ギルベルトは生まれて初めてそんな壁にぶち当たった。
観察眼には優れていて、思った事を実行できる度胸もあったため、大抵の人間とは上手く付き合っていく事が出来ていたし、むしろ相手に距離をおいてもらうのが大変だったくらいだ。
こんな風に突然離れて行かれた事は初めてで、さらにその相手が自分がいま一番側にいたい相手だったことで、物ごころついて以来いついかなる時も平静さを失わずに働いてくれていた理性が仕事を放棄して、代わりに悲しさやら切なさやら焦りやらという感情が押し寄せてくる。
…アルト…アルト、アルト、アルト…どうして…
いつも隣あって座っていたリビングのソファを前に、まるでそこに彼がいるかのように視線を向けて脳内で語りかけた。
こんな紙きれ一枚で納得出来るはずもなく、しかし事情を聞こうにも考えて見れば彼が身を寄せそうな場所の一つも思いつかない。
実家はなく、父親は再婚して外国のはずだし、学生時代に住んでいたマンションはここに移り住む時に引き払った。
会社では常に自分の側にいて、他とは泊めてもらうほどの親しい関係は築いていなかった気がする。
そうなるとホテルだろうか…。
まだ新入社員でそれほど貯蓄も出来ていないだろうし、安ホテルとかに泊まってトラブルに巻き込まれたりしていないと良いのだが…
悲しさとは別にそんな心配も沸き起こって来て、居ても経っても居られなくなってきて、ギルベルトは便せんを携帯と財布と共にスーツのポケットに突っ込んで立ち上がった。
その時である。
鳴り響く聞きなれた着信音。
無視してしまおうとそのまま玄関に向かうも、留守電に切り替わった先から聞こえる幼馴染の声。
──アーサー君いないんだから、どうせスマホ握り締めてんでしょ?!出なさいよっ!!!
と、その言葉にギルベルトはスマホに取り出してタップする。
「おいっ!!お前、アルトの居場所知ってやがんのかっ?!!!」
意外なあたりではあったが、考えて見ればエリザは今回化粧品のポスター撮りなどの関係もあって、全く接点がないわけではない。
アーサーの方からエリザに相談という事はないにしても、可愛い子好きを日々公言しているエリザの方から声をかけた可能性は十分あり得る。
ホッとしすぎて泣きそうだった。
まだ間に合う。
連絡が取れれば軌道修正できるはずだ。
電話の向こうではそんなギルベルトの焦りと安堵をおそらく長い付き合い上憎らしいほどわかっているのであろうエリザが、
『あたしのマンションまで迎えに来て』
と一方的に言って電話を切った。
ツ~ツ~というビジートーンに一瞬かけなおそうかと思ったが、言うとおりにするのはシャクではあるが、そんな暇があったらエリザの言う通りマンションに迎えに行った方が早いだろうし、アーサーの居場所についての唯一の手がかりであるエリザにへそを曲げられても面倒である。
目的はアーサーを取り戻す事で、他のことはもうどうでも良いと言えば良いのだ…と、割りきって、ギルベルトは車のキーを手に玄関へと急いだ。
こうして辿りつくかつて知ったるエリザのマンション。
エントランスの前に車を停めると、
──今エントランス前だ。さっさと降りてこい
と、電話をかける。
すると3分もしないうちに中から姿を現すエリザ。
おそらく会社から戻って着替えるどころかそのままの格好で待機していたのだろう。
スーツをきっちり着こなしている。
「感謝してね」
と、助手席のドアを開けて乗り込みながらそんな言葉が出てくると言う事は、協力はしてくれる気なのだろう。
「ああ、マジ感謝する。
本気で感謝するし、なんなら今度ちゃんと礼もするから、教えてくれ。
アルトはどこだ?」
こういう状況で意地を張ったって良い事なんて何もない。
エリザが席についてシートベルトをしめたのを確認してエンジンをかけると、ギルベルトは言う。
それにエリザは少し驚いたように目を丸くした。
まあいつも互いに素直に言葉を返すなんてことはないから無理もない。
普段ならそこでイラっと余計な一言を口にして喧嘩になるところなのだが、今はそれも根性で控える。
絶対に取り戻すのだ。
そんなギルベルトの本気度はエリザにも伝わったのだろう。
エリザもそれ以上は軽口も言わず、本題に入ってくれる。
「アーサー君ね、あたしと部下が出先から帰社途中に公園に居たの。
人通りがないとは言わないけど奥に行けば人目もなくなるし、危ないから保護させたわ」
「…保護させた?」
「ええ。部下がアーサー君の同期で知り合いなのよ。
あんたも知ってるでしょ?例の面接ですっ転んだ子」
「茂部太郎かっ?!!」
ギリリとハンドルを握る手に力がこもる。
さすがに握力80以上のギルベルトが握っても折れたり曲がったりする事はないが、ギルベルトの声に苛立ちと怒りの色を見て、エリザは苦笑した。
確か新人研修でアーサーと再会した茂部太郎が翌日に彼に面接の時の礼にと菓子を渡したら、翌日殺気だった笑みを浮かべたギルに慇懃無礼に礼を言われて、恐怖に怯えていたなんてこともあった気がする。
今、自分が話した情報だけで名前まで出てくるということは、どうやら茂部太郎はギルベルトのブラックリストにしっかりと名を記されているようだ。
これは…なかなか気の毒と言うか…直属の上司なので、決して自身は主役になりたくない、モブに徹したい茂部太郎のモブ気質を知っているだけあって、さすがにエリザも同情する。
なにしろ相手は社内一の人気者で実際に仕事も出来て評価もされている男で、滅多に他人に対してマイナスの感情を向けることなどない人間だ。
そんな男に唯一くらい嫌な顔をされたら、事情を知らない人間達から見れば、どうみても茂部太郎が重大な何かをやらかしたのだろうと思うだろう。
実は単なる嫉妬にすぎないわけだが……
「今回はあたしが見つけて、でもあたしが声かけると遠慮して何も言えないだろうなぁと思って、同期の茂部太郎に事情を聞きに行かせたの。
だってあのまま公園に放置して変質者にでも目をつけられたら危ないし?
だから茂部太郎は悪くはないわよ」
「…わかってる……」
フォローを入れてもなお、不機嫌な表情を崩さないギルベルトに、エリザはため息をつく。
「とにかく、うちの部下にあたるのはやめてやってね。
まだ仕事で一緒する事も多いんだから」
「………」
「ギルっ!!」
「わかってる。
で?アルトはどこだ?」
全然わかってない顔で言うギルベルトに、とりあえずこれ以上何を言っても無駄だとエリザは肩をすくめて質問に答えた。
「茂部太郎の家。
住所は……」
ギュンッ!!と、その瞬間急ブレーキ。
ギルベルトは血相を変えて叫ぶ。
「なんであいつの家なんだよっ!!!!!」
あ…これはまずったかな…と思うものの、行き先については茂部太郎にもエリザにもコントロール不可能だったというか、希望したのはアーサーなのだが……
「アーサー君が住居を見つけるまで置いて欲しいって言ったのよ。
そこで断って他の変な奴に話持ちかけられたら怖いじゃない。
とにかく、茂部太郎はあたしの指示で了承しただけだから。
アーサー君に恩義は感じていても、別に同僚以上の感情は持ってないから。
あんたが行けば素直に引き渡すから、危害加えないでよ?!」
「…住所寄越せっ」
全然納得していない顔で言うギルベルトにエリザは迷うが、結局はここまで言って教えませんなんて事はできるはずもなく…
(まあ…何か奴に被害が及びそうになったらアーサー君がなんとかしてくれるでしょ…)
と、半ば自身が説得することは諦めて、茂部太郎の古びたアパートの場所をギルベルトに伝えたのだった。
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