宍色の少年が名で呼ぶ中に天元は入っていない。
彼は天元のことは”宇髄”と名字で呼んでいる。
”天元”という名ではなく、”宇髄”
少年とかなり親しくなったとて、彼が気安く名を呼ぶのは共に大江山で鬼退治をしたという先祖の仲間の3人の直系のみ。
そこに天元は含まれてはいないのだ。
宇髄は四天王の碓井の傍流である。
本家は相変わらず武家の源頼光の家に仕えているが、その傍流である宇髄はいつの頃からか帝に連なる大貴族である産屋敷に仕えるようになっていた。
つまり意図せずにその身分としては逆転したともいえる。
だが、現世の法による身分というものがどうであれ、宇髄家はどこまで行っても伝説となった英雄頼光四天王の4家には数えられることはない。
どれだけ時が経とうとも、英雄は碓井で宇髄はその傍流でしかないのである。
まあ、そんな世間の評判なども天元にとってはたいしたものではない。
しかし彼が自身で柄にもねえ…と思いつつも唯一欲したのは、その頼光四天王の筆頭、渡辺の子孫の仲間の座だった。
正確には綱の孫、渡辺錆兎の特別に親しい者であるという地位である。
天元は子どもの頃から何に対してもよく出来る子だったので、同年代以下の人間を相手にすることはほぼなかった。
下手をすると大人ですら愚かに見えてしまう中で、彼が積極的に関係を深めたいと思える同年代はただ一人、自身の主家の嫡男、産屋敷耀哉様のみである。
耀哉様も聡い天元を重用してくださって、天元は耀哉様のいわゆる側近のような位置に居て、常に主に寄り添っていた。
他が気軽に近づくことのできる立場ではない、やんごとない耀哉様に常に寄り添うということは当然ながら、天元自身も他と気軽に近づく機会には恵まれないため、他に気の置けない友人を作ったりは出来ないということだが、天元は子どもなどくだらないと思っていたので全く問題はない。
むしろ色々に優れた天元と近づきたがる面倒な輩と距離を置く良い口実になるくらいだった。
もちろん天元自身も自分が能力も容姿も何もかもが突き抜けて優れていることを知っていたし、人の輪の中心になることも多いのは当然だと知っている。
しかしそれと同時に、自分は頂点に立つ類の人間ではないと自覚していた。
自分は世界において特別な存在…のちの時代の言葉で言えばカリスマと呼ばれる努力ではどうしようもない資質を持っている人間ではない。
が、物理的にはそのカリスマ以上の能力を持って補佐に徹する最高レベルの凡人であると思っていた。
だからプライドは天高くそびえるくらいに高かったが、自身が特別な人間と定めた耀哉様の下につくことには何も不満はない。
耀哉様は尊い家系に生まれたという以上に、耀哉様自身が上に立つ優れた資質を持っている。
凡人にはない、他人がその尊さに頭を下げたくなるような特別な空気。
生まれながらの支配者…というより指導者というのが正しいのだろうか。
だからと言って物の道理を捻じ曲げて主張するようなことをなさる方ではなかったが、よしんばそれが黒いものだったとしても耀哉様が白と言えば白なのだろうと思ってしまうくらいには特別なオーラのようなものを持つ方だった。
だからそれ以上の人間などいないと天元は思っていたし、そんな耀哉様をあるじとしている時点で、他の人間などくだらないしどうでもいい。
確かにそう思っていたはずだったのだ。
実際、耀哉様に随行した産屋敷の分家の家で目にした頼光四天王のうちの卜部の直系である少年を見ても、ああ、名家の子と言ってもしょせん子どもは子どもだよな、と、泣きべそをかいて震えている子を目の端に捉えてそんなことを思ったものである。
そんな天元に転機が訪れたのは、産屋敷本家、つまり産屋敷耀哉様の家で梅を愛でる宴が開かれた時だった。
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