俺達に明日はある?第4章_ザ・秘書その2登場…せず

こうして秀吉の秘書、新しい配下、つるぎは無事羽芝秀吉の武家屋敷に到着した。

「で?もう一人は?」
転げた秀吉を助けおこし、馬を馬屋に連れて行かせたあと、景虎はつるぎに問いかけた。

「さあ?知らん。別に一緒に派遣されたわけではない」
「そうか」
景虎は短く答え、手近な者につるぎを部屋に案内させるように言いつけると、門の前で腕を組んだ。

宮中では全てがなあなあで進んでいくとは聞いている。
たぶん…刻限に関してもそうなのだろう。


つるぎは刻限きっちりにきた。
今にして思えばあの疾走ぶりも刻限に遅れぬようにという気遣いだったのだろう。

身のこなしからすると腕も確かな気がする。
ぶっきらぼうな言葉もまどろっこしい公家言葉を話される事を考えればむしろ好感が持てた。

ようは…秀吉はどう感じたかわからないが、景虎自身のつるぎの印象はそう悪くはなかった。



しかし、さて、自分の方のはというと…

時間がどんどん流れていく。昼過ぎにつく予定が、すでに夕刻になりつつある。
雅を自称する連中は仕方ない、と思いつつ、さすがに眉をひそめざるを得ない大遅刻である。

というか…本当に来るのだろうか。
城からおそらく徒歩でも30分もかからぬ距離で、何故4時間以上遅れる事ができるのか…謎な人種である。


「仕方ない、これ以上待つのもなんだ、こちらから出向いてくる」

5時を回ったあたりで景虎を愛馬にまたがった。
気づかず通りすぎては、と、ゆっくり門を出て城の方にむかう。

城までは他の武家屋敷が立ち並び、城を越えて反対方向には帝が住む御所がある。
そして城と御所の間には公家屋敷が立ち並んでいる。
さらに城を取り囲む武家屋敷をさらに取り囲むように商家や民家が並んでいる。

武家屋敷といえど夕方ともなれば城から戻る者、夕食の買い物等で市まで行きかう下男下女と、人通りも少なくは無い。が…


「ついちまったか…」
雑踏の中をゆったりと馬を歩かせつつ考え事をめぐらせているうちに城の外堀にたどり着く。

そういえば…とふと一人ごちる。

「何でくるかもどういうやつかも聞いてなかったか」

ここにくるまでに牛車や輿と何度かすれ違った。
その中にいた可能性もある。
そんなことにもきづかないほど、ここ一連の騒ぎで疲れきっていたらしい。

「入れ違いで着いてたら、南無さん、だな」
何を言われるかわからんな…とやはり小声でつぶやき、溜息をつく。


30分ほどで日はすっかり落ち、あたりが暗闇に包まれ始める中、今度は羽芝の武家屋敷を目指し、さきほどより若干早い速度で馬を駆る。
人通りもすでになく、月明かりがかすかに走る自分の影をうつしている。

「何をやってんだかな、オレも」
ふと橋のたもとで馬を止めて、馬を下りる。

帰りたくない…もういい加減たどり着いているであろう秘書とやらと顔を合わすのが憂鬱だ。
嫌な事を先延ばしにしてどうなるものではないとはわかっているのだが…


冷静沈着にして勇猛果敢、恐れる者なしと言われている景虎ではあったが、実は人付き合いは激しく苦手であった。

けなされようが、いぢられようが、馬鹿にされようが、人が好きな秀吉とは対照的である。

感情が表にでにくいだけで、実は細かい事がきになりすぎる性分なのだ。

戦に勝つ、そういう大きな目的のために策を練る事は得意でも、日常的にいちいち相手の感情を推し量りながら生きていたら身がもたない。



「秀吉って単純で馬鹿だから♪」
「秀吉って便利でお役立ちだけどねぇ…」
「誰でも良いから彼氏欲しいけど、秀吉だけはいや~」

などなど、口説くたび女達にさんざんな事を面とむかって言われ、それでもめげずに口説き続けられる、秀吉の心の広さ、タフさが景虎をひきつけている要因の一つでもあるくらいだ。

秀吉の元に集まっている面々も総じて、主に似るのか楽天的だ。

武士としても秀吉は決して凡庸な主ではない。

しかし、景虎の武勇が勝りすぎて、しばしば秀吉の下にいることを惜しまれたり、疑問を持たれる事も少なくは無い。
何を隠そう、信長からも何度も直参(信長直属の部下)にならないかと言われて断っている。

巷では「秀吉に過ぎたる軍師」と言われ景虎がいなくなれば秀吉などやっていけまいとねたみまじりに言う者も少なくはない。


だが逆なのだ。
やっていけないのは自分の方だ・・・と景虎は思う。

全面的にして絶対的な好意と信頼。
主としても友としてもそれを与えてくれる人間は秀吉をおいて他にない。
だからこそ景虎は自由な発想で策が練られるのだ。


優秀すぎる家臣はしばしば主から恐れられる。
主は家臣に裏切られる事をおそれ家臣もまたその逆を恐れる。

しかし秀吉の下について以来、景虎はそういう不安を感じた事は一度としてなかった。

また、無骨ながらも楽天的であけっぴろげな秀吉の家臣達の中にいるのも、景虎には、気を使わずにすみ、心地よかったのだ。


そこへ来る新しい自分直属の配下。
秘書というからには自分の最も身近に長時間いる事になるであろう人間。
宮中に通じた、ということは、宮中に近い人間ということで…秀吉達とのような人間関係を築けようはずもない。


気が重い。

馬の手綱をひきつつ、ゆっくりゆっくり館への道をたどる。
シン…と静まりかえる通りは風がことさら冷たく感じる。


(…!?)

木々の影から不意に自然とは異質な気配を感じて、景虎は刀の柄に手をかけた。
愛馬の手綱を手近な木につなぎとめ、刀に手をかけたまま気配の方へゆっくりにじりよる。

信長が統治を始めて以来、一般市民への乱暴狼藉は厳罰に処されるので京の治安は他とは比べようもないほど良くなった。
それでも夜の闇の中、完全な安全が保たれるというわけではない。

スゥっと足を踏み出した瞬間、川べりの桜の木の陰で気配が動いた。



「…来ないで…」

そして放たれる細い声に景虎は足を止めた。
夜桜の桜吹雪にも似た桜色の影が見え隠れするに至って、景虎は刀から手を離した。

(女…か)

殺気は感じない。
ただ怯えたような震える声と後ろにある川が気になった。

あまり追い詰めると飛び込むかもしれない。かといって…

(この時間に一人残すわけにも行くまいな…)

面倒な事になった、と思う反面、これで帰宅が遅れた言い訳がたつか、などという考えもちらほら浮かぶ。

咲き誇る桜の花の匂いに混じって香る梅花の香。そこそこ身分の高い女らしい。

「良家の子女が供の者もつけずに出歩く時間ではないが…?」
声をかけるが返事はない。

「自宅まで送ろう…」
再度声をかけると出るか出まいか躊躇している様子が見受けられる。

この時間に知らぬ者に声をかけられればある意味躊躇するのもしかたのない事か。


(致し方あるまい…)

景虎は小さく息をついてその場に太刀を置き、影の方へ3歩ほど進む。
影がさっと川の方へ退く気配がする。

「これを…」
景虎は腰から小太刀を抜いて、その場におき、また後ろへさがった。

「オレが信用できなければ、これを使うと良い。小太刀ならば女の身でも使えよう」

景虎が下がりきったところで、桜並木の陰からサラっと黒い絹糸のような髪がこぼれる。
続いて真っ白な小さな手が、さらに続いて真っ白な顔が、そして長いまつげに縁取られた
真っ黒な瞳が、怯えたように、しかしすがるように、景虎の前に姿を見せた。

娘はおずおずと木の影から姿を現し、景虎が置いた小太刀に手をかける。そしてそれを
両手で抱えると、フラフラとした足取りで景虎の前まで近づいてきた。


(…!)
娘がすぐ目の前まで近づいて景虎を見上げた瞬間、景虎は思わず息を飲んだ。

暗い上遠目では気づかなかったが、桜の精とみまごうような美しい少女である。
京に来て数々の美しいといわれる女をみてきたが、その全てがこの娘の前ではかすんでしまいそうだ。

呆然と立ちすくむ景虎に娘は小太刀を差し出した。

「…重い…です」
小さな…しかし、透き通ったなんとも言えぬ美しい声が景虎の耳に響く。

「あ…ああ。使わなくて良いのか?」

「…重くて…使えませぬ。それに…悪しき者ならこのように致しませぬゆえ。
失礼な態度、申し訳ありませぬ」
まだ小さく震えながらも娘はさらに小太刀を景虎の方へ差し出す。


景虎は我に返って娘から小太刀を受け取ると、腰に差しなおし、ついでに地面に置いた太刀も拾った。そして続いて発せられた

「身分あるお武家様…ですか?」
という娘の問いにふと考える。

さて、この娘の素性がわからぬ現在、どこまでこちらの素性を明かして良いものか。
さりとて、全く明かさずではまた、娘の不安を増大させるだろう。

「身分があるかどうかは自分ではわからぬが…」
景虎は注意深く口を開いた。

「京の治安の向上に努めよという信長公の命を守らねばならぬ、という立場の者ではある。
ゆえに、供もつけずいる良家の娘をこのような時間にこのような場所に捨て置く事はできんのだ」

これで納得しただろうか。
景虎が娘を見下ろすと、じっと景虎を見上げていた娘の目からポロポロ大粒の涙があふれてはこぼれ落ちた。

「こ…怖かった…」
感極まった娘がそのまま景虎にギュウッっと抱きついて泣き出した。

フワっと広がる梅花の香。
急激な展開にしばし呆然とする景虎。

その表面上は全く変わらぬ表情の裏側では混乱した色々な思考がクルクルと回っている事は、おそらく本人以外にはわからない。

しばらくのち、娘が落ち着いて、嗚咽が収まってきたころ、景虎の思考もようやくまとまってきた。


「事情があるようだが…家の者も心配しているだろう。とりあえず送っていこう」
やはり落ち着いた声で言うので、動揺していたなど誰にもわからない。

得な性分というべきなのだろうか、損な性分というべきなのだろうか。
ともあれ…娘を馬に乗せ、行き先を聞き、公家屋敷の方へ馬頭を向ける。


自分も一緒に乗って良いものか迷ったが、馬に乗った事のないという娘はかなり危なっかしく今にも落ちそうなので、後ろに乗ってその体を支える。
上着も着ず、夜馬を走らせるには若干寒そうな娘に羽織を羽織らせると、娘は小さく礼を
言って話始めた。
娘は現在、行儀見習いのため右大臣家に預かりの身になっていると言う。

「…あかり…と申します。」
俯いたまま小さな小さな声で言う。
相手が名乗った今、こちらも名乗らないわけにもいかない。
公家周りとはあまり関わりになりたくはないが、それはこの小さくなって震えてる娘のせいではない。
それに館につけばどちらにしても名乗らずにはすまないだろう。

「オレは小田信長公配下、羽芝秀吉の家臣、大谷景虎という」

「…え…?」
景虎が名乗ったとたん、娘が固まった。

「…ええー?!」
いきなりバランスを崩して落ちかける娘を景虎は慌てて支えた。

「どうした?いきなり。」
「申し訳ございません!」
小さな体をさらに小さくして叫ぶ娘を馬から落ちぬように支えつつ景虎は、ゆっくり娘にこちらを向かせる。
さきほどようやく止まった涙がまたポロポロと娘の大きな瞳から止め処もなく流れ落ちる。

「わ…わたくし、知らない者に連れていかれそうになって逃げてたら道…わからなくなって
…色々歩いてたら…全然わからなくて…」

しゃくりを上げながら切れ切れに言葉を紡ぐが、さすがに何を言っているのかがわからない。
こんな時間にあんな場所にいた理由を話しているのだろうか。
それが何故申し訳ありません??

「まあ、落ち着け。いったん馬を止めるぞ?何を言ってるのかさっぱりわからん」

このままわからぬまま館について良いのだろうか。
自分自身も段々混乱してきた景虎はとりあえず馬足を止めて、娘が落ち着くのを待つことにした。
パニック状態で申し訳ありませんを繰り返す娘の背中をポンポンっと叩く。

「謝らんで良いから。落ち着いて順を追って話せ。なっ」
娘は最後にもう一度小さく申し訳ありません、とつぶやいて、軽く呼吸を整えた。

「ちゃんと…時間に間に合うようには出たのです」
「時間?…なんの時間だ?」
「信長様からお屋敷に行くように言われた時間です」
「信長?!」

(まさか…まさか…な…)
武芸にも秀でた女と言ってたはず…戦場に連れて行っても大丈夫な…
え?景虎は注意深く信長の言葉を一字一句思い起こした。

『案ずるな。サルの下につけるのはオナゴと言ってもただのオナゴではない。余の懐刀じゃ。
武術のたしなみもあれば、剣も男並に使う。
例え戦場に連れて行こうとも、足手まといには
ならぬオナゴじゃ』

サルの下につけるのは…”サルの下につけるのは”!!!

(騙された!!)
信長の、してやったりという笑い顔が目に浮かぶようだった。

「…で、全く右も左もわからなくなって途方にくれてしまってた時に景虎様にお会いして
、でも初めてのお屋敷をお訪ねするにはあまりに失礼な時間と思い、日を改めようかと
思ったのでございます。…景虎様?」
反応のない景虎を娘、あかりは不思議そうに見上げる。

「ああ、なんでもない。少し考え事だ。」
あかりの声に我に返り、あわてて答える。
反応があったのに安心してか、あかりはさらに言葉を続ける。

「ところで…景虎様はこのような時間に何故あのような場所に?
何か他に御用がおありだったのではありませんか?」
力の抜ける質問である。

まあ…話を聞いてみると、今の今までパニックを起こしてた人間に気を回せとは言えないが…

「…を探しに行ってた…」
「…はい?」
「お前があまりに来ないから、お前を探しに行ってたんだ!」
あまりに馬鹿馬鹿しい結末に眉間を押さえて言う。

一瞬の沈黙。

(やばっ…泣かれる!)
どう聞いても責めてるようにしか聞こえないのでは…景虎が焦って目をやると、あかりはぽかん、とした表情で小首をちょこっとかしげた。

「主の景虎様自ら探しにきてくださったのございますか?」

ま…まあ結果的にそうはなるが…

「ありがとうございます。嬉しゅうございます」
パアッっと桜が咲いたような笑顔。

な…なんなんだ、この激しく楽天的にしてストレートな反応は?!

「と…とにかく、そうとわかったら館へ行くぞ!」
あかりから視線をそらして、慌てて馬頭を反転させる。
顔がかすかに赤い…ように見えるのは気のせい、という事にしておこう。
夜の闇の中、当然気づく者もいない事でもあるし。
大谷景虎の受難(?)もまた、今まさに始まろうとしていた…。







1 件のコメント :

  1. 恐らく脱字だと思います「秘新しい配下」→秘書、新しい配下でしょうか?ご確認ください。(*- -)(*_ _)ペコリ

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