数日後…興信所から手配していた人間の義勇の情報が届いた。
もちろん子猫のぎゆうが人間になったということではなく、ぎゆうがいたベランダの部屋の住人であった、冨岡義勇という青年のことである。
と言うのが、資料の入った茶封筒を渡してきた時の真菰の第一声。
やばい?何が?ぎゆうを返せとか言われて拒否が難しいということか?
と、その言葉でまずそう聞いた錆兎は、もう子猫のことしか頭にない。
親バカならぬ飼い主バカだね、と、真菰に呆れられながらも封筒を受け取り、自宅に帰ってからゆっくり確認しようとそれをカバンの中にしっかり入れて残りの仕事を片付け始めた。
不思議なことにぎゆうは自分をあのマンションに連れてきた人間のことを話していると理解しているのだろうか。
錆兎が封筒をカバンにしまうと、不安げな様子で珍しくタオルの上を出て、小さな前足をぱふっと錆兎の手にかけて、抱っこしてくれとばかりに、にゃあ、にゃあ、鳴いた。
「大丈夫。俺は何があってもお前を手放す気はない」
と、錆兎はぎゆうを抱き上げて、そのふわふわの毛の生えた小さな頭に軽く口づけてやる。
そうして近づくとさらに少しでも錆兎に近づこうとぱたぱたと伸ばしてくる柔らかな前足の感触がくすぐったくて、錆兎は小さく笑ってしまった。
その日はぎゆうがどうにも落ち着かないので、来客予定もないことをいいことに、真菰が貸してくれた大判のスカーフにぎゆうをくるんで、抱っこ紐のように首から下げて、仕事をすることに。
ぎゆうは相変わらず大人しくて暴れて落ちるようなことはなかったが、それでもどこか不安なのか、ずっと錆兎の胸元にすりすりと額をこすりつけていた。
仕事が終わっていったん帰宅。
いつもにもまして必死な様子で錆兎にしがみつくぎゆうは可哀そうなので、すっかり自宅にいる時の制服のようになったエプロンのポケットにいつものように入れたまま、錆兎は丁寧に茶封筒の中身を取り出して目を通した。
…あ……なんだかこいつぎゆうに似てるな……
まず目に入ってきた写真に写っている青年は、ぎゆうと同じく澄んだ青い目に漆黒の髪で、やや童顔だが綺麗な顔立ちをしていた。
どこか不安げな表情が愛らしいと思う。
「…お前、こいつを覚えてるか?
いったいなんでお前は5Fのベランダなんかに居たんだろうな?
写真を見た感じの印象だと、子猫をベランダに放置して平気なような人間には見えないんだが…」
と、ポケットからぎゆうを抱き上げて、青年の写真が見える位置に移動してやるが、ぎゆうは中途半端な状態が怖いのか、はたまた錆兎にくっつきたいのか、にゃあにゃあと鳴いて短い脚をぱたぱたとせわしなく動かす。
「あまり興味ないか…」
と、その様子に苦笑して、錆兎は片手でぎゆうをしっかりと胸元に抱きかかえてやった。
すると安心したのかぎゆうはおとなしく腕の中におさまっている。
「あ~…なるほどな…。
真菰が言ってたのはこれか…」
と、時折指先でぎゆうをなでてやりながら、錆兎は資料を読み進めた。
隣人…いや、今は彼の従姉妹とやらが住み着いたので元隣人か…冨岡義勇は幼い頃に家族全員を亡くしているが、彼の父親はまあまあ資産家だったらしい。
規模は大きくはないがそれなりに業績をあげている会社を経営。
しかし自営業には変わりはないので、自分に何かあった時に会社員のように会社が保証をしてくれるわけではない。
だから、万が一があった時に遺された家族が困らないように色々備えてはいたようだ。
まあよもや妻も一緒に亡くなって幼稚園児だけが遺されるとは思ってはいなかったのだろうが、それでも彼は子どもたちだけが遺された場合にも備えて、子どもが18歳になるまでは、自分の資産から定額を生活費としてそれようの口座に振り込むよう、手配していたらしい。
そして、真菰がやばい案件…という言葉を使っていたのは、この生活費を彼を引き取った伯母の一家が使い込んでいたためだ。
彼は15までは伯母の家に住んでいて、高校入学と同時に伯母の家を出て錆兎の隣の部屋で一人暮らしをしていたのだが、本来なら月に40万ふりこまれている生活費の中で彼に渡されていたのはたったの10万円。
伯母の家の近所の人間の話だと、伯母家族が旅行に行くときも彼だけは留守番だったようだし、別途彼の学費用の口座が用意されていたのだが、なぜか彼は小学校から高校まで公立で、伯母の娘は世帯収入からすると学費の捻出は難しいであろう私立校に小学校から通っている。
そして今回…錆兎は義勇の伯母夫婦から、義勇自身がこのマンションを彼らに譲渡したいと申し出ていたと聞いていたが、この背景を考えればそれも怪しい気がする。
遺児である義勇の資産をずっと使い込み続けていた伯父夫婦…。
彼が大人になって資産を直接管理するようになれば、当然、彼らは使い込めないどころか、これまでの使い込みがバレる可能性もある。
そして…突然謎の失踪を遂げる青年義勇。
家を明け渡すつもりなら、子猫をベランダに出したままということはないだろう。
彼は短時間で室内に戻すつもりで、子猫をベランダに出してやったのではないだろうか…。
ところが室内に戻すことができない状況に追いやられた。
ということは……まさか?
背筋がゾワリとする。
もしかして…ぎゆうはその時にたまたまベランダに出されていたから無事だったんじゃないだろうか…
もしその時部屋に居たなら……
とりあえずぎゆうの存在はすでに警察も知っていることだし、猫なので証言ができたりもしないので、狙われたりはしないだろうが、用心するに越したことはない。
「…お前のことは俺が絶対に守ってやるからな…」
錆兎はやや青ざめた顔でそう言って、手の中の子猫をぎゅっと抱きしめた。
0 件のコメント :
コメントを投稿