それはペットを飼うたび思うことだ。
しかしこれはペットではない。
ギルベルトが飼っているわけでもない。
確かに彼は戸籍上は成人男性のはずなのだが、これがどこか拾ってきた子猫のようなところがある。
いきなり他人の家で暮らすのに落ちつかないというのは誰しもある事だが、彼の場合、元自宅から持って来た大きなクマのぬいぐるみを抱きしめながら、半分警戒、半分好奇心のような目で、新居にある諸々に視線を向けている。
それがどういうところかとわかるまで定位置であるリビングのソファからほぼ動かない。
ギルベルトが近づくと大きなまるいグリーンアイで、どこか落ちつかない不思議そうな眼で見あげてくるくせに、頭を撫でてやると、そのまるいめが心地いい時の猫のように細くなるのだ。
これが猫ならきっと喉を鳴らしているところだろう、と、ギルベルトはいつも思う。
犬のように自分からじゃれついてくることはない。
じ~っと心細げな眼で何かを訴えるように視線を向けてくる人慣れない捨て猫のようだ。
それでも寝起きなど意識がはっきりしていない時は、ぬくもりに飢えているかのように擦り寄って来たり、抱え込まれたギルベルトの胸元に赤ん坊のようにコシコシと頭を擦りつけたりするのが、めちゃくちゃ可愛い。
甘えたくないわけではないのだ。
でも何か甘えられないような経験があって、自分から甘えてくる事ができない。
だからギルベルトの方から手を伸ばして甘やかしてやることにした。
すると本当にわずかずつではあるが、だんだん慣れてくる。
最初はどんなに腹が減ってようとギルベルトが箸をつけるまでは悲しそうな目をしてそれでも絶対に箸をつけなかった食事も、1週間たった今では料理を作っているギルベルトの後方でじ~っと視線を送ってくるので味見と称して口に放り込んでやると、すごく嬉しそうに食べている。
それはまるで自宅の他の2匹とは年の離れているため若干甘やかしてしまった末っ子犬が、一度茹でたささみをやったら、それ以来ギルベルトが料理をする日になると後ろでじ~っと待機していた日々を思い出す。
もちろん行儀悪くねだったりはしないが、目で語ってくるのだ。
ギルベルトはそういう“視線のおねだり”に何度も負けた記憶がある。
まあ末っ子犬は躾けなければならないペットだったが、アーサーはペットではないので甘やかすのに罪悪感を感じる必要はない。
だから、ギルベルトはそんな風に甘やかしてやることを楽しんでいる。
堂々と甘えてくる事ができない後ろ向きさがじれったいが、やっぱり可愛い。
本当に可愛い。
なんでこんなに可愛く育ってしまったのだろう…そう思っていたら、どうやら家庭環境らしい。
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