虚言から始まるおしどり夫婦1_プロローグ

渡辺錆兎は忙しい。

もちろん鬼殺隊の人間で忙しくない者など皆無だろうが、錆兎は唯一無二の役割を担っているため代わりがいない。

そう、鬼殺隊の頂点であるお館様こと産屋敷耀哉の私設秘書にして、唯一彼からの直接の指示で動く部下。

その仕事は表に対する啓蒙活動から裏では無惨の支配を逃れた鬼との協力体制を築くための交渉まで。
本来は耀哉が自らやりたい類の仕事を病で体の動かなくなった彼の代わりに一手に引き受けること早8年。

今日は裏の仕事で長期出張中だった東北から帰って耀哉に報告。
このところ休みもなかったためその後は午後から明日いっぱい休みの予定だ。


こうして久々に戻った産屋敷邸は今日はなんだかにぎやかだ。
そこで、ああそう言えば今日は柱合会議だったな、と、思い出す。

仕事上、時間のある時は柱合会議に顔を出すこともあるし、当然顔見知りになる柱達とは交流もあったが、皆元気にしているだろうか。

そんなことを考えながら、それでも今回は気の張る鬼との交渉だったために非常に疲れているのでとにかく一刻も早く休みたい、と、そんなことを思いつつあくびを噛み殺して歩いてると、ドタドタと足音が聞こえてきて後ろからいきなり腕をつかまれた。


足音や気配、そしてこの場にいる限られている人物の中の一人…
そう考えるとそれが誰だかはすぐわかる。

「何か用か?不死川」
と、足は止め、しかし振り返りはせずに錆兎はそう尋ねた。

静かに、極力穏やかに…
不死川に接する時は、錆兎は他の柱に対するよりもなお意識してそう心がけている。

仕事上、隊士達、特にその頂点に立つ柱との関係は重要だ。
揉めるのはまずい。


不死川はお館様との初対面の時がそうだったように、自らが納得できないような行動や言動をする相手に対しては、ひどく喧嘩腰だ。

お館様…産屋敷耀哉に対しては本人も認識を改めて今はずいぶんと大人しくなったものだが、そうではない相手には誰彼構わず噛みつくことがある。

錆兎に関しても入隊後まもない頃にお館様の補佐役、腹心として召し上げられたことに対して、元水柱でお館様の信望の厚い鱗滝左近次の愛弟子だったための依怙贔屓なのだろうといきなり噛みついてきたので、容赦なくどついて力の差を見せつけて認めさせた。
鱗滝流説明方法である。

まあ根に持つ人間でもなく納得すれば態度を改める素直さはあったようで、それ以来、お館様に準じる者として今度は“様付け”で接してきたために、他の柱達にもそう呼ばせているように名前を呼び捨てで呼ぶように、と、ずいぶんと問答を重ねた結果、ようやくそう呼ぶようになった。


そんな風に錆兎に対してはどうやら目上という認識で同年代にしてはやや丁重に接する不死川だが、困ったことに、義勇に対するあたりがきつい。
とにかくことあるごとに当たり散らしては、時に手が出る。

それでは近づかなければいい…そう思うのだが、義勇の方からも近づいてしまう。

それについては、義勇が水柱に就任した時に、これからは錆兎とだけではなく他の柱とも仲良く協調して仕事にのぞまなければならない…と言った錆兎の言葉を重く受け止めたせいらしいので、錆兎自身も責任は感じていた。

…が、義勇から近づかなくても不死川は義勇を見つけるとわざわざ近づいて行って文句を言ったりどつこうとしたりするので、錆兎のせいばかりとも言えないのだろう。


そんな状況だったので、錆兎からするとあまりいい気持ちはしない。

何しろ義勇は大切な唯一無二の兄弟弟子だ。
それをむやみやたらと傷つけられたら一言二言言いたくもなる。

だが、自分は不死川がそう認識しているように、柱よりは半歩ほどは彼らを束ねるお館様、産屋敷耀哉に近い立場の人間で、その錆兎から注意を促せば、それは下手をすれば命令になってしまう。
柱に対しては全員平等に扱わなければいけない立場で、個人的な感情で柱に差異をつけるのはいただけない。

錆兎は自身の感情を律することに関しては自信のある方だが、それでも大切な義勇が関わることに対してはたまにそんな不快感がこみあげてしまいそうになるので、本当に気を付けている。


ということで、不死川には無意識にきつく当たらないよう、逆にやや柔らかい態度になりがちなのだが、今はさすがに疲れて眠くて、不死川に限らず笑顔を向けるのも正直面倒くさい。

なので言葉だけ返したわけなのだが、今日の不死川はなんだかこの男にしては珍しく俯いた状態で口の中でモゴモゴと言っていて歯切れが悪かった。


「何か用なのか?悪いが俺は今、長期出張後で疲れていて非常に眠い。
用がなければ腕を放して欲しいのだが…」
と、仕方なしにそう言うと、不死川はようやく顔をあげ思い切って!という風に切り出した。

しかしその内容は…

「さ、錆兎はよぉ、お館様の覚えもめでてえし、強いし賢いし出来る男だからよぉ。
男と所帯持つよりはお館様のお嬢様達の誰かを娶って親族になって鬼殺隊支えたらいいんじゃねぇかぁ?」

…で、もうその場にへたり込みたくなるくらいに意味不明だ。


いつもなら、何故そういう話になったんだ?とか聞いてやるところだが、繰り返すが今錆兎は非常に眠い。
眠いところに呼び止められて突拍子のない発言をされると、さすがに迷惑だ。

うん、これは義勇の関係でもないし、他の柱でも迷惑に思うところだから大丈夫。

そう判断した錆兎は
「絶対にない。帰る」
と、そうは強く掴まれていたわけでもない手を引きはがし、さっさとその場をたち去った。

そうして産屋敷邸を出る間、他の柱にも会って意味ありげな視線を向けられるが、彼らは見るからに疲れている錆兎の様子を見て挨拶以上の声をかけずに見送ってくれたので、おそらく大して重要なことではないのだろうと判断する。



こうして産屋敷邸を出て自宅へ帰ろうと町を歩いていると、なんだか元気な足音が近づいてきた。

もうこれは振り向くまでもない。

「さびとぉぉ~~!!!」
とドデカイ声で叫ぶのは、本来なら鱗滝先生が最後の弟子とさだめたはずの錆兎と義勇のあとに唯一特別に剣術を教えた彼らの唯一の弟弟子の炭治郎だ。


普段は明るくてにこにこと機嫌のよい弟弟子だが、声音から今日はなんだか機嫌が悪そうな雰囲気が感じられる。

「炭治郎か…久しいな」
もうこの弟弟子に空気を読めというのは諦めるしかない。

仕方なしに足を止めると、炭治郎は錆兎の前に回り込んで開口一番の言葉が

「錆兎は義勇さんと想いあっている仲なのか?!」
で、ああ、もしかして不死川の謎の発言もそんなところから来ていたのか…と思った。


なるほど、不死川のあの義勇に対するつっかかりは、幼い男児が好きな女子に意地悪をする、そんなところから来ていたのか…
それならなんだかあの謎な距離の詰め方もわかる気がした。

そう言えば目上と認識しているらしい自分には露骨にそういう態度を取ることはなかったが、義勇が弟のように可愛がっている炭治郎といると、余計につっかかりに来ていた気がする。


まあ、それはとにかくとして、今錆兎は疲れて眠い。眠いのだ。
そういう時に人間関係に関わるような繊細な問題について言及するのは避けた方がいい。

「炭治郎…すまないが、俺は今もうれつに眠い。
仕事が忙しくて数日ほとんど眠れていないのだ。
お前が聞きたいようなことがあれば、きちんと答えてやりたいから、明日以降にでも俺の館に来てくれるか?
今は本当に頭が回らなくて、細かいことに正確に答えられる気がしない。
どうしてもと言うなら、俺は義勇を大切に想っているし、義勇もそうだと思う。
だがお前が聞きたいのはそれ以上こまかいことなのだろう?
それならば本当に明日以降に」

それは全て嘘ではない。
だから炭治郎にも伝わったのだろう。


「わかった。では明日に訪ねることにする。
疲れているところを呼び止めて悪かった。
今日はゆっくり休んでくれ」
と、炭治郎はあっさり引き下がってくれた。



本当に今日のこれはなんだというのだ。

おそらく…二人とも義勇に関してなのだろうし、これは早々に義勇自身が説明にくるかもしれない…。
その前にとにかく眠っておこう。

かろうじて保っている意識の中でそんなことを思いながら、錆兎はなんとか自宅に帰りつき、布団を出すのも億劫で座布団をまるめて頭の下に敷くと、そのまま気を失うように眠りに落ちた。


目次へ  >>> Next (12月19日公開予定)


0 件のコメント :

コメントを投稿