幸せ行きの薬_10_隣人の従姉妹

「鱗滝さん、おはようございますぅ~」
錆兎が出社しようと家を出たところで、隣家の住人に声をかけられた。

錆兎の出社時間が早かったこともあり、前の住人である冨岡義勇とはあまり顔を合わせることがなかったが、その従姉妹であるこの女子大生角田マリとは実によく会う。

…というか、おそらく待ち伏せされている。

あまりに毎日会うので出社時間を毎日ずらしてみたのだが、それでもやっぱり会うので間違いない。

それでも証拠があるわけでもないので、
「おはようございます。相変わらず早いですね」
と、無難に返して廊下をエレベータの方へ向かっていくと、
「あ、外まで一緒に!」
と、小走りに追ってくるのもまいどのことだ。


「猫ちゃん、いつもポッケの中なんですね。
全然暴れないし、可愛いですね」
と、エレベータを待つ時間、ぎゆうに向かって伸ばしてくる手を遮るようにぎゆうの頭に手をやると、
「ありがとう。でも人見知りなので申し訳ないが手は触れないようにお願いします」
と、にこやかに返す。

確かぎゆうを見つけた翌日に伯母夫婦に状況を聞いてぎゆうを引き取るとなった時、娘は動物が嫌いと聞いていた。

実際長い爪で触れてけがをさせるかも…という気遣いもなさそうだし、おそらく子猫を可愛がっている錆兎に対する機嫌取りなのだろうと思う。


ぎゆうを引き取る際に、育成環境を語るのに、伯母夫婦に一人暮らしであることと、社長なので仕事場所の自由がきくことをうっかり漏らしてしまったのがまずかった。
それが親から伝わっているのだろう。
しょっぱなから距離感がおかしい。
馴れ馴れしい。

一緒にエレベータに乗って1階につき、
「じゃあ、私はここで…」
と、駐車場の方に足を向ける錆兎にいつも物問いたげにするのだが、今日はなんだかついてくる。

それでも錆兎はあえて指摘しない。
そうして無視して車に乗り込もうとすると、後ろから、あのっ!と声がかかった。

「…なにか?」
と仕方なしに問えば、彼女はもじもじという。
「実は今日、早くいかないといけなくて…」

「そうですか。じゃあ、急いだほうがいいですね」
もう何が言いたいかはわかっているが、さらにスルーしていると、彼女は思い切って!というように
「あのっ!駅まで乗せて行っていただけませんか?」
と、身を乗り出してくる。

まあついてきている時点でそう来ると思っていたので、錆兎は割合と冷静に
「車は道路が混んだりと時間が読めないので、走った方が早いですよ。
それに申し訳ないが、私はトラブルを避けるために他人…特に異性はよほど親しい相手しか乗せないことにしているので」
と、はっきりきっぱりと断った。

が、敵もさるもの、あきらめない。
冗談めかしてだが
「え~。
別に私、鱗滝さんならいいんだけどなぁ。
何かあっても責任とって籍入れてくれそうだし…
親しい人になりたいですぅ」
などという。

相手は錆兎が自分の従兄弟について調べていて、その結果、自分についてのえげつない諸々に関しても知られているとは夢にも思っていないのだろう。
まあそれを別にしても錆兎はこういう慎みのない女性は好きではない。

なのでことさら冷淡に
「私は相手は慎重に選びたい派なので。
どちらにしてもそういう発言は慎んだ方がいい。
品位を疑われますよ。
では、失礼」
と、言い放つと、ドアを閉めて車を発進させた。

ミラーには呆然と立ち尽くす隣人マリが映っている。
男受けをしそうな栗色の巻き髪に化粧が濃いので素顔はわからないがまあ美人と言える顔なので、おそらく好意を示した男に邪険にされたことがなかったのだろう。

だが、そんなことは錆兎には知ったことではない。

報告書を見る限り、親が従兄弟の資産を不正に取り上げて自分に横流しをしていることを知っているかどうかはわからないが、両親を亡くして引き取られた従兄弟をバカにして冷遇し続けたのは確かである。

そんな性格の悪い女の近くに居たいとは思わない。
自分だけならとにかく、自分のそばには常にぎゆうがいるのだから、少し目を離した隙に虐待でもされたら大変だ。

ぎゆうは賢い猫なので何かあの女子大生の闇の部分を感じるのか、ポケットの中でずっと固くなっていて、車に乗って彼女が見えなくなると、なんだかホッとしたように力を抜いた気がする。


しかし、この件はこれで終わらなかった。
こうしてこれだけはっきり拒絶をしたのでもう来ないと思っていたが、甘かったらしい。

その日の夜、いきなりチャイムを鳴らすので、彼女の従兄弟について何かわかったとかかもと念のためチェーンを付けたままドアを開けてみたら、いきなり大量のタッパーの入った紙袋を突き出された。

「あのっ、作りすぎちゃったので一緒に食べませんかっ?」
と、笑顔で言うマリに錆兎はため息をつく。

本当にどこぞのドラマや漫画に出てきそうなテンプレの行動だが、こんなので流される人間がいるんだろうか…

「自分の食事は用意しているので要りません」
「え?…でも一人暮らしだと栄養も偏るし、たまには……」
「栄養についてもきちんと管理しているので問題ありませんし、どうしてもの時は作りに来てくれる相手もいるので…」

あえて誤解を招くような言い方をしているが、まるっきり嘘ではない。
いざとなれば真菰が作りに来てくれるし、彼女が忙しい時は人を雇うくらいの収入はある。

恋人がいると思うであろう発言に、さあ、これでようやく諦めるか…と思えば、相手は思いのほかしつこかった。

「でもっ!鱗滝さん、独身なんですよねっ?!
私、料理すごく得意なんですっ!
彼女さんのものより絶対に美味しいと思いますっ!
隣だから毎日届けられるしっ!
食べるだけ食べてみてください!!」

もうここまで来ると言葉で説得するのは無理だろう。

「迷惑です。帰ってください」
と、だけ言って、錆兎はドアを閉めてカギをかけた。


それでもしばらくドアをどんどん叩かれたので、インターホン越しに
「あまりしつこいようなら、管理人に相談の上、警察に通報しますよ?」
と言う。

するとマリはようやくドアをたたくのをやめて、
「じゃあ…一緒に食べるのは諦めます。
料理はドアの前に置いていくので召し上がってください」
と言うと、錆兎が
「迷惑なので持って帰ってください」
と返事をする前に秒で自室へと戻っていった。


隣の家のドアが閉まる音を聞いて、錆兎はチェーンをかけたままドアを開けて確認。

隣人マリの言葉通りタッパーの入った紙袋がドアの前に置かれているのを見て、錆兎は玄関先に置いているメモに

──迷惑なのでお返しします。今後もこういう行動をとられるようなら、迷惑行為として管理人に苦情を申し立てます。

と、書いてソッと音がしないようにドアを開け、紙袋の上にそのメモを乗せて隣室のドアの前へ。
そして念のためそのメモと隣室のドアが写るように写真を撮っておく。

自室でのドアを挟んでのやりとりは、相手が隣室の女子大生だと分かった時点で防犯カメラを作動させて映像を撮ってあるし、これで何か言ってきても大丈夫だろうと、いったん部屋へ戻った。

こうして全ての面倒ごとを終えて部屋に戻って落ち着くと、玄関先での錆兎と女子大生のやりとりに不穏なものを感じたのだろうか…
錆兎の最愛の子猫がエプロンのポケットの中でぴるぴると震えている。

猫というものは人のように涙を流して泣くことはないが、そういう時のぎゆうはなんだか心細さに泣き出す寸前のような顔をするのが面白くも愛らしい。

「怖がりのお前を不安にさせて悪かった。
もう悪いやつは追い返したから大丈夫だぞ」
と、いったん抱き上げて胸元に抱え込んで言ってやると、不安だった気持ちを訴えるように、みぃみぃ鳴く。

しかし指先でゆっくり頭や顎を撫で続けていると徐々に落ち着いてきたのか、体の震えも止まってゴロゴロとのどを鳴らし始めたので、そこでようやく錆兎はぎゆうの離乳食を指先に乗せて、少しばかり遅くなってしまった夕食を摂らせ、その後、自分も簡単な食事にありついた。



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2 件のコメント :

  1. またもやマリ...^^;手作り料理に媚薬くらいは仕込んでそうですね。

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    1. 既成事実くらいは狙いそうですね😅💦

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