「あ、バイルシュミットさん、今日はお子さん研修なんですね」
「あら、今日は坊や1人でおでかけなんですね。心配ですか?」
上から、部長、男子社員、女子社員の言葉である。
今日は今年入社の新人全員が一斉に研修に行っているので、アーサーがいない。
それでどことなく静かなギルベルトに、皆が苦笑交じりに声をかけていく。
1年半ほど前に面接で自ら見いだして自分の補佐につけた新入社員は、可愛くて気が利くだけじゃなく、かなり優秀な人材だった。
頼んだ仕事は素早く正確にこなすし、休憩時間になるとそこそこのお値段を出した店でも飲めないほど美味しい紅茶を淹れてくれる。
教える事は砂が水を吸うように吸収し、最近はギルベルトのスケジュールも把握し始めて、先回りして色々を整えておいてくれるようにすらなった。
そんな優秀な人材であるにも関わらず、褒めてやるとふにゃりと嬉しそうな顔をする。
童顔で下手をすればティーンズにしか見えない愛らしい顔でそれをやられると、実は子どもや小動物が好きな人間にはたまらない。
彼が入社してから、会社が倍楽しくなった。
そんな溺愛している部下が丸一日いないと、表情に出すまいと思っていてもしょんぼりして見えるらしい。
もう片方の隣にデスクを構える本田などは
「以前、アリアさんのことで悩んでいらした時以来くらいに顔に出ていらっしゃいますね」
と、笑う。
まああの時は理由を言うわけにもいかなかったので周りは何事かと動揺したものだったが、今回はギルベルトが日々──俺様の息子──と、公言して可愛がっている部下が原因だと言う事は一目瞭然なので、周りも温かい目で苦笑するに留めていた。
本当に…自分のデスクの左側にちんまりと置かれたデスクが寂しい。
──バイルシュミット課長補佐…
と、いつもつぶらな瞳を向けてくる可愛い部下がいないと、どこかぽっかりと心に穴があいたようだ。
昼食の時だって、いつものように、一歩後ろを本田と並んでちょこちょことカルガモの雛のようについてくる気配がしないのが物足りない。
本当に本当に物足りない。
「ギルベルト君、実はわりあいと感情的な人だったんですね」
今日は久々に本田と2人きりの昼食。
彼は相変わらず塩分過多な食事をしているが、注意する元気もない。
「ああ?そうか?」
と、何故か今日は味気なく感じる昼食を口に放り込んで言うと、本田は綺麗な黒髪をさらりとゆらして少し小首をかしげた。
「私がこちらに転属してしばらくは本当にいつでも冷静で、面倒見はいいけどご自身の感情は読めない人だなぁと思ってましたが、アリアさんとアーサー君のことになると、実にわかりやすく表情に出されますよね」
という本田もあまり感情が顔に出ない方だと思うのだが……と、視線だけちらりと読めない笑顔を貼りつけている上司に向けると、彼はちょうど最後の白米を食べ終わったらしく、ごちそうさまでした…と、両手を合わせて言う。
そしていつもそうであるように、最後に残った漬物をお茶うけに緑茶をすすって言った。
「そう言えば…このところいつもアーサーさんがいらしたので話題にあげるのも…と思っておりましたが、結局アリアさんの件はどうなさったんで?」
新人の入社から2カ月ということは、リアルのお姫さんに出会ってからも2カ月と少したつということだ。
本田もいい加減気になるところだろう。
だがゲーム上では相変わらず3人でオーバーポイントパーティを作って野良で3名メンバーを補充して狩りをする日々だが、リアルの進展は全くない。
「ネット上と変わらねえよ」
と、まず一言。
水面下で何かあるわけではないと、結論から伝えておく。
「あれから弟にさりげなく聞いたんだけどな、ミアは女の格好しててなかなかの美少女っぷりだったんだけど、実は男なんだと」
「おや…」
と、それを聞いた本田がぴたりと湯呑を口に運ぶ手を止めて、わずかに目を見開いた。
「なんでもロズプリの有名な女役の家系で、女の動作を学ぶために普段からそういう格好してるらしいぜ?
お姫さんは友人で、行きたいビュッフェが同じだったってことで、一緒に行くことにしたらしい。
まあ…ゲーム上では最初からの知人には見えなかったから、もしかしたらネット上でそんな話になったのかもしれねえな」
「それでも一応ミアさんは男性で、アリアさんは男性と出かけていらっしゃるということですよね?
宜しいので?」
「よろしくはねえけどな…。
弟いわく、2人は一応“女友達”らしいぜ?
ミアいわく、女同士で出かけるようなところに行って、女同士のような行動をしたいが、“彼女”を女としてみてくれる相手じゃねえと、名門の家だし、一応芸能人なんで色々と問題になるらしい。
で、お姫さんの場合、“女友達”としての付き合いから入ってっから、ちょうど良いってことなんだと」
「なるほど。それで?ギルベルト君はどうするおつもりなんですか?」
「どうもこうも…普通に考えたら、意としてないとこでリアル知られたって知ったら、お姫さんも怖いだろ。
そう思ったら、俺様の方からリアルで会ってるって言えねえし?
理想は俺様の方がなんらかの偶然でお姫さんに顔晒すことになって、お姫さんの方が、ああ、あの時の?って気づいてくれるのが一番なんだけど…」
そんなうまくいかねえよなぁ…と、ギルベルトは肩を落とす。
そんな都合の良い偶然はない…そう半分諦めていたのだが、求めよ、されば与えられん…とばかりに、チャンスは意外に向こうから転がってくる事もある…
この数日後、ギルベルトはそれを知ることになるのである。
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