寝かせるためにと親が電気を消してしまった部屋にいるのが怖くて、よくこっそり隣のアオイの部屋に行って一緒に寝てもらった。
アオイは頼りない兄を守ろうとしてくれて、
『私が退屈だったから義勇を呼んでお話を聞かせてもらってたのよ』
と、それでも怖がる自分を守る兄という図はあまりに現実性がないと思ったのだろう、そう言ってかばってくれたが、父はもちろんそれを全面的に信じてはいない。
疑いの目を一瞬義勇に向けて、しかしアオイの手前嘘だろうとも詰め寄れず、結局諦めて、いつもにもまして義勇を視界に入れないようにアオイや母と会話をする。
ぎすぎすした空気。
色々分別の付く年になった今にして思えば、幽霊よりも父の方が怖かったんじゃないだろうか。
そう、いつだって幽霊よりも人間は怖い。
今こうして暗い公園に1人でいて害される可能性があるとしたら、どう考えたって害して来る相手は幽霊よりも人間だ。
義勇が生まれて今まで15年間、あれほど怖がっていた幽霊は義勇を害するどころか姿を見た事すらない。
今義勇がこうして暗くて寒い公園で震えている原因は紛れもなく人間である父親で、頬の痛みだって幽霊ではなく父親にもたらされたものだ。
体の痛みも心の痛みも、全ては幽霊ではなく他の人間からもたらされるものなのだ。
このままここにいて次に来るモノは何だろう…。
夜の公園に可愛い服を着た高校生が1人…とくれば、よくあるのは暴行されるとか?
でもそんな目的で近づいてきた男がいたとして、義勇は脱げば男だとわかるわけなので、気持ち悪がって逃げるだろう。
せいぜい金目の物を奪っていくくらいか…。
でも学校はアルバイト禁止だし、学生でカードなんて持っていないし、今あるのはせいぜい現金5000円くらいが入った財布と携帯くらいなものだ…。
そう思った瞬間…
…携帯は…困るな……
と、義勇はそっと携帯が入っているバッグに触れた。
別に機器としての携帯にそれほど執着はしてはいないが、そこには王子さまの電話番号が入っている。
アオイとの時間を除けば義勇の唯一の楽しみ、幸せ、その全てを占めているそれ…。
ああ、本当に今更だが、“アオイ”としてではなく“義勇”として彼に出会っていれば、今のように至れり尽くせりの恋人としてではないにしても、普通の友人としてずっと彼といられたんじゃないだろうか…。
最近は辛い時悲しい時に思い浮かぶのは彼の顔で、ほとんど精神的に依存しきっている彼と縁が切れるのは辛い。
辛すぎて死んでしまうんじゃないかと思うくらい辛い。
そんな事を考えていると鳴る携帯。
間違いようもなく彼からの電話を告げる着信音。
ふと顔をあげて公園にある時計に向ければ21時を指している。
毎日その時間に電話がかかってくるのが半ば習慣になっていたのだが、今日はこんな状態ですっかり忘れていた。
寒さでかじかんだ手でバッグを探り、ようやく携帯を手にしたが、上手く動いてくれない手の中から携帯が転がり出て、地面へと落ちた。
ああ…せっかく錆兎からの電話なのに切れてしまう…
寒くて暗くて痛み以外何もなくて…そんな中で今電話が切れてしまったら自分は死んでしまうんじゃないだろうか…
そんな思いで泣きながら電話を拾って慌ててタップする。
どうやら間にあったらしい。
『良かった。珍しくなかなかつながらないから何かあったのかと思ったぞ』
と、電話の向こうからは安心したような声。
取るのが遅れた事は怒ってはいないようだ。
むしろ心配してくれている。
まだ嫌われていない……
その事実にほっとする。
しかしすぐ、でも…と思った。
錆兎だって義勇が女装している少年だと知ったらわからない。
父親のように、気持ち悪いと嫌悪の目を向けてくるかもしれない。
あの優しかった顔が嫌悪に歪み、優しかった声で罵倒されたら、きっと立ち直れない。
…怖い……
幽霊よりも、父親よりも、自分を嫌った錆兎と対峙するのが何より怖い。
だから…
──…こんな時間に危ないし、迎えに行くから。今どこだ?
と、言ってくれた事はすごく…すごく、すごく、涙が出るほどに嬉しかったのだが、
──…いら…ない……来な…で…いい…
とだけ言って通話を切って、声の聞こえなくなったスマホを抱きしめて義勇は泣いた。
嫌われるくらいなら、好意を持っていてくれた思い出を胸に離れた方が良い…。
このまま死にたい…。
普通に薬は飲んでいたが、気圧が不安定な時やひどい風邪をひいたりした時はたまに出る喘息発作。
いつもは体調を崩すと父が不機嫌になるので極力崩さないように細心の注意を払っていたが、今はただただ崩したい。
そうしてここで悪化して死んでしまえば良い…そう、どうせ誰にも望まれず、皆に嫌われるだけの人生だ。
寒さが辛くないと言えば嘘になるが、そう思えばその寒ささえ好ましい。
死んでしまえば父にこれ以上疎まれる事もなければ、錆兎に嫌われるのを見る事もない。
辛いだけの人生を手放してしまえる…。
かといって…能動的に死ぬような度胸さえない義勇には、持病は優しい救いだった。
寒い…寂しい…悲しい…
死んでしまえるというのは幸せなはずなのに、寒い公園で一人ぼっちで人生を終える事について、そんな風に思ってしまう自分は贅沢なのだ。
…と、何も持たず行く場所もなく、寒い寒い公園のベンチで優しかった相手のぬくもりを思い出して、何度か鳴ったが放置しているうちに鳴らなくなったスマホを抱きしめて義勇は泣いた。
風の音と自分の嗚咽。
それだけしか音のない公園。
静かで悲しい空間……
そこで誰にも看取られることなく、最期の時を誰に知られる事もなく、自分はたった1人で死んでいくのだ…。
そう思っていつもいつも自分を否定してきた現実を、自分の方が否定するように瞼を閉じた瞬間である。
そこに一陣の暖かい風が吹いた気がした。
──お姫さん、お待たせ。おとぎの国から王子様がお迎えに来たぞ
…?
……??
………???!!!
降ってくる声…ありえないはずのその声に、義勇は思わず顔をあげて絶句した。
何故?!
本当に…本当にありえるはずがない!
──お姫さん、お待たせ。おとぎの国から王子様がお迎えに来たぞ
と言って目の前まで駆け寄って来たのは、さきほど電話をした錆兎だ。
最後に来ないで良いと言って通話を切った時には義勇は自分の居場所を教えていないのでわかるはずがないのに、何故か今、迎えに来たと言って目の前で手を差し出している。
電話をした時は錆兎は自宅の自室にいたはずだ。
あれから30分もたっていない。
少し息を切らしているから走って来たのはわかるが、しらみつぶしに探したにしては早すぎる。
まっすぐここに向かったくらいの時間しかたっていない気がする。
驚きのあまり適切な言葉なんて当然出てくるはずもなく、かろうじて
「…どう…して…」
と、口から疑問が転がり出ると、ジッと義勇を確認するように見ていた錆兎は、おそらく切った拍子に血が付いていたのであろう口元に視線を止めると痛ましげに眉を寄せ、義勇の前に膝をついてそっとハンカチでその血をぬぐってくれる。
そして優しく笑いかけながら答える。
「ん~、俺はおとぎの国の王子様だからな。
他人には見えないものが見えるんだよ。
今回はほら、俺の小指とお姫さんの小指を繋いでる赤い糸をたどって?」
そう言って揺らす錆兎の小指には当然糸なんて見えないし、念のため…と見てみた自分の小指にもやっぱり赤い糸が結ばれているのなんて見えない。
でも…それが全くのデタラメだとは思えなかった。
だって、誰にも言ってない。
義勇がいるなんて誰にもわかるはずのないこの公園に錆兎はまっすぐ迎えに来てくれたのだ。
彼は本当におとぎの国の王子様なのかもしれない…
義勇を助けに来てくれたおとぎの国の住人なのかもしれない…
義勇を助けるためにこの世界に来たのだから、義勇を嫌ったり見捨てたりしないのかもしれない……
普通に高校生にもなった人間が考えるにはあまりに馬鹿げたそんなことも思ってしまうくらいには義勇は疲れていたし弱っていたし、なによりそう信じてしまいたかった。
どちらにしてもここにこのまま1人で居たところで、明日あたりは死体になっているかもしれないのだし、万が一世間体を気にして探しに来た親に連れ戻されれば、またひどい事を言われるかもしれない。
それならまだ錆兎についていったほうがいい。
嫌われたら…見捨てられたら、その時に今度こそ死ねば良いだけじゃないか。
「ということでな、お姫さんはなんにも心配しなくていいんだぞ?
今日はおとぎの国の城にお姫さんをご招待だ!」
と言う言葉に促されて支えられるように立ち上がって、義勇はなんの抵抗もなくそのまま錆兎に連れられて行った。
──冷たい空気吸わないようにな~
と、つけられるマスク。
義勇が喘息持ちで冷たい風を吸い込むとよろしくないと言う事を知ってから、錆兎は義勇と会う時はいつもそうやってマスクを常備していてくれる。
そして、上着も着ずに家を出たためブラウス一枚で震えていた身体に当たり前に羽織らされる錆兎のコート。
それは直前まで着ていた錆兎の体温でとても温かくて思わずため息が出てしまうが、それを義勇に渡してしまうと今度は錆兎が寒いのではないだろうか…
そう思って見あげると、錆兎は
「俺は下にセーター着てるし平気。
それともお姫さん、まだ寒いか?
セーターも貸してやろうか?」
などと気遣わしげに顔を覗き込んでこられる。
ここで頷こうものなら、錆兎は本当に自分がシャツ一枚になっても貸してくれてしまうのは目に見えているので、義勇は慌てて首を横に振って
「…あったかい…」
と、羽織ったコートごと自分を抱きしめるように言うと、
「それは良かった。行こう」
と、錆兎は寒いだろうに嬉しそうに笑って、義勇の背に手を回して大通りの方に歩きだした
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