その時に錆兎が言った
──かぼちゃの馬車は休業中だから、今日は悪いけど車な?
という言葉は普通にあり得ないと思うのだが、ここまでの展開があまりにあり得なさ過ぎて、休業中じゃなければ本当にかぼちゃの馬車で迎えにくるのかもしれない…などと義勇は思ってしまう。
そんな事を考えながらも、そんな考えが捨てられない。
だってほら…わかるはずのない居場所を知られて迎えに来られて…休業中のかぼちゃの馬車の代わりにタクシーで連れてこられた“おとぎの国の王子様の家”は、本当に大きくて、お城みたいだったのだから。
──本当に…お城みたいだ…
と思わず呟いてしまった義勇の言葉に錆兎が小さく笑ったのは、
『何を当たり前のことを…』という意味なのか、
『何をバカバカしい事を…』という意味なのか、
どちらの意味なのだろうとなんとなく思った。
「母方の叔父貴と年下の従兄弟と3人暮らしなんだけど、メインの建物の右側に俺専用の離れがあるから、気を使わないでいいからな」
と言いつつチェーンの中からクラシカルな鍵を手にして門を開ける錆兎。
そこでハッとした。
3人暮らしという事は…そこには錆兎の家族がいて、この先もし義勇の嘘がバレたとしたら、女装の男なんかと付き合っていたとか家族に知れて、錆兎の立場が悪くなるのではないだろうか…。
「さ、入ってくれ。
………お姫さん?」
門を開けて手を差し伸べてくれる錆兎。
しかしその手を取れない義勇に、不思議な顔をする。
「…無理……」
「へ??」
泣きながら首を横に振る義勇にぽかんと錆兎は素っ頓狂な返事を返すが、義勇がさらに
「…帰る…」
と、言うと、錆兎は、あ~…と、何か思いついたように頭をかいた。
「確かに男所帯だけど変な事は絶対にしないし、きまずかったら近所に住んでる女の従姉妹呼ぶぞ?
もしくは…本当に帰りたいだけなら、今日は自宅まで送らせてくれ。
さすがに1人で帰すには遅すぎる時間だしな?」
優しい錆兎。
飽くまで優しい。
でも…家族がいて近居の従姉妹がいるということは、どんなに彼が優しくても、彼は本当は義勇の都合の良い世界から来た“おとぎの国の王子様”ではないのだ…。
そんな当たり前のことを改めて思うと、見ないふりをしていた都合の悪い現実がドッと涙と共に押し寄せて来た。
閑静な住宅街のど真ん中だ。
大声をだしたら錆兎に迷惑がかかる。
だから両手で口を塞いでこみ上げてくる嗚咽が漏れるのを押さえると、錆兎は少し慌てたように、おそるおそる義勇を抱き寄せた。
「ごめんな?俺何かお姫さんの気に障ることをしたか言ったか?
ごめん。何か悲しくさせたならごめん」
錆兎はいつでも、義勇がどんなにわけがわからない事をしても絶対に義勇を責めないし否定しない。
大切に大切にされているのがわかりすぎるほどわかる。
だからこそ申し訳なさが募った。
「…さびっ…と…は…良い人っ…だからっ……絶対…すぐっ…素敵な相手っ…みつかるからっ……ごめっ……ごめんなさい……」
「ちょ、お姫さん?!
言ってる意味がよくわからないんだが?」
自分の事が錆兎のトラウマになったりしないと良い。
それだけは心配で…でも本当の事を言うなら少しでも早い方が少しでも傷も浅いかもしれない。
本当の事を言って、死んで詫びよう…。
もうどうせ自分には何も残っていないのだ。
そう思うものの頭の中がぐちゃぐちゃで上手く言葉に出来ない。
案の定、ちゃんと分かる形で伝える事は出来ていなくて、錆兎を混乱させているようだ。
「…ちゃんとっ…死ぬっ…か…ら…っ…」
「ストップっ!!お姫さんっ!なに言ってんだっ!!!」
そこで付き合ってから初めて力加減なしに両腕を掴まれた。
「…自分で…何言ってんのか、わかってるか?」
と、強い色を持って覗き込んでくる藤色の瞳。
その視線は真っ向から受け止めるのには強すぎて、義勇は逃げるように視線を下に反らせた。
「…ごめん……ずっと…錆兎のこと、騙してた……」
胸がズキズキと痛む。
死ぬと決めているのに、死んだら何も感じない、気にしないで良いはずなのに、不安で怖くて声が震える。
数秒の沈黙。
はぁ…と、頭上で錆兎のため息。
ふわりと浮く体。
錆兎は義勇を抱き上げたまま門を抜けると、いったん義勇を降ろして門の鍵を閉めた。
そして再度義勇を抱えて正面に見えている大きな建物の右手、そちらだけでも一般の家ほどもある建物──錆兎が言っていた離れなのだろう──に。
そしてやはりその前で義勇を一旦降ろし、いくつかのキーを通してあるチェーンから一つの鍵を手に取ると、離れの鍵とドアを開けて半ば引き攫うように義勇の腰に腕を回して持ち上げると、そのまま中に入って、ドアに鍵をかけた。
それからリビングらしき部屋まで義勇を連れていくとソファに座らせて、エアコンのスイッチを入れると、戻って来て義勇の隣に座る。
普段は店に入っても座るのは正面。
電車でも義勇を座らせて正面に立つのが常で、こんな風に密着するように隣に座る事はなかったので、妙に距離が近く感じた。
戸惑ったままどう反応して良いかわからない義勇に、錆兎は初めて少し怒ったような視線を向けて言う。
「…お姫さん、騙してたって言ったよな?」
「……うん……」
覚悟していた事だが、改めて厳しい視線を向けられると怖い。
罵られる覚悟も軽蔑される覚悟もしていたつもりだったのに、ちゃんと出来ていなかったみたいで、こんな時に泣くのはずるい、泣いちゃダメだと思うのに、涙があふれて止まらない。
だが、錆兎の反応は少し違っていた。
相も変わらず、本当に何枚持っているのだと思うのだが、ハンカチが出てきて義勇の涙を拭く。
そして続けられる言葉…
「まあ詳しい事はあとで聞くとして、最初に俺の精神衛生上、一つだけ先に聞かせてくれ」
「……?」
「………俺と一緒にいるの……嫌か?」
そんなわけはないっ!!!
あまりに意外な質問だったが、それだけはありえない。
義勇がぶんぶんと首を横に振ると、小さく息を吐きだす音。
ふわりと抱き寄せられ、錆兎の体温に包まれて義勇までホッとして良いシーンじゃないのにホッとしてしまう。
「…じゃ、状況を整理するか。
とりあえずお姫さん、寒くないか?体調は?
気分悪いようなら、休んでからでも良いけど?」
と、言う声音が言葉が、あまりにもいつも通りで拍子抜けしてしまう。
別に事態が好転したわけでは決してないのだが、錆兎の側にいるとなんだか安心しきってしまってダメだ。
「…暖かいし…体調も大丈夫……」
と義勇が答えると、錆兎は頷いて、
「んじゃ、お姫さんが俺を騙している事について、自分的に一番問題だと思う事から話してくれ」
と、少し身体を離して、いつもの表情で義勇を見下ろした。
──自分的に一番問題だと思う事…
それを話したら全ては終わるんじゃないだろうか…。
そもそも今こうして父親に殴られて家を出る事になったのだってそれが原因だ。
と、何を話せば…と整理し始めたところで、義勇はストンと我に返った。
でも考えてみれば錆兎は賢い。
もう絶対にダメであろうことから話せば、話す事は一つで済む。
そうだ…実は男だ…それを話して土下座して死のう。
色々思うには義勇はすでに疲れ過ぎていた。
本当に疲れてしまっていたのだ。
だから…悲しいけれどさっさと終わりにしたい。
「あの…」
「ああ?」
「…男…なんだ」
「はあ???」
唐突過ぎたか。
錆兎はポカンと口を開けたまま固まっている。
驚いて固まっている隙にさっさと言いたい事を言ってしまおう…と、義勇は半ばやけくそ気味に続けた。
「俺は双子で…妹のアオイが困っていたから、あの日、アオイの代わりに天元が紹介するって相手に断りに行ったんだ…」
「へ??!!!!」
………
………
………
「え~っと…ちょっと待ってくれな?
俺さすがに想定外すぎて、混乱してるから…」
怒りよりも驚きの方が大きいらしい。
錆兎はそう言って、もうそれは習慣なのだろう。
義勇の頭を撫でる。
「つまり…最初の日に義勇として会った方がアオイ?」
と、最終的にそこに行きついたらしく聞いてくるのに、義勇はうんうんと頷いた。
「了解。そこは理解した。
つまり、なんだかお姫さんよりはしっかりしてそうだったが、曲がりなりにも女の子だしな。
交際断って逆上でもされたら危ないってことで、兄貴が頑張ってみたってことだよな」
こんな衝撃的な告白をされても、錆兎は飽くまで理性的に分析して好意的に取ってくれて、あまつさえ、また頭を撫でてさえくれているあたりが、すごいと思う。
本人いわく混乱はしているらしいが
「たぶん…色々理解したり分析したりするのに時間かかるし、黙ってられてもお姫さんも不安だろうから、口に出しちまうけど気にしないでくれ」
と、それでも義勇のメンタルを先に気にしてくれるのも相変わらず優しい。
「とりあえず…ここで疑問は二つ。
最初に女装してたのはなぜだ?
あと、最初の日、俺の方もその気がなかったと分かった時点でカミングアウトしなかったのは?」
怒った様子も詰問口調でもなく、淡々と素朴な疑問として聞いてくる錆兎。
それは義勇を随分と安心させたが、その質問は答えにくい。
最初の日、女装をしていた理由を正確に話すには、アオイの片思いにも言及する事になる。
「一つ目の質問は…ちょっと他の人間の大切な秘密に触れることになってしまうから…。
とりあえず俺の…個人的な趣味とでも思っていてくれて構わない。
二つ目は単純にその時にその発想がなかった。
あとで気づいたけどその時にはもうアオイとしての関係が出来あがりすぎてて…言ったら嫌われるのが目に見えてたから…」
怒られるのが嫌だった…で済ませてしまえばいいだけだが、便宜的なことだけですませず、嫌われたくなかった、一緒にいたかったのだという気持ちを伝えるのはせめてもの誠意だと思う。
…一緒に…いたかったから……
と、その言葉を口に出すのは、ひどく勇気が必要だった。
だって普通に考えれば女装した男が一緒に居たいと言ったって気味悪いと思われるか、滑稽だと笑われるかだろう。
義勇が、ぎゅっとスカートを握り締めて唇を噛みしめると、義勇のモノよりは長く骨ばった指先が伸びてきて、唇をなぞった。
「あんま噛みしめると、また血が出るぞ?
俺、今でもお姫さんの唇に血がついていたの、地味にショックだったんだからな。
傷つけないでくれ」
降って来た声があまりに優しくて、義勇は目を見開いた。
おそるおそる顔をあげて錆兎の藤色の目に視線を向けると、それは優しい色合いを持って義勇を見下ろしていた。
「言いにくい事言わせてるみたいでごめんな?
なんか色々俺も驚いたわけなんだけどな、とりあえず騙してると聞いても男だって聞いても、俺の側はまあ、お姫さん可愛いなぁって言うのは変わらなかったのな?
女って性別の方が面倒はないのかもだけど、俺の周りの女って、もっと逞しくて強くてギラギラしててだな…
俺の従姉妹が特殊な趣味を持っててよく『こんな可愛い子が女の子のはずがない』とか言ってて、馬鹿なこと言ってるなとか思ってたんだけど、今納得したっというか…なるほどな、とか思ってたわけだ。
正直、そういう性格とかがお姫さんの本質だったら、俺はこのままでも良いかなぁと思ったわけなんだけど、お姫さんが言う“騙していた”という中身が、性格だったり俺に対する態度や気持ちだったりしたら、また話は変わってくるだろう?
俺が好きなのは、ウェットで優しくて、手芸やヌイグルミ、可愛いもの、甘いお菓子が大好きで、俺があれこれするのを負担に思わず受け入れてくれる、少し恥ずかしがり屋で不器用なお姫さんなわけだから」
ありえない…
本当にありえない…
やっぱり錆兎は義勇の夢の中、おとぎの国から義勇のためにやってきたおとぎの国の王子様なんじゃないだろうか…。
怒りも嘲笑もなく、今もなお女の格好をしている義勇相手に好きという言葉を使ってくれるなんて、どれだけ懐が深いんだ…
そう思いつつも信じられなくて、念を押すように
「でも…男だぞ?
男が女の格好して、刺繍して、ヌイグルミ並べて、ケーキ食べてるんだぞ?」
と言うと、錆兎は
「似合うからいいんじゃないか?
お姫さんが恥ずかしくて嫌だとか言うんなら仕方ないけど、俺はふわふわな格好してるお姫さんが好きなんだけど」
可愛くて人形みたいだしと、義勇の額に口づけを落とした。
あまりに自分に都合が良すぎる展開に、現実な気がしてこない。
何度でも色々確認したくなってしまう。
「…でも…錆兎が良くても…家族が嫌がるだろ……」
そう、そこだ。
義勇だって同い年のアオイは楽しんで受け入れてくれても、父親はひどく嫌悪している。
錆兎だって従兄弟まではもしかしたら許容してくれるかもしれないが、叔父は嫌がるだろう。
そう思って言うと、錆兎はそれも笑い飛ばした。
「あ~、これ秘密だけどなっ?
うちの叔父は実は女苦手な人なんだ。
中学に入ってすぐにカミングアウトされた時には驚いたけどな。
俺は別に女嫌いとか男が好きとかではないけど…とりあえずお姫さんが好きだ。
男でも女でも関係ない。
何人かの女に告白されたことはあるけど、全部断ってた。
好きになったのも付き合いたいって思ったのもお姫さんだけだ」
錆兎の告白に、義勇は思った。
これはもしかしてあの公園で実は凍死しかけている自分が最後に見ている夢かもしれない…。
だってありえない。
義勇が義勇らしくいる事なんて、いつだって否定され、拒絶されるだけで、許容されることなんてあるわけがない。
ありえなさすぎて、不安で怖くてぽろぽろ泣く義勇に、錆兎は念押しするように
「今のままのお姫さんが好きだ。
お姫さんがお姫さんらしく居られるよう、全力で守ってやるから俺の側にいてくれ。
お姫さんが飽くまで死にたいなんて事考えてて、お姫さんを神様に取られるくらいなら、俺はお姫さんをここに拉致監禁する覚悟だぞ?」
と、抱きしめてくれた。
そのぬくもりに今度こそ義勇が安心しきって力を抜くと、
「とりあえず…話せるようなら、何故さっき公園にいたのか話してもらえるか?」
と、初めてそこで今日の事情を聞かれたので、義勇はぽつりぽつりと、父親との確執や今日の出来事を話し始めた。
そうして全てを吐きだしてしまうとひどく体も心も軽くなった気がして、錆兎にしっかりとしがみついたまま、いつのまにか寝落ちてしまったのである。
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