幸せ行きの薬_11_棚からぼた餅

人間、何が幸いするかわからないものである。
いや、すでに人間ではない身としては、この言葉はおかしいのだろうか…

義勇が子猫になってもう半月ほどが過ぎていた。
普通ならまず猫になった時点で動揺し、人間に戻れる様子がないことに絶望するのが人として正しいあるべき姿だと思う。

が、正直いま義勇は猫の生活は最高だ!!と思っている。
人見知りな自分が生活のために気まずい思いをしながらバイトに明け暮れないでもいいし、毎日おいしいご飯どころか、おやつまで出てくるのだ。

毎日叱られ疎まれ続けてきた人間の頃と違って、子猫になってからは生きているだけで褒められる。

しいて不満だったところをあげるなら、拾われたての頃は子猫というものがそうだからという理由で排便を手伝われていたのだけは恥ずかしさで泣きそうだった。
が、それでもやがてトイレを用意してもらえたので即そこでするようにしたら、トイレで排便をするだけなのに、それもまた賢い賢いと褒められてしまった。

義勇の人生の中で、物心ついてからここまで日々褒められまくられることはなかったのではないだろうか…。

さらに言うなら、その褒めてくれる相手は、目の覚めるようなイケメンだ。
しかも優れているのは容姿だけじゃなく、どうやらそこそこ知られているらしい会社の若き社長というデキる男なのである。


鱗滝錆兎…それが子猫になって自分の家のベランダに閉じ込められるなどというとんでもないことになった義勇を救出し、そのまま世話をしてくれている人物だ。

普通なら人間から猫になんてなって随分と不自由で心細いはずだが、彼に拾われてからというもの、義勇はまったくそんな思いをしたことはない。

義勇が拾われたての本当に小さな子猫で、その分すぐお腹がすいてしまう頃は、それこそ3時間おきとかに当たり前にミルクをくれていたし、今では忙しい中離乳食を手作りしてくれる。

しかもたまに購入する義勇用の猫缶は、普通にあまり生活に余裕のなかった人間の頃の義勇の一食分の倍以上の値段がしているのにびっくりした。

金も手間暇もかけてくれて、人の頃とずいぶんと大きさが変わった世界に義勇が不安になったりすると、必ず、大丈夫だと言って抱きしめてくれる。

人の頃には両親が亡くなった幼稚園時代以降は与えられることがなかった無条件の保護と愛情に、義勇は人の頃とは比べ物にならないくらい幸せを感じていたし、このまま猫として一生を終えるのも悪くないと思った。

なんだか義勇が拾われた時の状況が状況だったので、子猫のぎゆうが隣の部屋の冨岡義勇の飼い猫なのか、何か事情があって義勇の部屋のベランダに居たのかわからないため、錆兎はそのあたりをはっきりさせてぎゆうを正式に引き取りたいと思ったらしい。
それで人間の冨岡義勇の行方を調べるにあたって、その過去についても調査させることになった。

結果…義勇は伯母に…いや、たぶん主導は伯父なのだろうが、親が遺してくれた資産のほとんどを横領されていたことがわかる。

もちろん常に錆兎といる義勇もそれを知ったのだが、正直そのことについて多少悲しくは思ったが、それさえもどうでもいいほどには、子猫となった生活は満たされていた。


遺してくれた両親の気持ちを踏みにじるような形になってとても申し訳ないとは思うのだが、この飼い猫生活がずっと続いていくなら、もう伯父夫婦に取られたままでもいいかと思う。

生きていくのに必要なすべてが常に完璧に整えられているうえに、飼い主の錆兎は顔が良いのだ。

いや、顔が良いってなんだ?と突っ込みが入るかもしれないが、一定レベルを超えた顔の良さというのは、それだけで十分生活レベルを上げてくれる。

子猫だけにいつも錆兎との距離は近いのだが、特に夜。
錆兎は子猫になった義勇用の寝床を用意してくれているのだが、基本、義勇が寝たい所で眠るのを止めないので、義勇は毎晩錆兎のベッドで錆兎の頭の横、錆兎の素晴らしい顔がよく見える位置で眠っている。
そうすると朝、目が覚めた時に最初に見られるのがそのとても美しい顔なのだ。

上質の絵画を目にすると心が豊かになるように、朝一番でとてつもなく顔が良い錆兎を目にすると、義勇の一日はとても良い状態でスタートできる。

そうしてしばらくその寝顔を堪能したあとに、間違っても爪をひっかけて傷などつけないように細心の注意を払ってパフパフと前足で軽く触れると、ゆっくりと瞼が開いて、これもとても美しい藤色の瞳に子猫になった自分の姿が映るのだ。

その後は錆兎はまどろみから覚めたばかりの少しはっきりしない意識で、それでも優しく微笑んで、──おはよう、ぎゆう…と、これも魅力的な、いわゆるイケボで挨拶をしてくれる。

人間ではここまで近い距離でこの美しい顔や声を堪能できないだろうから、本当に子猫の特権、子猫万歳といったところだ。


そんな風に始まる幸せな一日。
食事は当然猫のもので、最初に口にすることになった時には抵抗があったのだが、体が子猫なせいか、あるいは錆兎が用意してくれるものだからなのか、これがとても美味しく感じる。

義勇は人間の頃から食べるのが下手で、伯父や伯母、従姉妹に嫌な顔をされたものだが、子猫になってからは皿から食べようとすると盛大に散らかる上にあまり食べられない義勇のために、錆兎は嫌な顔一つせず、わざわざ適量を自分の指に乗せて義勇が食べやすいように口まで運んでくれるのだ。

ああ、確かに高級なペットフードを使っているからというのもあるが、こういう愛情を注いでくれる錆兎の行動の一つ一つが、食事が美味しいと感じられる理由なのかもしれない。

子猫になった義勇にとって、世界はまるで巨人の国にでも迷い込んだように大きくて、いつも食事の時に乗せられるテーブルは一人だと降りることができない。

そう、そもそもが錆兎と初めて出会ったあの時だって、ベランダの戸が開けられずに締め出されていたのだ。
一人だと心細いどころか、あっという間に死んでしまうのだろうとよくよく考えればわかる。

なのに全然心細くならないのは、義勇が心細い思いをしないように、何か不自由があればすぐ気づくようにと、錆兎が義勇を常に自宅ではエプロンのポケット、外では背広の左ポケットに入れてそばにいてくれるからだ。

そう、錆兎が居れば全ては大丈夫。
義勇は子猫になってからずっとそう思っていた。

あの日…従姉妹が来るまでは…。



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