、弁護士会の重鎮というより、孫の友人を見る祖父の目だ。
「はい。悲鳴嶼先生には姉ともどもお世話になっております。
まだまだひよっこですがそれでもなんとかこうしていられるのは、本当に先生のおかげなんです」
と、少し緊張の解けた様子で言うしのぶに桑島は、
「うんうん、彼は若いころからなかなか努力家で見どころのある青年じゃった」
と、微笑まし気に頷いている。
「さて、今回お招き頂いたのはうまい食事を摂りながら、話に矛盾がないか聞いて欲しいということじゃったから、とりあえず年寄りはまず軽く資料に目を通したら飯を食いつつ、説明を聞き、その後はそうじゃな、胡蝶君が第三者として判断。
それに間違いがあれば指摘するということでいいかな?」
「はい、お願いします」
と、錆兎は代理人の弁護士から資料を受け取り、それを桑島に渡した。
ほうほう、これはこれは…などと頷きながら桑島が資料に目を通しているあいだ、他の参加者にも資料が配布される。
そしてすべてに目を通し終わった桑島に、普段は錆兎の横に控えている真菰が、
「慈悟郎おじいちゃん、まずは一杯どうぞ」
とお酒を注いだところで、話し合いが始まった。
まずは代理人弁護士が今回の横領について説明。
彼曰く、彼は友人で依頼者であった冨岡義勇の父親から財産の全ての管理を任されており、自分に何かあった時に子どもが未成年だった場合は、その中から養育費として毎月40万、別途学費等が必要なら学費分を遺された子どもの生活費口座に振り込んで欲しいと依頼を受けていたということだ。
それに従って弁護士は依頼者が亡くなった13年前から毎月40万と、義勇が中学や高校に進学した時には制服など学用品代として別途50万ずつ振り込んでいたらしい。
その口座の通帳は養育者である伯父が預かるというので、実際に養育をする時にそこから下ろすのは当然なので、伯父に預けた。
まず中学卒業までは伯父の家で養育されていたのだが、小学校中学校の給食費や教材費の引き落としは毎月1万5000もしない。
残り38万5千円が養育に使われていたはずだが、衣服は古着、文具も最低限、食費だって子ども一人分ならせいぜい5万もあれば十分だろう。
なのに毎月きっちり40万を使い切っていたのは、おかしい。
高校生になって伯父宅を出てマンションに住み始めて始めたアルバイト。
その店長の話だと、彼には生活費を10万円しか振り込まれず、そのため生活ができるだけの金を稼ぐためにシフトを入れていたということらしい。
さらに…大学の学費として入学金と1年分の授業料、計200万を振り込んだにも関わらず、彼は奨学金を借りて学費を賄っていた。
少なくとも高校以降は振り込んでいた40万のうち10万しか彼の手元に渡らず、学費も200万すべてが引き出されているのは確かだ。
ということで、金額がはっきりしている分だけでも、高校時代の生活費の残り、月30万円×36か月、計1080万+1年分の大学の学費と入学金200万、合計1280万を伯父が着服したことになる。
正確な額の立証は難しいが、小学校から中学校の9年間も同様の金額で計算すると、その金額は3240万。
高校以降と合わせると4520万円にも跳ね上がる。
そのうえで現在は弁護士が管理していて、義勇が18になるタイミングで彼に引き渡す予定だった自宅物件と現在住んでいるマンションの名義を書き換えるための書類を伯父が用意していたこと、そしてそれを義勇に迫るために訪ねたあとに彼が行方不明になっていることを考えると、これは本人が覚悟しての失踪ではなく事件なのだろうと、横領の他に、拉致監禁の余罪の追及にも警察が動いているということだ。
そんなとんでもない話を聞かされても、さすがに色々な事件にも関わっている弁護士達は平静で、マリ1人が取り乱して叫んでいる。
義勇はと言うと、伯父の着服についてはすごい金額だったんだなぁ…と他人事のように思いつつ、実はなぜか子猫になってしまった義勇の拉致疑惑までかけられたことに関しては、気の毒だなと同情した。
それでも義勇は人間に戻りたくはない。
錆兎がマリからは一番遠い席にしてくれたため、弁護士が買ってきてくれたケーキを堪能しつつ、
「そんなに美味いのか。
他にも色々な種類があるようだし、今度また買いに行ってみようか」
などと、弁護士を呼んだ時点でこちらも半ば他人事の錆兎が見せてくれる店のパンフレットの中にサーモンのケーキを見つけたので、それをぱふぱふと前足で叩いて見せる。
すると錆兎は
「お前…もしかしてこれがお前の大好きなサーモンのケーキだってわかるのか?
やっぱりぎゆうは賢いなぁ」
などと褒めてくれるので、嬉しくなって、にゃあ、と錆兎を見上げて義勇的に愛想がいいと思っている顔をして見せた。
それが可愛いと錆兎が抱き上げて頬ずりをしてくれる。
幸せだ。
今が最高に幸せで、義勇的には今目の前で話されていることなどどうでもいいのだが、錆兎はそうでもないらしく、
「なんか…ひどい話だな。
角田マリの方は遠慮したいが、冨岡義勇の方ならなんだかお前に似ている感じがするし、なんなら子どもの1人や2人養うくらいの甲斐性はあるから、知ってたらうちで飯くらい食わしてやっても良かったんだけどな…」
などと言う。
本当に?
本当に義勇が人間のままだったとしても、出会ったら一緒にいてくれた?
言葉のあやかもしれないが、その錆兎の言葉がなんだか嬉しくて、でも半信半疑で、
──にゃぁ?
と、小首をかしげてみせると、錆兎は笑って
「大丈夫。その時はお前も一緒だ。
この先誰が現れようと、俺は一生お前と一緒にいるからな?」
と、安心させるように言う。
ああ、本当にそうなれば幸せだ。
この幸せを捨ててまで人間に戻る必要性は全く感じない。
と、義勇がそんな風に和やかに過ごしている間にも、話し合いは続いている。
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