下手な事を言って事態を悪化させるわけにはいかないとしばらく悩んだあと、思いきってそう切り出すと、アーサーは少し困ったような顔で首を振った。
「いや…全然。
課長補佐はいつでも優しいし、俺の方が喧嘩する気があったとしても喧嘩にならないと思う」
と、相手の口から出て来た言葉に、そりゃそうだろうなぁ…と、茂部太郎も納得する。
茂部太郎は広報企画部のエリザの直属の部下なので、このところ例の化粧品のポスター撮りなどで2人と一緒になる事が多いのだが、バイルシュミット課長補佐はアーサーを本当に大切に大切にしているように見える。
もともと面倒見が良いフレンドリーな感じの人ではあるが、それプラス、彼を見る時の目はとても優しいし、慣れない撮影で疲れ過ぎないようにとか、自分のファンの女子社員達におかしなちょっかいをかけられないようにとか、とにかく何かにつけてさりげなく気づかっているように見えた。
もちろん人間には多かれ少なかれ表の顔と裏の顔というものがあると思うが、バイルシュミット課長補佐に関して言うならば、アーサーに危害を加えたり、おかしなちょっかいをかけたりする相手には、彼に知られないように身の毛がよだつような恐ろしい顔を見せたりはするが、アーサー本人にキツイ態度を取ったりというところは想像が出来ない。
では何故?…と考えた時に、逆方向の可能性が思い浮かぶ。
特別な好意を持たれすぎて困っている?
「もしかして…課長補佐にちょっと行きすぎた好意をぶつけられて困ったとか?」
デリケートな問題だけにどう言って良いのかわからない。
だからやや遠回しな言い方になってしまって、伝わるかな?と心配になったが、ちゃんと伝わったようだ。
アーサーはそれにも小さく首を横に振り、苦い笑みを浮かべて
「いや…それ、逆…かな」
と言った。
「逆??」
その返しに茂部太郎の側が意味を取りかねて、首をかしげると、彼は
「俺はもう良いけど…課長補佐には色々嫌な思いとかさせるかもしれないから、内緒な?」
と、シ~っと言うように人差し指をたてて唇にあてて言う。
それに茂部太郎が頷くと、彼は小さく息を吐きだした。
「たぶん…過剰な好意を持っているのは俺の方だと思う…。
課長補佐は元々面倒見が良い性格で…俺に関しては特に自分がスカウトしたというのもあって、ちゃんと面倒を見て育ててくれようと思っているんだ。
だからいつでも何でも優先してくれるし、すごく優しい。
ただそれは部下を一人前にしようとする親心というか…上司心?にすぎなくて、いつか一人前に育てて手を放そうと思っていると思う。
でも俺は…もう頼れるような相手もいなくて、依存しすぎてるんだよな…。
課長補佐に失望されたくない…失望されるのが怖い…
でも全てさらけ出したら絶対に失望されるから……」
と、そこまで言うと、この天使のように愛らしい同僚は、成人男性とは思えないほどあどけない様子でぽろりと涙を零した。
そしてしばらく古びた狭い茂部太郎のアパートの部屋は啜り泣く声だけが小さく響く。
ない…絶対ない…
バイルシュミット課長補佐に限ってアーサーに失望するなんて絶対にない
と茂部太郎は確信していた。
あの人、どれだけ君に執着してると思うんだ…と、声を大にして言いたいところだが、言ったところであの魔王のような形相で言外に圧力をかけられた話などアーサーは信じないだろう。
茂部太郎だって、実際に自分が対象でなければ、あの面倒見がよくフレンドリーなバイルシュミット課長補佐がそんな恐ろしげな態度に出るなんて信じられないくらいだ。
でもここで軌道修正しなければ、バイルシュミット課長補佐だけではなく、自分の上司のエリザからもどつかれそうなので、なんとかしなければならない。
さて、どうする…と、悩んだ時間が長過ぎたのだろうか…
いや、そんなに時間は経っていなかったと思うのだが、外の階段からカン、カン、カン、カン!!!!と、すごい勢いで駆け登ってくる時間切れの足跡がする。
…気のせいか…空気がひやりとしてきた気がした。
寒くもないのに何故か震えが止まらない。
どうか…違いますように……
嫌な予感にそう願う茂部太郎の祈りもむなしく、その足音はぴたりと茂部太郎の部屋のドアの前で止まったのだった。
ものすごい勢いでなるドアベルに、思わず固まるアーサーと茂部太郎。
これ…開けたらその日が自分の命日なんじゃないだろうか……
そう思って茂部太郎はやり過ごそうかと思ったが、そこで振動する携帯。
タップすると上司エリザからのメール。
それを開くと短いメール。
──素直にドアを開けたら命は保証してやってねって交渉済みだから
うあああ~~~~!!!!!
頭を抱えて声にならない絶叫。
これはもう一刻の猶予もならない!!
茂部太郎はスマホを放り出すと玄関へと走ってドアノブに飛び付いた。
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