前世からずっと番外3_1_漂流少年

晴れ渡る空、真っ青な海。
嵐が去ったあとの風は涼やかで心地いいが、ムラタの心はどんよりと曇っている。

時は16世紀、大航海時代と呼ばれる時代。

欧州の列強はこぞって海に出て、今ムラタがいる東南アジアはポルトガルとオランダの大商人がエリアを二分している。

彼、ムラタの雇い主はそのうちのポルトガルのペレイラが率いるペレイラ商会だ。


ムラタは自身はマラッカで生まれ育っているが、祖先を東南アジアの北方、東アジアにルーツを持つ若者で、ペレイラ商会で通訳を務める事数年。
その手腕を認められ、つい先日商船団の提督に任命されて初航海に出たのだった。

だが、なんとも運悪く嵐に遭い、旗艦以外が転覆。
唯一残った旗艦でなんとかかんとか小さな無人島にたどり着いたところだ。

当然積み荷は流され、大きな損害を背負った状態。

初航海だったので当然それをカバーできる実績もない。

このまま戻ったところでペレイラ商会のボス、ドゥアルテ・ペレイラ総帥はそんなムラタを許しはしないだろう。

あれだけ前途洋々だった数日前から一転、突如陥ったどん底の危機に、ムラタは途方にくれていた。



船長室から恨めしいほど穏やかな海を見下ろしながら、

「どう?修理は進んでる?」
と、傍らの水夫に声をかければ、水夫からは

「それが、あんまり…
みんなヘロヘロですから、無理もありませんや。
このままだと、脱走者も出かねませんぜ」
と、これも沈んだ気持ちに拍車がかかるような言葉が返ってきた。

目の前の状況は本当になにもかも厳しすぎる。

そんな憂鬱な現実から目をそむけたくなったムラタは、
「そっか…。例の少年たちは?」
と、今の状況になんら影響を及ぼしそうにない方向の話題を口にした。
少なくとも彼らの話題なら、状況が良かろうと悪かろうと、追い詰められた気になることはないだろう。




それは今の状況うんぬんというより、ずいぶんと現実離れした出来事だった。
嵐が起きる直前の海。

のんびりと仕入れた荷をペレイラ商会の本拠地であるマラッカに運ぼうと航海を続けていたムラタだったが、船員たちが騒いでいるのに気づいて船長室を出て甲板に向かう。

そこには二人の少年の姿。
一人は気を失っていて、もう一人の少年が気を失っている少年をかばうように抱えていた。

それを見て、ムラタは、え?と驚く。

だってここは海の上だ。
港を出た時には確かに不審者などいなかった。
とすると、彼らはどこから来たのだろうか…。

と、思っていると、船員達が船の下、海の上に浮かぶ小さな小舟を指して、あれに乗って漂流していたのだと言う。

え?あんな小舟で?
よく生きていたものだと感心するのを通り越して呆れかえった。


そんなムラタの驚きも気にすることなく、というか、少年自身もやはりかなり疲弊しているようなので、周りを気にする余裕がないのだろう。

「図々しい願いで申し訳ないのだが、この船が次に寄港した港まででいい。
俺たちをこのまま乗せて行ってもらえないだろうか」
と、話す言葉は中国語だが、見た感じ明国人ではなさそうだ。

髪は鮮やかな宍色で、目は藤色という不思議な色合い。
顔立ちはたいそう整ってはいるが東洋人の特徴が色濃くて、服装は和装…そう、日本のものに思えた。

色々がアンバランスで不思議な少年だが、どこか育ちが良さそうで、圧倒的に正義であるとか善人であるとか、そんな方向性の属性に見える。


いったいどこの誰なんだよ?

あまりに色々が現実的なものからかけ離れているように見える相手にムラタは戸惑う。
これが何かのおとぎ話なら、彼はきっと主人公の勇者か何かなのだろう…などとおかしなことが頭に浮かびさえした。


そんな風に驚いて言葉のないムラタの様子を見て、少年は少し困った顔をして、

「顔立ちが東洋系だったから明国の人間かと思ったが、船員達が話しているのはポルトガル語だし、中国系ポルトガル人か?
ポルトガル語の方が通じるんだろうか?」
と、今度は流ちょうなポルトガル語で話しかけてきた。

それにムラタはますます驚いた。
随分と堂々としているので幼さを感じなかったが、よくよく見ればこの少年は10代半ばくらいなんじゃないだろうか…。

それが、ムラタの見解が正しければ服装からすると目の前の少年は明国というよりおそらく日本人ではないかと思うのだが、中国語とポルトガル語と、2種類の外国語を当たり前に操るというのは、すごい。


「俺はムラタ。先祖は日本から来てるんだけど、俺自身はずっとマラッカで生まれ育って、今はポルトガル人の商会で働いている。
元々の仕事は通訳だったから中国語とポルトガル語、英語、あとは少しだけ日本語も話せる」
と、中国語で返す。

中国語なのは他意はない。
最初に少年が話しかけてきたのが中国語だったので、それが一番話しやすいのだろうと思っただけだ。

しかし少年は少し考え込んで、そしてムラタに視線を合わせて聞いてくる。

「中国語なのは…他にわからない言葉の方が良いからなのか?
そうでないなら、皆にわかる言葉の方があなたに要らぬ誤解を与えさせて迷惑をかけないで済むと思う」


まっすぐな視線。
決して他人の顔色を窺っているようではなく、思いやりの心からムラタの身を案じているようだ。
こんな状況なのにムラタの方の立場を気遣えるのは、おそらく彼が多くの人間をまとめる立場に立つように育てられた人間だからかもしれない。

ますます不思議な少年だと思う。

「最初にお前が中国語で話していたから、中国語が一番話しやすい言語なのかと思っただけだよ。
普通に話せるならそうだな、ポルトガル語で」
とムラタが返すと

「ああ、気遣ってくれていたんだな。ありがとう」
と、少年は少しほっとしたように笑った。



何故だろう。
立場的には自分の方が圧倒的に強者のはずなのだが、少年に好意的な反応を返されると安心する。

ムラタはペレイラ商会の中では能力を認められていたため優遇されてきたのだが、完全能力主義の中で常に緊張感を感じていたせいだろうか。

少年は見た目の若さからは考えられないほど能力も思いやりもある気がした。
立場も年齢も自分の方が高いはずなのに、彼を前にするとどこか相手が上に見えてしまう。

しかしこれまで自分の上にいた人間たちと違って、少年は飽くまで謙虚だ。

「それで、話は戻させてもらうが…」
と、流ちょうなポルトガル語でなされた提案は、

「もし寄港するまで乗せてもらえるのなら、当然その分は働かせてもらう。
幼い頃から鍛えているから力仕事はもちろん、海賊が出たなら戦うこともできる。
自分で言うのもなんだが剣術には自信がある。

親族が昔艦隊を率いていて少しばかり乗せてもらっていたこともあるから、船のことも基本的なことは理解していると思う。

他には…そうだな、故あって学ぶ機会が多かったから、ポルトガル語、オランダ語、中国語、英語、あとは…日本語の読み書きおよび会話ができる。

なんでも申し付けてほしい。
…が、相方は出来ればしばらく休ませてやってもらえるとありがたい。
その分、俺が2人分働くから」

年齢を考えたらありえないレベルの能力説明だが、おそらく嘘は言っていないと思う。
何故だかそう確信できてしまう。

これは…もしかして自分が初めて船団を率いて船出したことに対する神様からの贈り物なんじゃないだろうか。
でないとこんなチートな乱入者はありえないんじゃないかとムラタは思った。


「一人二人増えても全く構わないし、出来る人員は歓迎するよ。
だが、速やかに働き続けてもらうために、今日はお前も休んで疲れを取って万全の体調で働いてくれ」
と、ムラタが言うと、

「そうか。それでは今晩は言葉に甘えてそうさせてもらう。
ムラタは良い人だな。ありがとう!
俺は錆兎、相方は義勇だ。
短い間だがよろしく頼む」
と、まばゆいばかりの笑顔を向けられて、ムラタは思わず目を細めた。




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