物心ついた頃には剣を持って袴をはいていた。
自分が男ではなく女だと知ったのは随分あとの事だ。
それが貴人の剣術指南役の家で跡取りたる男子が生まれず、女子ばかり6人続き、しかたなく7人目に産まれた女子を跡取りとして剣術秘技を継承させようという苦渋の決断がなされたためだと言う複雑なお家事情を知ったのはさらに後のことだ。
女という人種は姉達を、ついで宮中に出入りする頃にはたくさんの女官達をみて学んだ。
男は門下生を、また多くの公家を見てきた。
くだらないと思った。みんなくだらない。なにもかも。
確かあれは東宮に剣術をお教えしていた時のこと。
京に上ってきたばかりの田舎大名が、これから京に居を構えるに従って東宮にもご挨拶をと訪ねてきた時だ。
稽古を終え、東宮が着替えにいらしている間、田舎大名が無礼にも声をかけてきた。
「悪いか。我が家は代々貴人の剣術指南役。私は幼き頃よりその剣術秘技を学び、会得してきた!剣術においては他の者にひけをとるものではない!」
東宮のお遊び相手も兼ねて参内していた頃だから12歳くらいであろうか。
そろそろ自分の性別も大人の事情というやつも理解し始める程度に大きく、しかし全てを納得して冷静に受け止めるには幼い時分だ。
今まで影でや遠まわしに口にする者はいたものの、面と向かって直接的にそんな事を言われたのは、その時が初めてだった。
「無礼なヤツだな。私は東宮剣術指南役、一条つるぎだ。名を名乗れ!」
子供らしい潔癖さと、名家の跡取りとして育てられたゆえの気位の高さが語気を自然と荒くする。
それに大して信長は子供相手に大仰に答えた。
「これは失礼した、一条殿。ワシは小田信長。いずれこの京の街を統べる者だ」
つい先日都に上ったばかりの田舎者が随分大きな事を言う。
それがつるぎが信長に持った第一印象だった。
馬鹿にされているのか…とも思ったが、冷静な目で見てみれば、特にからかいの色が浮かぶでもなく、子供相手とも思わぬようなしごく真面目な表情である。
「面白いというのは悪いことか?」
信長の唐突な質問に、普段何事もはっきり即答するつるぎも言葉につまった。
すると信長はつるぎの言葉を待たずにさらにたたむ。
「他の者がやらぬ事をやっているから、ワシは面白いと思った。
面白いが悪ければ興味深い、ではどうだ」
「だからなんだというのだ?」
「他人と同じ事をやっている者は所詮誰でも成せる範囲の事しかできぬ。
だが貴公は他人とは違う事をやっている。
ゆえに他の者には成せぬ事を成せる者かと思い、興味がわいた」
今までつるぎの周りにはそんな事を言ってくる人間は皆無だった。
皆しきたりの通りに行動し、他の者と違うことを恥じる。
この男、興味深い、と、つるぎは改めて信長にむきあった。
恐らく30歳には届こうと思われる大人が、まるで自分を対等の者のように扱い、対等に話をする。
つるぎはそれに新鮮なものを感じた。
それまで自分が身をおいていた空気はなんとよどんでいた事か。
「尾張殿、宮がお待ちにございます」
東宮が支度を終えられたのであろう。女官が信長を呼びに来た。
信長が応えて背を向ける。
「信長!」
つるぎはその背中に声をかけた。信長がふりむく。
「今度、私の屋敷へ来い!話がしたい!」
切実に…この男と話がしてみたかった。
この男といると息がつまりそうなこの生活の何かが変わる、そんな予感がした。
たった12歳の子供の言葉に、信長はやはり真剣な顔で
「後日…ありがたく招待をお受けしよう」
と軽く頭を下げ、再び背を向け消えていった。
それがつるぎと信長の出会いだった。
その翌日、信長は約束通り訪ねてきた。
それから二人のつきあいは始まる。
信長は本当に面白い男だった。
つるぎの身分を恐れない。かといってつるぎを子供と軽んじる事もしない。
あくまで対等の武将のように扱う。
時につるぎの洗練された剣術の教えを乞い、時に戦場での実践的な戦い方をつるぎに教えた。
医術書、兵法書、世に出て役にたちそうな様々な書も土産にさげてきた。
「ワシはいずれ、日の国全土を手中にするつもりだ」
信長の言葉はスケールが大きく爽快で、だが、ただの夢物語ではなく、この男は本気でそう考え、いつかそれを成すのだろうと、つるぎに感じさせる何かがあった。
「つるぎ、おぬしもこんな所で公家供のままごとに付き合って終わるような人間ではない。
いつか外の広い世界に出て行く人間だ」
外の世界に出る…そんな事が自分に許されるのだろうか。
「出たくはないのか?」
言葉のでないつるぎに信長は問う。
「出たい…が…」
「出ればいい」
口ごもるつるぎに信長がきっぱり言う。
「出たいのなら出ろ。京だけが街にあらず。公家だけが世界ではない。
道が必要ならいつかワシが作ってやる。最高の舞台を用意してやろう。
ただ、そこで動くのはおぬし自身だ。自分の力でのしあがってこい!」
信長は古い友のように夢を語り、父のようにつるぎの成長を手伝った。
そして…
「ただし、タダで、ではないぞ。ワシの天下取りを助けてくれぃ。
つるぎの手助けがあれば、百人力だ」
と、時にその助力を請い、宮中の作法や慣わしなど、つるぎに教えを乞うた。
時は流れ…信長との交友が始まってはや4年がたとうとしていた。
信長は帝にすら影響を及ぼす大大名になっており、その領土はすでに日の国の半分弱にもなっていた。
「つるぎ、ワシの配下に面白い男達がいる」
つるぎもすでに大人といえる年齢になっていた。
出合った頃茶を酌み交わしながら話していたのが、今は酒に変わっている。
酒の飲み方ももちろん信長から教わった。
「面白い男に面白い男達と言われるくらいの奴等か、興味深いな」
つるぎが杯の酒をくいっと飲み干すと、信長はその杯に酒をついでやる。
「面白いぞ。昨日500の手勢で5000の今河の軍を打ち破り追ったわ」
「ほぉ」
通常敵に勝とうとすれば敵と同数から2倍以上の軍勢でのぞむのが定石だ。
「つまり…」
とつるぎは言葉を続ける。
「他人の成さぬ事を成す男達、ということだな」
「うむ」
信長も杯をくいっとあけ、手酌で注ぎ足す。
「そこにな、お前の席を用意してやる。大将の補佐役だ。
といっても…右腕はすでにおるから、左腕、といったところか」
「信長の下ではないのか」
不満げに言うつるぎに、信長はハッハと笑った。
「不満か」
「不満だ」
つるぎがむっとして言うと、信長はふと笑うのをやめ、つるぎの顔を覗き込んだ。
「今、日の国の中で最高に面白いところぞ」
面白いところである事は信長の言葉からつるぎにも容易に想像はつく。
ただ、信長の元より面白い場所があるとも思えない。ましてや自分に他の者の下につけというのか…。
そのつるぎの考えを見透かすように、信長は続けた。
「これだけ組織が大きくなると、ワシもさすがにそうたびたびは戦場に足を運ぶ事は
難しくなってきた。その者達はワシの代わりに日の国中を飛び回って暴れておる。
ワシと城で地図をつついているよりは、まずは一緒に各地で剣を振り回す事のほうが
おぬしに必要な経験になるだろう。
それに…そこにはすごい男がいるぞ」
「すごい男?」
「うむ。ワシの直参への誘いを頑なに拒否し続けてる例の男だ」
「私が補佐をするというのは大谷景虎なのか?!」
大谷景虎。
つるぎはいつの日からか信長の口からしばしばその名をきくようになっていた。
まだ信長が戦場に身を置くことも少なくなかった頃、何度も何度も誘いをかけては拒否されたと欲しい物が手に入らない子供のように口惜しげに話していた。
つるぎはそれだけ信長に期待され望まれているまだ見たこともない相手に、軽い嫉妬と、それ以上の畏敬の念を覚えたものだった。
「天才軍師の補佐…か」
少し心が動きかけたつるぎの言葉を、信長はあっさり否定した。
「いや、おぬしが補佐するのはサルの方だ」
「羽芝秀吉の?」
ややがっかりしつつも、つるぎは信長が景虎に拒否られたと愚痴ったあとに必ず
「まあ、サル相手ではかなわぬか」
と苦笑していた事を思い起こした。
天才軍師が信長の誘いを断ってまで仕えている武将。
そしてそれを信長自身認めてしまっている男…
多少興味がなくはない…が…
落胆を隠せないつるぎに信長は言った。
「人は右左の足並みが揃わなければ上手くは動かん。
景虎と足並みを揃え、並べるくらいの武将になってこい。つるぎ」
信長が切実に欲しがった天才軍師と並ぶ武将に…
その言葉がつるぎの心をひどく動かした。
「心を閉ざさず周りをみよ。そうすれば自ずと広い世界が見えてくる。
もしおぬしがそれだけの人間になれば、恐らくサルの元にいる意味も見出せるようになっておろう」
信長の言葉は天の啓示のように、つるぎの心に浸透していった。
もはや迷いはない。
城を出る頃には、つるぎの心はすでに大きな外の世界へと飛び立っていた。
確か今河だったと思いますので「今山の軍」←ご確認ください。_(_^_)_
返信削除ご指摘ありがとうございます。
削除修正しました😊