炎の城と氷の婚姻_第二章_11

小さな手がすがるようにブランケットを握りしめている。

アントーニョはそれを丁寧に引き離して自分の手を握らせた。



熱く汗ばんだ手。

おそらく本人にしては強く握り締めているつもりなのだろうが、その力は悲しいほど弱い。

だから決して離されないように、アントーニョは自分の方がしっかりと花嫁の手を包み込んだ。


そうしてどのくらい時がたったのだろうか…

もしかしたらそうたってないのかもしれない。


包み込んだ手がぴくりと動いて、それと連動するように花嫁の長いまつげが震えた。

徐々に上がって行く青白い瞼。

見えてくる熱で潤んだ淡いグリーンの瞳。


ぼ~っと力なく見あげて来る花嫁の視線がアントーニョの瞳のあたりで止まると、花嫁の目からつ~っと涙が一筋こぼれ出た。


……な…いで……


小さな小さな呟きは、ひゅうひゅうと苦しげな呼吸音に遮られてよく聞こえない。


…なん?堪忍な。ちょっと小さくて聞こえへんかった。


と、その小さな口元に耳を寄せれば、熱で熱くなった息と共に、悲しい声が耳に流れ込んできた。


…最後…だから……嫌わないで。


ブスリ…とナイフで突き刺されたように耐えようもないほど胸が痛んだ。

驚いて花嫁を見ると、意識がない間は確かに苦しそうにゆがめていた顔に、笑みを浮かべている。

おそらく…意識があるうちは苦しいのを見せないように、悟らせないようにしているのだろう。

アントーニョはその時初めてそれを悟って泣いた。

泣きながら言った。


「なぁ…なんで?
無理して笑わんでもええ。しんどいならしんどいって言うてええんやで?
痛いんやろ?苦しいんやろ?
なんで言うてくれへんの?」


せめて教えて欲しかった、

どこか痛いなら痛みを失くしてやる事を出来ないまでも、せめて少しでも楽になるようにさすってやりたい。

そう泣きながら訴える。


花嫁はそれに…迷惑かけたくないから……と、悲しいくらい弱々しく微笑んだ


「…迷惑なの…わかってたけど、優しくされて嬉しかった……。

…迷惑かけすぎて…嫌われたくなかった…。

最期までやっぱり迷惑かけちゃったけど…もう少しで…王を自由にしてあげられるから…もう少しだけ……」


ぜぃ、と、そこで苦しげな呼吸に言葉が途切れる。


「最期?最期って何?!
自由なんて要らへんわっ!アーティ失くす自由なんて要らへんっ!!
不自由でもええねんっ!
我儘いっぱい言ったってっ。親分なんでも叶えたるからっ!
最期なんて言わんといてっ!置いてかんといてっ!!!」


一気にまくしたてたあと、アントーニョも嗚咽で喉を詰まらせた。

嫌や…嫌や…と、花嫁の手を握りながら泣きながら首を横に振る。



…あー、それか……ストレスか……

と、それを遠目に見ていたギルベルトはハタと思いいたった。


おそらく王と違って花嫁はこの婚姻を国同士の都合による政略結婚であるという認識を強く持っているのだろう。

だからこそ、必要以上に手間暇をかけさせる事、それによって相手を不快にさせる事を極度に嫌った。

しかし初っ端倒れたところからずっと体調を崩し、王に手をかけさせている。

まずい…と思えば思うほどストレスによる胃痛で体調は悪化の一途をたどりまた手間暇を…という悪循環といったところか。

なるほど。


ずっとロクに食事を取れていないと聞いていたが、原因はそれだろう。

神経性胃炎はギルベルトも馴染みが深い。

もっともギルベルトの方はそれを認識、理解し、なんとか上手に胃痛と折り合いをつけてくらしているのだが……


「ちょっとどいとけ。」

と、花嫁にすがるアントーニョを引きはがして、ギルベルトはベッドの横に膝立ちになって花嫁に視線を合わせた。


「お姫さん、俺だ、ギルベルトだ。わかるか?」

そっと頭をなでながらそう声をかけると、花嫁は苦しそうな呼吸の下、うっすらと目をあけてギルベルトを見る。


「久しぶりだな。ちょっときかせてくれ。」

と、それに微笑みかけると、花嫁は不思議そうな顔をしながらも小さくうなづいた。


「もしかして、ここ、このあたりが痛かったりすんのか?」

と、そこでギルベルトが自分の胃のあたりに手をやると、花嫁は少し迷った末、やっぱり小さく頷いた。


ああ、やっぱりか。

原因が見えてくれば少しは対処も違ってくる。


「よし、じゃ、そっちの症状を少し改善する薬だしてやるな。

話ももう少しあるけど、ちょっと待ってろ。」


と、また一度くしゃりとアーサーの頭を撫でると、ギルベルトは老医師の所に行って、自分が飲んでいるのと同じ胃薬を処方してくれるよう頼む。

そして老医師が了承して出ていくと、またベッドサイドに戻った。


薬は物理的に胃痛を抑えるだろうが、それだけでは根本的な部分は解決しない。

幸いにして全てはすれ違い、誤解のようなものだ。

それが解ければ根本的な部分は解決。

あとはアーサーの体力が物理的にいまの状況を乗り切れるかどうかだけだ。


「とりあえず起きてるうちに解熱剤飲ませんとな。」


ギルベルトが動き出した事で、少し落ち着いたらしい。

号泣していたアントーニョが拳で涙を拭いて、薬草を煎じた液体が入った瓶を手にとってグラスに注ぐ。


「ん、待て。その前にちょっと話させろ。」

と、ギルベルトはそれを制した。


熱を下げるのが優先だろう…と、アントーニョはグラスとギルベルトの間で視線を往復させるが、結局グラスを一旦テーブルに置く。

そして大人しくギルベルトの言葉を待った。


アントーニョとアーサー、双方の視線がギルベルトに注がれる。

それを確認すると、ギルベルトは淡々と話し始めた。


「まずな、誤解があるようだから言っておくと、トーニョは国家の意向に沿って動いてくれるような奴じゃねえ。

国としてはこんなとこでうだうだしてねえで、ちゃっちゃと執務室にこもって仕事してくれるのが理想。

それでもお姫さんの側にいるのは惚れた嫁さんと少しでも一緒にいてえトーニョの我儘だ。

元々執着心が強い奴だからな。

大事な嫁さんが体調崩してる時に自分以外の人間に任すのは嫌だし、自分の手で看病したい。

体調崩してねえなら一緒にあちこち連れて歩きたい。

とにかく自分が一緒にいられねえのに他人が一緒にいられるなんて事は許せねえ。

まあそんなところだ。」


と、そこまで言うと、アントーニョは

「ギルちゃん、何を今更な事言うとるん?」

と、きょとんと眼を丸くする。


そう、アントーニョの方はあまりに当たり前の事をいまさらギルベルトが口にするのがわからなかった。

しかしそうでないのが1人…。


「……えっ……と………」

熱のせいで判断力も落ちているのだろう。

言われている意味がわからないと言った感じできょとんとするアーサーに、ギルベルトはもう少しわかりやすくストレートに言った。


「つまり、トーニョはお姫さんに惚れてて大事に思ってるから、極力側にいるだけで、国の意向なんて関係ねえってことだ。

体調崩すのも苦しくて可哀想だと思う事はあっても、迷惑とかはねえ。

それならゾフィーにでも医者にでも任しちまえばすむ。」


ぽかん…と呆ける花嫁に気づかず、今度はアントーニョの方が不思議そうに首をかしげた。


「せやから、ギルちゃん、なんなん?全部今更やろ?」

との王の言葉には、今更じゃねえ、と返しておく。


「お前にとっては今更でもお姫さんにとっては今更じゃねえってことだ。

お姫さんの方はお前が国同士の友好のために仕方なく自分の世話を焼いてると思ってるぞ、たぶん。

だから迷惑かけてお前の許容範囲を超えないようにと思って遠慮してる。」


「へ……??」

と、目を丸くする王。

そんな事は思ってもみなかったらしい。

驚いて視線をギルベルトから花嫁に移すと、花嫁は目にいっぱい涙をためて、おそるおそる口を開いた。


…だって…だって、最初の日に王が…『どうせお互い利用しようと思ってるし、適当にすごさせておけばいい』って……だから………


「うあぁああ~、堪忍っ!!ほんっまごめんなっ!あれ聞いとったんか。」

アントーニョはパシッと自分の額を片手で叩いた。


「あれはアーティに会う前やったからっ。

あれから1分後にはそんな考えなくなっとったし、言うたことさえすっかり忘れとったわ。」


ああ、まあ、そうだよな…と、アントーニョの言葉にギルベルトはため息をつく。

あまりの手のひらの返しっぷりに、ギルベルト自身もそんな事があったなんて事はすっかり忘れ果てていた。


「ほんま、そんな事ないで?アーティは親分の世界で唯一大事な嫁さんや。

体調崩したらほんま心配で心が痛いし、1人で苦しんでられるのは辛いわ。

でも迷惑ちゃうで?好きな子ぉにはしんどい思いして欲しくないだけや。」


必死に言い募るアントーニョの後ろで、ギルベルトは

「そいつ、さっきお姫さんに万が一の事があったら自分もあとを追うって言ってたからな。」

と、追加しておいてやる。


これで少しは生きる方向に頑張ってくれればいいのだが……。


とりあえず解熱剤と胃の薬を飲ませて花嫁は休ませる。

もちろんそのすぐそばの椅子にはベッドにはりつくようにしているアントーニョ。

さすがにあれだけ言えば迷惑うんぬんと気にする事もないだろう。

薬が必ずしも効くとは限らないし、かなり衰弱はしているので大丈夫だとは言えない。

しかし誤解を解いて多少なりともメンタル面が楽になった事で好転はしたのではないだろうか…。



そしてギルベルトはふと気付く。

あれ?出来れば引き離す方向のため来たんじゃなかったっけ?
一瞬思ったものの、すぐ思いなおす。


これ、もう手遅れだ。

アントーニョは、国のために…なんて言った日には、1人で国を滅ぼそうとしかねない。

良くて花嫁を連れて出奔だ。


他の妃達との兼ね合い、大きくなりすぎかねない森の国の発言力、そして跡取りについて。

問題はいぜんとして山積みだ。


神経性胃炎の根本的な治療法はストレスを軽減する事である。

花嫁に関して言えば、完全に…という事は無理でも、自分が介入してフォローをいれ、王が全身全力で愛情の海にどっぷりつからせてしまえば、多少は軽減できるだろう。


が、ギルベルトのストレスは続いて行く。

おそらく王が絶対的な権力を握るまで?
いや、きっとその後もギルベルト自身が隠居生活を送るようになるまでだろうか…。


ギルベルト・バイルシュミット…彼の心が平穏に満たされる日まではまだまだ遠い。


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