──ジジイ、昨日の会話、できるだけ一言一句漏らさない勢いで話せ。
翌日は週末で休みだった。
だが、いつものように穏やかで優しい日ではない。
前日、体調不良で早退したアーサーは夜にまた胃痙攣を起こして病院に担ぎ込まれることになったのだ。
まるで著しくストレスに弱い個体のペットでも飼っている気分になる。
同居人…というには、あまりに言葉が通じないと言うか、原因を言ってもらえない。
察するしかない。
結局ギルベルトが帰宅した時にはもう様子がおかしかったというか、何かあったから早退したのだろうし、原因は十中八九、留守中の昼休みに押しかけて来た女子社員とのやりとりだろうとは思う。
今は鎮痛剤で落ちついてはいるが、結局根本的な原因を取り除かないと良くはならないだろうし、ということで、ギルベルトは事情を聞ける唯一の人物に電話をかけている、というわけだ。
本田とはプライベートの付き合いがないとは言わないが、もっぱらネット上なので電話をかけることはあまりない。
だから少し驚いた様子で本田は聞いてきた。
『アーサーさんに何か?』
「俺様が帰宅した時に泣き疲れて寝てて、夜にまた胃痛で病院に行った」
と、答えると、電話の向こうで小さなため息。
『アーサーさんに敵意を向けるような言葉は言われませんでしたよ、お嬢さん方は。
むしろ天使の笑みで席を勧めて美味しい紅茶を淹れてくれるアーサーさんの好感度がうなぎのぼりだった気がします。
会話に関しては、
前半はあなたの女性関係について、
中盤は私が以前あなたに大切な相手がいると言った事について私が誰なのか?まだ続いているのか?と問い詰められ…
後半は自分がいるとあなたの婚期が遅れるのでは?と心配したアーサーさんに、女性陣がむしろ邪魔じゃない、アーサー君付きで結婚して一緒に育てたい発言をしたい発言してましたが?』
「ふむ……」
自分もギルベルト狙いの女性陣に囲まれて怖い思いをした事のある本田の言葉だ。
嘘や勘違いなどはないだろう。
そうなると…可能性として高いのは、自分が迷惑をかけていると思っているのではというあたりだが…
お姫さんのことを話したのは失敗だったか?
もしかしてただの噂だとごまかすか、居たけど別れたとでも言った方が良かっただろうか……
本田との通話を切ったあと、ギルベルトはアーサーのために朝食を作りながら考える。
消化が良いようにとリゾットとミルクティ。
昨日の夜は薬は飲んだもののほぼ眠れていないようだったから、食べさせて薬を飲ませたらゆっくり寝かせてやらなければ…。
昨夜、病院から帰ってからは、様子を見やすいからとギルベルトのベッドに寝かせているので、そんな事を考えながら自分とアーサーの食事を乗せたトレイを片手に自分の寝室へ。
──アルト、飯食って薬飲もうな?
クマのぬいぐるみをしっかり抱きしめて眠っている愛し子の金色の髪をそっと撫でれば、ふるりと光色の睫毛が震えて開いていく瞼の奥から現れる淡いグリーンの瞳。
ああ…綺麗だな…と、ギルベルトはアーサーを起こす時はいつもこの光景を見て思う。
そう言えば一度だけ目にしたお姫さんもこんな色合いの瞳をしていた。
まるで血の色のようなギルベルトの紅い目と違って、それは優しい光に溢れる森の色だ。
きっと清らかで純真無垢な天使や妖精といったものが本当に存在するのだとすると、きっとこんな容姿をしているのだろうなと思う。
正直ギルベルトは努力を尊ぶ人間で、無条件に甘えてこられるのも、甘やかすのも好きではない人間だと思うのだが、この二人は別だ。
この世の全ての辛いものから全力で守ってやりたいし、遠慮などかけらもせずに全力で甘えて来て欲しい。
そう思うのに、そう思う相手に限って甘えてきてくれないのがじれったい。
最初はぼんやりとしていた視線が徐々にさだまって来て、どうやら完全に目が覚めて意識がしっかりすると、途端に透明な雫が溢れだす大きな目。
朝露に濡れる若葉のようなその色合いは思わず見惚れてしまうほどに美しいが、小さな桜色の唇から
──…迷惑かけて…すみません……
と、小さな小さな声とともに溢れだす嗚咽の痛々しさに、ギルベルトはわずかに眉を寄せて息を吐きだした。
「迷惑とかじゃないから。
アルトは俺様の婚期の心配とかしてたって聞いたけどな?
誰でも良いから時期が来たら結婚したいとかいう願望はないし、実際に結婚したいような相手はいねえから。
正直に言うと、お姫さんのことはすっげえ可愛いし守ってやりてえって思ってたけどな?
でもアルトが居ようと居まいと、ネットだけのつながりで、相手はたぶんネットの関係をリアルに持ち込みたいと思うようなタイプじゃねえから。
…今、一緒に暮らしたいのも守って面倒みてやりてえのもお前だけだ。
つ~か、俺様的には、もうちっと心許して甘えて欲しいんだけど?」
カタっとトレイをサイドテーブルに置いて、横たわったままのアーサーに覆いかぶさるようにその顔を覗き込むと、弟が小さい頃によくやったように、そっとその広い額に口づける。
それにアーサーはびっくりしたように大きな目をさらに大きく見開いて硬直した。
そんな表情も可愛くて、ギルベルトは小さく笑って身を起こす。
「ほら、飯食うぞ。
でねえと薬飲めないし、また胃を悪化させて痛い思いはしたくねえだろ」
と、アーサーの身を起こすのも手伝ってやって、テーブルをセッティングしてその上に食事を置いた。
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