幸せ行きの薬_15_疑惑

世の中というものは全く思いも寄らぬ方へと転がっていくものである。
そんなことは、子猫になった時点で思い知っているはずなのだが、義勇もさすがにここにきてこんな形で実感させられることになるとは、思ってもみなかった。


きっかけは義勇の亡き父に資産を託された代理人からの訴えによるものらしい。
彼は亡き父の学生時代からの友人の弁護士である。

今年の2月に18歳になった時、そういえば義勇はその弁護士から連絡をもらっていた。

ただその時は大学受験の真っただ中で慌ただしくしていて、さらに大学にかかる費用であるとか諸々の諸手続きをすべて自分でしなければならない義勇は、できれば大学に入学して落ち着いてからでも構わないだろうか?と打診して、それではすべてが落ち着くであろう5月の連休明けくらいにでも話を…ということになっていたのだ。

ところが、アポイントを取ろうにも義勇は子猫になっているので電話にも出ない。
仕方ないので直接マンションにアポを取りに来たら、義勇が住んでいるはずのマンションには従姉妹の女子大生が住んでいた。
そこで管理人に話を聞き、義勇が行方不明なことを知る。

従姉妹が住んでいることは管理人も知らなかったらしいが、義勇が行方不明になってすぐ、伯父夫婦が義勇から育ててくれた礼にこの部屋を譲渡するから使って欲しいという申し出があったと言っていたことを知り、そこから弁護士は疑念を持った。

おかしい…。
5月にアポイントをと言っていた時には、特に引っ越すなどと言う話は聞いていない。
そもそも義勇の養育費は月に40万も振り込んでいるのだから、過分なくらいだろう。
しかも義勇は小学校から大学まで、すべて国公立だ。

そもそも義勇の通う大学にも近いこのマンションを明け渡すなら、義勇はどこに住むつもりだったのだ?

と、そこから発した疑念を払しょくすべく、弁護士は色々調べて錆兎が手にした以上の情報をかき集めたようである。


小学校ではいつもみすぼらしい古着を着ていたらしいこと、中学校ではPTAがやっているリサイクルで購入したサイズの合わない制服を着ていたこと。
同級生の話では伯父家族が海外旅行に行っているあいだ一人留守番をしているなどと義勇が話していたこと。
伯父の娘が小学校から高額な学費の私立に通っていたり、年に1度は海外旅行に行っていたり、ブランドものを多数持っていたりと、伯父夫婦の世帯年収では出来ないような贅沢な生活をしていたこと。
義勇に遺されたはずの父親や母親の高価な時計や宝石などを伯父や伯母が身に着けていること。
そして…別途大学の学費のためにと、入学金と一年分の学費用にと200万振り込んだはずなのに、義勇が奨学金を借りて学費を賄っていることなど…。

義勇が子どものうちは当然金の管理は保護者である伯父夫婦に任せていたのだが、18になって義勇が直接管理するようになれば、それまで養ってやっているのだと随分とひどい扱いを受けていたことが不当だったことに彼が気づいてしまうし、今後彼の資産を不正使用することができなくなる。

それは伯父たちにとって非常に都合の悪いことだったに違いない。

隣の家で、義勇が行方不明になった日に色々関わった錆兎の家にも当然弁護士は話を聞きに来た。


なので錆兎は彼にベランダに放置されたままだった子猫の話を伝えた。

「なるほど。それでは子猫をベランダに出したあと、彼は行方不明になったということですね?」
と問われて、錆兎は少し悩む。

「私には冨岡氏が子猫を出したのか、あるいは他の誰かが出したのかはわかりません。
少なくとも私が気づいた時には子猫はベランダに居て、部屋に入るガラス戸がしまっていました。
そして、チャイムを鳴らしても誰も出てこないので、ベランダから網で子猫を救出した、それだけしかわかりません。
その翌日、一応他に室内に動物がいて飼い主が不在なのだとしたら死んでしまう可能性もあるので管理人に報告して、管理人から電話をしても出ないので、親族である彼の伯父に連絡を取ってもらって、管理人が彼らの立ち合いの元、一緒に室内の確認をするのを廊下で待っていました。
子猫を引き取る関係上、そのあとに冨岡氏の伯母と話をして、彼女たちが冨岡氏が消えた日の午前中に彼を訪ねてきた時にも猫を飼っているような猫用品はなかったので彼の猫ではないだろうし、そのまま引き取るのに問題はないということで、今その時の子猫を飼っています。

私がその時に聞いた話だと、隣の部屋は事故で亡くなった隣の住人冨岡氏の親が彼に遺したもので、伯母の娘が大学に通うのに部屋を探しているという話をしたら、冨岡氏から親が亡くなってからずっと育ててもらった礼に、ぜひ譲渡したいという申し出があって、近日中に住人が入れ替わる予定だということでした」

「しかし住人が入れ替わるということは、管理人には報告がなかったようですが?」

「そうなんですね。
私は彼の伯母から聞いただけなので…」

「…子猫のことですが…」
「はい?」
「こう考えられませんか?
冨岡さんは行方不明になった日、たまたま捨て猫を見かけて自分が飼うつもりで自宅に連れてきた。
しかし拾ってきたのは偶然なので、まだ子猫のための諸々を購入する前で、本当なら購入しようと思っていたが、その前になんらかの理由で部屋から連れ出されて戻れなくなった…」

「…可能性としてはなくはないと思いますが…」

「鱗滝さんの家もその子猫を拾った直後には猫用品はなかったわけですよね?」
「ええ、まあそうですね」
「冨岡さんも同じだったかもとは思いませんか?」
「…可能性としては、ですね。
そのあたりを判断するのは私ではないので…」

その後、隣人と言っても時間帯が違うので義勇を目にしたことはなかったこと、行方不明になった当日以前には特に変わったことがなかったことなどを確認され、最後に
「今お話し頂いたことについて、もし必要な事態になりましたら証言いただくことは可能ですか?」
と、聞かれる。

それについては弁護士という職業の人間の言うことなので、おかしな場ではないだろうと判断し、
「もちろんです」
とうなずいた。

ただ、錆兎的には自分の側にも多少のメリットは欲しい。

これを言うことで問題になるかはわからないが、最初の挨拶でこの弁護士は元隣人の父親の古い友人で、元隣人にもそれなりに思い入れがあり、これまで連絡や確認を取らなかったのを後悔しているという話もしていた。
だから悪いようにはしないでくれる気がする。

彼にとっても悪い話ではないだろうから、こちらが故意ではないことも説明すれば多少の違法性があったとしても何とかしてくれるだろうと判断して、錆兎は

「…実は…彼の伯母の許可を取って、冨岡氏の荷物はすべてうちの会社の倉庫に保管しているんですが…」
と、打ち明けた。

「はっ?!本当ですかっ?!」
と、当たり前だが食いつく弁護士。

「はい。誤解しないで頂きたいんですが、私自身は冨岡氏にも彼の伯母にも特に思うところはありません。
ただ、この引き取った子猫をすごく気に入っていて、もし冨岡氏がこの子を飼うつもりがあってマンションに入れたのだとしたら、気持ちよく譲渡して頂きたいんです。
なので、隣が何か騒がしかったので出てみて、彼の伯母が
『娘が越してくるから荷物を処分しようと思う』
と言っていた時に、
『親族でも勝手に処分は問題になる可能性もありますし、猫のこともあるので機会があれば冨岡氏と話す機会が持てればと思うので、うちの会社の倉庫なら無期限で置いておけるし、置いておきましょうか』
と、申し出たんです。
もしお時間が大丈夫なら、確認にいらっしゃいますか?」

「ありがとうございますっ!!ぜひっ!!!」

錆兎の申し出に弁護士はガシッ!!と両手を握ってきて、背広のポケットにいたぎゆうは驚いたようでぴゃっとすくみあがった。

そして、ポケットの中でくるりと反転して、柔らかな前足でたふたふと錆兎を叩きながら、みゃうみゃうと何か訴えるように鳴いている。


「あ~、ごめんな、びっくりしたな」
と、錆兎はその子猫の様子に笑って落ち着かせるように頭や顎をなでてやりながら、
「申し訳ない。この子は少しばかり繊細な心の持ち主なので、あまり声を荒げないでやってくれるとありがたい」
と、小さなふわふわの塊を愛おし気に見下ろして言った。

「あ、ああ、すみません。つい…」
と慌てて声のトーンを下げる弁護士。

目の前の青年があの小さな生き物にどれだけの気持ちを傾けているのかがなんとなくわかってしまう。
ずるい人間だと自覚しつつも、青年本人よりも彼にみぃみぃと縋りついている子猫に気に入られる方が、どうやら自分の大切な友人の忘れ形見の仇討になりかけているこの仕事を遂行するのに協力してもらえる気がするなと弁護士は思った。


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