しばらくのち、アーサーはぽつりとつぶやいた。
ギルベルトは静かにアーサーの身体をすこしはなして、その顔を覗き込む。
そして、
「なんでそんな馬鹿な話になるんだよ?誰かに何か言われたのか?」
内心の腹立ちを抑えて、ギルベルトは静かにきいた。
「別に誰にも…。ただ…俺がいるとみんなの迷惑になるのかと…」
「何故?俺はお前がいて良かったと思うし、今後だって一緒にいたいと思ってんだけど?
お前は俺の弟子で弟みたいなもんだからな。
お前をローマから預かった時点で、対外的にはフランが、物理的には俺が全責任を追うし、フランも俺もそれを納得してるんだから、なんにせよお前が心配しなきゃいけないことなんて何もないんだぜ?」
アーサーが何故突然そんな事を言い出したのか真意が量れず内心戸惑いながらも、ギルベルトはなるべく穏やかな声音でそう言って、再びアーサーを引き寄せた。
「今日会った光秀な…俺の乳母の息子になんだけど…」
アーサーがぽつりぽつりと話始める。
「王路に俺が行く事に随分驚いていたし…その時は納得したようだったけど、その後、ギルベルトがローマのとこへ行ってなかなか戻ってこなかったのはそのことなのかと…」
あ~、バレてたか…と、ギルベルトはくしゃりと頭をかいた。
そして考える。
アーサーは聡い子どもだ。
下手な嘘をついてもバレるし、バレたら信頼を失うだろう。
自分の危惧をどこまでどういう風に話そうか……
「あ~確かにちっとばかり気にはなって、ローマんとこを訪れたんだけどな…」
なるべく深刻にならないように真実を交えて伝えるしかない。
そう思ってギルベルトは口を開いた。
「実は俺らが王子に遠征してる間、光秀がローマの護衛するらしいんだわ。
で、俺がな、いくさの前はプレッシャーで色々ピリピリすんのと一緒で、総大将の護衛を一手に引き受けるとなったら、光秀だってプレッシャーでピリピリしてんだろうしな。
ローマにしてみたらお前の王子行きを故意に隠していたわけじゃねえ。
単に護衛の件には関係なかったからってことなんだと思うんだけどな。
でも光秀とお前が乳兄弟ってことは当然ローマは知ってたし、光秀にしてみたら、今後の護衛の打ち合わせ諸々でローマには何度も会ってんのに、何故それを言ってくれなかった?ってなるだろ。
だからフォロー入れて置いてやったほうが良いって進言しにいったわけだ。
別に特別なことじゃねえ。
今まで都にいる間は自分も必然的にジジイの護衛役の一端を担っていたしな、それを完全に他者に任せるってなったら、気になることは片っ端から注意していくのは、別に特別なことじゃねえだろ?
今回の事はその数多くある言いおいて行く注意事項の一つにすぎねえし、そこまで特別深刻になることでもねえよ」
珍しく年相応の不安げな表情で聞いているアーサーに、ギルベルトはまたくしゃりと頭を撫でて
「ま、そういうわけで、ローマのジジイと護衛役達の確認事項の一つってだけだから、お前が気にすることじゃねえ。
お前が気にしなきゃならねえのは、武人として軍師として、どれだけ自分を高めていけるか、己の知略や武力でどれだけボヌフォワ軍に貢献できるか、それだけだ。
その他の責任は全部フランと俺で取るから、そのあたりは任せとけ」
と、続けた。
…責任は取る。任せておけ。
そんな言葉を言われたのは初めてだ。
いつだって自分は名家の跡取りで、物心ついてからずっと、自分だけでなく家の全てにおいて責任を負えと言われるのが当たり前だった。
誰かに自分の荷を任せろと言われたのも…
正直もう色々が初めてづくしでどう反応していいかわからない。
ただなんだか胸が痛くて涙が止まらなくて涙をこぼしながら謝ると、
──ガキのくせに全ての責任は自分でって…お前…一体どういう育ち方してきてんだよ。
他人に責任を負ってもらうなんて経験がないと言うと、頭上から呆れた声が返ってくる。
「確かにな、戦場では敵はガキだろうとなんだろうと忖度しちゃあくれねえからな。
気合入れて自力で立つしかねえけど、そうじゃない時は大人だって全てが自己責任っつ~わけじゃねえだろ。
俺でさえ、身の振り方や日常の行動その他の責任は最終的にフランが取るぞ?
俺様は無責任に甘やかすのは好きじゃねえけど、お前はさすがにもう少し大人に甘えろと思うわ」
「…そんな経験ないし…いまさらどうすれば良いのかなんてわからない…」
多少の気恥ずかしさはあるが、ギルベルトくらいの人間を相手にしたら、もう意地を張っても仕方ない気がした。
なので素直に心情を吐露すると、ギルベルトはちょっと悩んだあと、
「わかった。
公に対してはお前にもお前なりの立場っつ~もんがあると思うから、2人きりの時限定だ。
他の目がない2人きりの時は、俺様はプライベートな事はお前を甘やかす事に決めたから、お前は甘やかされろ」
そのギルベルトの言葉に、アーサーは小さく吹き出した。
「甘やかすって…宣言してやるもんでもないよな」
「あ~…まあそうだけどなぁ。
お前の場合、こっちが宣言した上で、お前の方にもそれを受け取れって言わねえと、スルーしそうだし?」
とりあえず…広間には戻れそうにねえし、もう寝るか…と、ギルベルトは箪笥から寝巻きを出して投げてよこした。
「へ?俺もここで?」
と目を丸くしつつそれを受け取るアーサーを後ろに、ギルベルトは廊下に通じるふすまをぴしゃっと開けた。
ひぃっ…
廊下でひっくり返る少女2人…と、膳を横に同じく体制を崩して尻もちをつく菊。
それにため息まじりに向けた視線をギルベルトは膳に移した。
「あ~…俺様の部屋に連れてくるって言ってなかったな。悪かった。
病人を1人放置もなんだからこっちで面倒見ることにしたから。
食器は明日戻すわ」
笑みを浮かべていないとキツイ顔立ちなのもあって、なかなか怖い。
だが、淡々とした口調でそういうギルベルトに3人はややホッと肩の力を抜く。
しかし…それからギルベルトの視線は少女2人へ。
──わかってると思うが……
という声音は少し硬い。
「病人に要らん気遣いさせるような事はすんなよ?
あいつはオレ個人にとって、リヒテンやフランと同様に守るべき大切な存在だというのもあるし、それ以上にボヌフォワ軍の未来の軍師、俺様の跡を継ぐ者として重要な人間だからな。
何か退屈しのぎに遊びたいなら、病人にちょっかいかけないでフランででも遊んで来い」
と、説教モード。
それにシュンとうつむいて自室に戻っていく少女たちを見送って、ギルベルトはふすまを閉めると膳を持って続き部屋の寝室へ戻った。
「桜とリヒテン…何かまだ怒ってるようだったか?」
襖を通して当然のように会話は聞こえていたらしい。
少し心配そうに聞いてくるアーサーに
「いや?たぶん…なんだろうな。
あの2人は何かの遊びとかの一環でついて回ってる気がするわ。
少なくとも怒ってはいねえ。
気になるようならあとでフランから様子聞いとくから、とりあえず食って寝ろ。
明日早く起きれるようなら、剣の相手してやるから」
と、ギルベルトが答えると、アーサーの表情がぱぁあ~っとわかりやすく明るくなる。
「剣の相手っ!約束なっ!!」
と、いきなり元気になって箸を取るあたり、根っから剣術が好きなのだろう。
本当に…アーサーは御大層な名門に生まれるより、普通の街の道場の子にでも生まれたほうが、しがらみもなくて幸せだったのではないだろうか…
あの日、光秀の事をローマに報告に行った時にローマから聞かされたアーサーの境遇…
ずっと正妻に子が生まれないので、兄達は自身が跡取りになると思って育った。
だから、そこで生まれてしまった正妻の子のアーサーのことは当然良くは思わない。
生まれながらにして兄達に恨まれ、対外的には自分よりもはるか年上の兄達と能力を比べられる。
絶対に跡取りにふさわしい人間でなければ認められない。
そんな緊張感の中で生きてきて、10歳を過ぎた頃には唯一の味方の実母も亡くなる。
父が兄達の母とは別の側室に産ませた弟は、兄達とは違い自分より年下だったから、幼い頃は懐いてくれて仲が良かったが、育つに連れてアーサーより遥かに体格が良くなり、次第に側室の腹であるせいで、自分の方が跡取りにふさわしいのに臣下であるのは不条理だと反発するように…
実母亡き後、上からも下からも敵対心をぶつけられ、気を張り詰めて生きていた頃に出会ったのがローマだったらしい。
今眼の前で大好きな剣術の約束に幼子のように目を輝かせているアーサーが、泣く時に声もなくひっそりと泣くのはその頃の名残なのだろうか…と思うと心が痛んだ。
その頃にアーサーと出会っていれば良かったと、ギルベルトは思う。
せっかく才能があるのだ。
子どもの頃くらい、そんなドロドロした方向への気遣いをさせず、大好きなのであろう剣術の修行に励まさせてやりたかった。
まあ、その頃はローマでさえ名門の剣術家の跡取りを引き取るほどの権力はまだ持ち合わせてなかっただろうから、よしんば出会っていたとしても出来ることなんてたかだか知れていたのかも知れないが……
「なんだ?」
そんな事を考えていると、年相応の子どもの顔をしたアーサーが不思議そうな顔でギルベルトを見上げてくる。
「いや。明日早く起きるから早々に食って寝ないとな」
と、ギルベルトも箸をとって膳へと向かうと、アーサーはやっぱり小首をかしげながらも、まあいいかと思ったのか、また食事へと戻っていった。
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