いよいよ当日。
どんよりとした副将の胸のうちとは対照的に、そして大将の晴れ晴れした気分を反映するように、すばらしい晴天だ。
風呂、炊事場など最低限の生活に必要なものもそれぞれに。
下人が必要かもしれないが、それは本人の嗜好で選ばせた方がいいだろう。
「皆、無礼がないようにな。大殿が遣わして下さった秘書殿だ。仲良くするように」
妙に浮かれている秀吉の言葉に
(無礼がないように仲良くって、こいつらにできるのか)
と景虎は眉間のしわを深くする。
「そろそろ刻限だな」
ちらりと柱時計に目をやって景虎がつぶやく。
「うむ、それらしき輿か牛車はまだ見えんな」
門の前の通りをチラチラ落ち着きなく見ながら秀吉が言ったその時である。
遠くから馬のいななきとともに蹄の音が近づいてきた。
景虎が門からちらっとのぞくと、すごい勢いで疾走してくる馬が一頭。
馬上には涼やかな姿かたちの若者が見える。
馬は門でハタっと止まり、若者が馬から飛び降りた。
「剣(つるぎ)だ」
若者は短く名乗ると馬の手綱を秀吉に渡す。
そして唖然としている面々をよそに、景虎の前にずいっと立ち、頭一つほど高い景虎を見上げた。
整いすぎた…ゆえにきつい印象を与える顔立ちである。
きりりとした眉の下にはすっと切れ長の眼。
口元もキリリとしていて、全体的に線は細く涼やかながらも、その凛としたたたずまいゆえ貴族というよりは育ちの良い武家の若武者といった感じを受ける。
「貴公が羽芝秀吉か。今日より世話になる」
少年、というにはやや低く、大人の男としてはやや高い、微妙な、しかしよく通る凛とした声でそう言ったところで、ようやく秀吉が我に返った。
「あのね~。君だれ?失礼でしょ。オレ!オレが秀吉!
世話になる相手にいきなり馬の世話させる?
ていうか、君ホントなに?今日は大殿から新しい家臣を遣わして頂くんで、忙しい…」
「私だ」
まくしたてる秀吉をさえぎって若者は言った。
「は?」
ポカンとする一同。
「だから私がその家臣、つるぎだ。そうか、貴様が秀吉…なるほど、サルか」
若者は一人で納得したようだ。
「あ~の~ね~!」
秀吉が食い下がる。
「君初対面の人間にさりげなく失礼な事言ってない?おぢさんだって怒るよ?ねえ?
家臣て何?
おぢさんが待ってるのは綺麗なお姉さんなの!生意気なクソガキじゃないの!うぐっ!」
いきなりみぞおちに鉄拳をぶち込まれて秀吉がうずくまった。
「まあ、落ち着け。だから私だと言っている」
あまりの手の早さに止める間もなかった事に驚きながらも、景虎の脳裏に信長の言葉が蘇る。
(会えば案ずる必要がない事がわかる…)
なるほど、と納得する。
偉そうな物言いは、たぶん宮中なんちゃらで培われたものなのであろう。それをのぞけば…
(まあ、合格か)
と景虎は心の中でつぶやく。
男のようななりも、言葉より手が先にでるのも、まあこの環境で暮らすならむしろ良い事だ。
なにより、おそらく信長も本当に秀吉を潰すためではなく、必要になるであろう人材を送り
こんできたという事に、とりあえずほっと息をついた。
「貴様がどう思おうと、とりあえず貴様の上司だ。いきなりみぞおちはやめておけ」
そういうと殴られた拍子に秀吉が取り落とした手綱を取って、近場の者の渡す。
「そうだったな、すまん。むさい顔でいきなりまくしたてられたのでつい」
若者はまたきっぱり失礼極まりない発言を繰り返す。
羽芝秀吉、彼の受難は今まさに始まろうとしていた。
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