この資料をまとめてから…と、思っていると、降ってくる声。
と、先に行っていてくれと言おうとすると、
「ダ～メ！休みはきちんと休め。あと少しなら休み取ってからやれば良いだろ」
と、半ば強引にノートＰＣを目の前で閉じられてしまう。
そうなるともう仕方ない…とばかりに、アーサーも立ち上がって一歩前を行く直属の上司の後ろから、何故か自分と並んで歩く課長の横を歩いて食堂に向かった。
４月始めから入社したワールド商事。
１年半ほど前に内定をもらって、当初はずっと入社を楽しみにしていたのだが、入社直前の３月下旬から、ひどく入社するのが怖くなった。
というのも…おそらく入社後に直属の上司になるであろう人物に、あろうことか、女装姿を見られたからだ。
そう、ネットで知り合ったお姫様が、リアルで会ってみれば実は女装男子で、一緒にと懇願されて女装で出歩いたら、しつこいナンパ男達に拉致られかけた。
そこでまるでドラマのヒーローのように颯爽と登場したのは、お姫様の小学生時代からの友人とその兄だった。
そこで助けてもらって落ちついたところで相手を確認して驚いた。
なんと、その、友人の実兄がバイルシュミット課長補佐だったのである。
それに気づいた時には人生が終わったと思った。
さすがに女装姿はダメだろう…そう思ったわけなのだが、なんとアーサーだと気づかれなかった。
すごい！さすがに本職の女性役の役者の化粧法！！
と、お姫様ミアことフェリシアーノの化粧の腕に感謝をしつつ、一旦は安堵したわけなのだが、少し時間がたつと、また心配になってくる。
あの瞬間はバタバタしていたから気づかなかっただけかもしれない…
だが、落ちついたら、あれ？と気づかれたらどうしよう…と。
そう考えると、もし顔を見て気づかれたらと、それ以上バイルシュミット課長補佐と顔を合わせるのが怖くなった。
それでも入社まであと数日しかない状態で、他に就職先を探すことなど出来るはずもなく、アーサーはビクビクしながら、入社当日を迎えたのである。
しかし、そうして予想した通り、システム開発部のバイルシュミット課長補佐の下で働くことになって早半月。
最初の１週間ほどこそ、いつばれるかとハラハラしながら日々を送ったが、さすがに普通に自分が内定を出した新入社員が女装して街を歩いていたなどとは、考えてもみないのだろう。
なんとあれからもバレていなかった。
そんなことより、入社してみてわかったのだが、バイルシュミット課長補佐はイケメンなだけではなくて仕事が出来てコミュ力も高くて、女性にたいそう人気があるので、そんな人の直属の部下で常にその業務の雑務を担当ということになったアーサーに対しての、女性陣の羨望の眼差しが痛い。
アーサーが男で同性だからまだ無事に過ごしているが、女性だったらいびり倒されていたんじゃないだろうか…と、恐ろしく思うほどだ。
なのに随分とフレンドリーな若い課長補佐は、自分が面接をして選んだと言うのもあるのだろう。
ずいぶんとアーサーを可愛がってくれていて、やたらと頭を撫でてくる。
まあ…成人男子にやることではないと思うのだが、とてもカッコ良くて仕事も出来て頼りになる、理想の上司を絵に描いたような課長補佐にされると腹も立たない。
仕事以外でも入社したばかりで色々慣れないアーサーを気遣ってくれて、昼食とかも一緒してくれるし、何かにつけて困ったことはないかと訊ねてくれる上司の厚意に応えたくて、アーサーも積極的に仕事に取り組むだけではなく、少しでも役に立てるようにと休憩時間には課長補佐に持参した紅茶を淹れたりしていたら、なんと課長補佐がそれに合った菓子を用意してくれるようになった。
するとそれを見ていた女性社員達が、何故かアーサーにお菓子を差し入れてくれようとしたのだが、課長補佐は意外に子どもっぽいところもあって、
『アルトは俺様が育ててる俺様の子だからな』
などと、半分冗談のように言いながらも、それを嫌がるそぶりを見せるので、みかねた本田課長が
『美味しそうなお菓子ですね。私が頂いても？』
と、間に入ってくれて、事なきを得るような一幕もあっって、それ以来、なんとなく休憩時間は抱え込まれている。
それについては本田課長いわく、『彼は弟のいる長男なので、自分の弟のような感覚なのでしょう』ということで、なるほど、と、一旦は思ったのだが、課長補佐の弟って…と、思い返してみれば、体格の良い課長補佐よりまだガタイの良いムキムキの青年だった気がする。
そこで素知らぬふりで課長補佐に弟は可愛いのか？と聞いてみたら、
『おうっ！今では俺様よりでかくてムキムキなんだが、めっちゃ可愛いぜっ！』
と、微塵も躊躇なく答えていたので、アレでも可愛いなら、アーサーなんて本当に可愛い子どもに見えているのかもしれないと思って納得した。
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