そもそもこの電話番号は非通知にし忘れた義勇が間違って晒してしまったもので、本来は履歴から消してやらねばならないものだ。
昨日からずっとそう思っていたにも関わらず、錆兎は履歴を消しもしなかったし、あまつさえ番号を登録してしまいさえした。
それがこの状況で必要だからなのか、単なる自分の欲求からくるものなのか…正直自分でも判断がつかなくなっている。
常に人生の選択肢を考えながら正しい道を選択するようにしてきた錆兎にとって、そんなことは初めてだった。
それでも…昨夜、寝る直前に義勇は、錆兎に会えて良かったと言ったのだ。
だから世間的に見てどうであれ、義勇にとっては悪い選択ではなかったはずだ。
そう心の中で言い訳して、錆兎はアドレス帳に登録した義勇の番号をタップした。
そしてコール音5回。
あまりに出ないので、さすがに迷惑だったのか…と、不安になっていったん切ろうと思った時、不意に電話がつながった。
しかし電話の向こうではなんだか泣いているようなしゃくりをあげる声。
「義勇、大丈夫か?」
と、思わず声をかけると、なんと電話口で号泣し始める。
いつも大人しくてどこか感情を抑えているような義勇が号泣。
よほどのことがあったのか、それとも現在進行系でなにかあるのか…
──1つだけ聞かせてくれ。お前の前に今、差し迫った危険はあるか?
と、聞けば、
──ない
と返ってきたため、とりあえずは安堵しつつも、あまりに悲しそうに泣くので手を伸ばしてやれない現状が焦れったい。
体調不良などでもないというため、色々聞きたいのは山々ではあるが、義勇の負担にならないためにと、まずは、二択で答えられる簡単な質問を投げかけていく。
それにぽつりぽつりと答えて行くうち、義勇も若干落ち着いてきたようなので、本題、
「で?何をそんなに泣いていたんだ?」
と、聞いてみたら、恐ろしい答えが返ってきた。
『どう言って良いか…自分でもよくわからない…
でも…次死ぬのは俺だと思ったんだ…本当は生きてるべきじゃない人間だし…
死ぬのはしかたない…けど…死に方を考えると…少し…怖い…』
おまえ…ほんっと~~に、今何も危険が迫っていないのか?!
と、声を大にして聞きたいところだが、大声を出したらまた泣き出して話にならない気がする。
めちゃくちゃする。
でも、放っておいてはいけないことだけは確かだ。
どうする…
とにかく間髪入れず反射的に返したのは
「とりあえず否定しておく。
お前は死なない。なぜなら俺が守るからだ」
と言う言葉で、それに対しても義勇は
『…そう…なのか?』
という、なんだか頼りなくもふわふわした返答。
じわりとスマホを握る手に汗をかいたのは、真夏の暑さのせいでは決してない。
こんなに焦ったことは、人生の中で他にあっただろうか…
ゴッドセイバーが殺されたと知ったときでさえ、こんなに落ち着かない気持ちにはなりはしなかった。
錆兎の中で自分が取ることができる様々な選択肢がくるくる回る。
その中にはしていい範囲をかなり逸脱した選択もあったのだが、結局最善として思いつくのはそれしかない。
ため息が出た。
常に自制と理性によって良識の範囲を超えずに生きてきたはずの自分が、本当に馬鹿みたいに振り回される。
それでも見捨てられない。見捨てたくないと思ってしまうのだからもうどうしようもない。
「お前はほんと、そういうとこだぞ。
俺の常識や良識をことごとく根底から覆してくれる。
もう、いい!住所を言え」
半ば八つ当たり気味の言葉と共にそう問えば、
『…住所?』
と、不思議そうな応えが返ってくる。
そこで
「お前が今住んでる場所のだ。
今日はさすがにこの時間だとお前の家族に迷惑だろうから、明日に行く」
と言って、教える事を拒否するようなら、逆に少しは安心な気がしたのだが、義勇は錆兎が思っていた以上に義勇だった。
なんと自分の住所とともに
──…家族は…今海外赴任中だから…俺しかいないけど…。
などと、危機感なくそんな情報まで流してくる。
これ…俺が犯人だったらどうすんだ??
と、話せば話すほど不安しか感じない。
もう少しの時間も1人にしたら危ないんじゃないか…と、そんな考えしか浮かんでこなくて、もしこれが自分を夜に1人で誘い出す罠だったら?など、理性の方は注意喚起をしてくるのに、感情に押し流された。
もう絶対に他にはこんな風にリアル情報を漏らさないようにとくれぐれも言い聞かせた上で、これから行く旨を伝えて、返事も聞かずに通話を終了する。
そうしてまずはカバンにノートPCと義勇の家がWi-Fiじゃなかった時のためにモデムを突っ込み、この時間なのであるいは泊まりになる可能性も考えて最低限の着替えと洗面用具。
あとは財布とスマホを持てば、準備完了だ。
まだ夜の10時半過ぎなので電車は余裕で動いているが、錆兎の自宅から義勇の家は電車だとやや回り道になるので、車を使った方が早い。
なので先日ミッション達成金も入ったこともあり、タクシーを拾って向かうことにした。
そうして住宅街のど真ん中、マンションはエントランスがオートロック式になっているので、その時点で義勇に電話。
『すぐ開ける!』
との言葉でエントランスのドアが開き、マンションの中へ。
まあマンションに関してはこのあたりのセキュリティはしっかりしているようだが、なかには住人が入る時に一緒にすり抜けるように中に入ろうとする輩もいるので、絶対とは言えないと思う。
エレベータに乗り義勇の部屋のある3階へ。
チン!と目的の階にたどり着いた音とともにエレベータのドアが開いて外に出た瞬間、錆兎は一瞬ポカンとほうけた。
…これ…本当に来て良かったんじゃないか…?
と、心底思った。
エレベータを降りてすぐの部屋。
301号室のドアが開いていて、そこに人が立っている。
「お~ま~え~は~~~!!!!」
と、一応声は抑えたものの、それでも若干高くなる声。
錆兎は慌てて駆け寄ると、その腕を取って部屋の中へと連れ込んで、後ろ手にドアの鍵をかけた。
「サビト…サビトだよね?」
と、そんな状況でもどこかぽわぽわと嬉しそうな相手に脱力する。
「…お前なぁ……」
「…?」
「これが俺じゃなくて犯人だったらどうすんだ?」
「…え…だってサビトから電話があってエントランスのドア開けたから…」
「…住人が入る時にすり抜けで入った犯人がマンション内に隠れてる可能性だってあるんだぞ?」
本当に…本当にわかっていない。
「えっと……」
と、目の前でオロオロする義勇を思わず抱き寄せて、
「まあ…無事で良かった。
とりあえず先にまず安全チェックさせてくれ」
と、軽くその頭を撫でてすぐ義勇を開放すると、錆兎は義勇に各部屋の窓などを開け放していないか、ちゃんと鍵をかけているかなどの質問をする。
それにも当たり前に
「えっと…3階だから……」
と、返ってくるのは、もうここまでくると想定の範囲内だ。
「あのな、隣宅が留守だったりする時にベランダからつたってくるとか、絶対ないとは言えないんだぞ。
とにかく今回の諸々が落ち着くまでは窓を開けるな。
鍵をかけろ」
と言って一緒について回って鍵を閉めていく。
そうして一通り危険そうな場所をチェックしおわってリビングに落ち着くと、
「ごめん。誰か来るとか今までなかったからミネラルウォーターしかないけど…」
と、グラスとペットボトルの水を渡された。
そこでようやく落ち着いて相手を確認する。
オンラインゲームではキャラの容姿がイコール本人の容姿とは限らなくて、むしろ似ている方が少ないのだが、ギユウは一応は似せて作ったようだ。
でもネット上のキャラよりも髪はサラサラで肌は白く、青みがかって見える涼やかな目元を縁取るまつげが驚くほど長い。
男とは思えないような薄桃色の唇も鼻も小さく整っていて、全体的に可愛らしい感じのその容姿はどこかおっとりとした物腰もあいまって室内飼いの子猫のような印象を与える。
有り体に言うならば、まあ自分が色々出来すぎるために力を持て余した錆兎の庇護欲のようなものをひどく刺激をしてくれるような雰囲気を持っていた。
くの字型のソファで斜め横に座る義勇の本来は白いのであろう頬は薄桃色にそまっていて、涙の跡がある。
それに気づいた錆兎は、グラスにペットボトルの水を半分注ぎ、
「義勇、お前、泣いて失くした分の水分をちゃんと補給してないだろう?
お前も飲んでおけ。熱中症にでもなったら大変だぞ」
と、その手にグラスを握らせて、自分はペットボトルから直接水をあおった。
義勇はそれに少しオロオロとしていたが、錆兎が、飲め、と、グラスを指差すと、素直に頷いてそれを両手に持ってコクコクと飲む。
うん、何故そこで両手で持つ?
いちいち仕草まで可愛いのは何故だ?
義勇、お前は男だろう?
男として生まれたからには…………
…………
…………
…………
ああ、もういい。お前にそれを追求するだけ無駄だよな…
そんな義勇を前に錆兎の脳内では色々がグルグル回った。
義勇はもう錆兎の生きてきた常識の範囲外に生きる存在なのだ。
そう思うのが一番良いのだろうと、いい加減悟る。
同じ高校生のはずなのだが、どこか仕草や雰囲気があどけない。
こんないきものがこんな危機感の欠片もない状態で今まで無事に生きてきたというのが奇跡のようだと錆兎は思った。
そのくせ本人は自覚なしだ。
「…ええと…サビト?」
「なんだ?」
「…こんな夜遅くに…サビトは…大丈夫だった?
…危ないやつがうろついているかもしれないんだろう?」
と言う言葉にまた力が抜ける。
俺のことより自分のことを心配しろと、声を大にして言いたい。
言いたいが、それを言ったら確実に泣く。
だからとりあえず現実的な説明をする。
「心配してくれるのはありがたいことだがな…
心の底から安心しろ。俺は強い。
剣道、柔道、空手の有段者で、剣道は高校生全国大会個人優勝、空手も全国高等学校全国空手道大会の個人組手で優勝、柔道は同じく男子73kg級優勝者だ。
相手がたとえ大人だったとしても、大抵のやつは張り倒せる。
それよりお前だ。
一人暮らしでいざという時に守ってくれる大人もいないしな。
対策を考えねばダメだろう」
そう言うが、目の前の義勇はぽわ~っと錆兎を見つめている。
「…義勇?」
聞いているのか?と、顔を覗き込むと、
「サビト、すごいなっ!本当にすごい。
ゲーム内だけじゃなくて、サビトは本当にサビトなんだっ!!」
と、なんだかキラキラした目で言う。
うん、可愛い。可愛いけどな、お前どう見ても聞いてないな…と、心底思う。
「俺がすごいのはこの際どうでもいい。
今はそれよりお前の安全だ。
とにかく部屋は今の状態を保て。
窓は開けずに鍵をかけて、ドアもしっかり施錠しろ。
あとは…そうだな、とりあえず明日は防犯ブザーを買いに行くぞ」
「防犯…ブザー?」
コテンと小首をかしげる義勇に錆兎は内心大きくため息を付いた。
殺人犯に殺されるより、怪しげな輩にいたずら目的で誘拐される方が先なんじゃないか?と思う。
何故男がそんな愛らしく小首をかしげる?
男なら、男として生まれたからには…と、常に思い描いてきた錆兎の中の“男像”が、ガラガラと音をたてて崩れていく思いだ。
それでも話は先に進める。
これで止まっていてはきりがない。
「1人暮らしなら日々の食事の買い物なども必要だろうし、自宅から全く出ないというわけにも行かないだろう。
そんな時に何か怪しい輩に出くわした時ように……」
と続ける錆兎の言葉を、義勇は
「大丈夫だ」
と、遮って、いきなり立ち上がると、錆兎の手を取ってキッチンへ。
そうして大きな冷凍庫のドアをバッと開けると、そこにはレンジで温めればいいだけのプレートの山。
「毎日これを温めて食べるから当分大丈夫だ」
と、当たり前に言う義勇に錆兎は唖然とする。
自分のように毎日きちんと自炊しろとは言わないが、毎日毎食これはない…と思う。
それを言うと、
「でも…料理したことないし…」
と、返ってきてさらに呆然とする。
危機感がない、自分の食事も満足に作れない、そんな息子によく一人暮らしをさせようと思ったものだ。
自分が親なら絶対に赴任先へ同行させるか寮に入れている…と、錆兎は思う。
実際、たいていの家事は1人でこなし、人並み以上の危機管理能力と、危険回避能力のある錆兎ですら、普段は親が家に帰れない状態なので、春夏冬などの長い休みは自宅だが、学校のある時期は学生寮暮らしだ。
まあ…錆兎の通う海陽学園は全国屈指の進学校で全国から学生が集まるために、都内の普通校にしては珍しく学生寮を設けているというのもあるのだが……
ともあれ、よくこんな息子を親はおいていけたものだと思って、呆れ混じりにそれを言うと、それまでぽわぽわしていた義勇が急に肩をふるわせた。
何か言い過ぎたのだろうか…と、当然すぐそれに気づいた錆兎が謝罪をすると、義勇はうつむいたまま小さく首を横にふり、そして、言う。
──両親は…俺の顔が見たくないんだと思う……俺が…姉さんを殺したから……
…え?
突然の話に錆兎もさすがに一瞬固まった。
どう反応するのが正しい?と、そのあと瞬時に思って、とりあえず泣いている義勇を抱きしめた。
義勇自身ひどく傷ついて悲しんでいるのは確かなわけだから、まずは労ってやるのが一番だろう。
「電話で言ってたのはそれか?
…話を聞いても大丈夫か?」
腕の中に閉じ込めても義勇は抵抗もせず、錆兎の肩口に顔をうずめてシャクリをあげる。
その背をなだめるように軽く叩いてやりながらそう言う錆兎の言葉に、義勇はやっぱり泣きながら頷いた。
「時間はたくさんあるからな。ゆっくりでいいぞ」
とさらに言ってやると、義勇は縋るように錆兎の背に手を回してぎゅっと錆兎のシャツの背を掴んだ。
そうしてかなりの時間をかけてゆっくり聞き出したその話は、本当に悲惨なものだった。
まだ小学生の頃、海外挙式のために渡航した国で、結婚式前夜に姉と義勇が歩いていたところに強盗が現れ、姉は義勇を逃がすため自分が強盗たちを引きつけて乱暴された末に殺され、親はそれで心を病んだ義勇と距離を取り、高校になった時点で義勇を置いて二人して海外赴任。
それを聞いた時、錆兎の心に沸き起こったのは義勇の親に対する怒りだった。
こんな義勇をよく見捨てられたものだと思う。
義勇はそれが当たり前だと言うが、違うだろう。
普通の小学生に逃げて助けを呼ぶ以外に何が出来たというのだ。
錆兎だって小学生の頃だったら、それ以上の事はできないと思う。
それでもそこにいたのは錆兎ではなく義勇で、自分でもと言ったところで、何の慰めにもならない気がした。
「…義勇…俺はまだ出会って10日もたたないんだけどな、それでもなんだかお前が大切に思えるし、幸せであって欲しいと思っている。
ましてやお前がもし俺の弟で11年間も大切に面倒を見てきたとしたら、自らの命をかけてでもお前を守りたいと思うし、そうして命を落としたとしても、助かったお前には幸せになってほしいと心より願う。
俺が選んで命を落としたことで、お前が一生傷ついて泣いて暮らすのはきっと死ぬより辛いことだ。
死なせたことへの謝罪より、生かされたことへの感謝を持って、少しでも未来へつなげて欲しいと思う。
飽くまで、もし俺がお前の兄だったとしたら…だけどな」
逆に自分がもし死んだ側だったら…と、語るのもどうなのだろうとは思うものの、大切な者は幸せであってほしいものだ…ましてやそれが命と引き換えにしてもいいくらいの相手ならば…と、言うことは伝えたい。
──お前は少なくとも、お前の姉と俺、二人の人間には大切に思われている人間だ。だから二人分の思いの分は、幸せになれるかどうかは別にして、幸せになる努力はしてみろ。
そう言って、こつんと義勇の額に軽く自分の額を押し当てると、義勇はまたぎゅっと錆兎に抱きついて、
──ありがとう…錆兎。俺はいま、錆兎のおかげで幸せかもしれない…
などと、また錆兎の肩に顔をうずめて泣くので、少しはわかってもらえたのではないかと思う。
そうして義勇が落ち着くのを待って、そろそろ夜も遅いし寝るかと、そんな話になったまでは良い。
着替えもきちんと持ってきたし、突然おしかけたこともあるし、絨毯が敷いてある部屋なら、普通に肌掛けの1つでも貸してもらえれば、床で寝ても寒くはないかと思って申し出ると、義勇は当たり前に
「ベッドで寝ないのか?」
きょとんとした顔で言う。
「いや…お前が家主なんだし、お前がベッドで寝ろ。
俺はどこでも寝られる質だから、床で構わんぞ」
と、それにそう返すと、
「別に2人でベッドで寝ればいいんじゃないか?」
と、当たり前な様子で言う。
いやいやいやいや、お前、一応俺達はネット上や電話では話をしていたとはいっても、実際に会ったのは数時間前だぞ?
もっと警戒心を持て!
と言うと、
「…俺のこと…信用できないか…」
と、しょんと肩を落とす。
「そうじゃないだろ、逆だろう!
お前がもう少し俺のことを警戒しろと言っている!」
と、額に手をやって天井を仰ぐと、義勇はまるでおさな子のようなあどけなさで
「錆兎は…俺を大切だと言ってくれたから…危ない事はないだろう?」
などと言うので、絶句した。
主に…可愛らしさとその言葉をそのまま信じてしまう純真さに危機感を感じすぎて…。
これ…悪いやつにだまされないか?
放っておいたらまずいやつだよな……
と、もう今日だけでも何度思っただろうか…
本当に本当に、しっかり守ってやらなければ!!
と、錆兎は改めて思う。
まずは健康と外出時の危険から。
ということで、起きたらどちらにしても一緒に買い物である。
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