炎の城と氷の婚姻_第二章_8

Side アーサーⅥ


さすがに小国へと没落した太陽の国を再度大国へと押し上げただけあって、アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド陛下は鉄の意思を持っている…。


後宮で最初に自分が熱を出して目を覚ました時、さすがに想定の範囲を超えて手のかかる面倒な相手だと思ったのだと思う。

何か――おそらく怒りだろう――を堪えているような険しい表情をしていたのに、次に目を覚ました時にはいつもの通り、優しい態度だった。



熱が下がらないアーサーにつきっきりで寄りそい、額に冷たいタオルを乗せてくれたり、汗を拭いてくれたりと、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。


自国では使用人ですらそんな事はしてくれなかった。

ましてや国の長である王がそんな事までするなどというのは、アーサーに対してだけではなく、他に対してでも聞いた事がない。


もしかして太陽の国では妃の不調は夫が看るという慣習でもあるのかと、王が少しだけ席を外した時にゾフィーにこっそり聞いてみたが、ひどく冷ややかな目で

『長く後宮にお勤めさせて頂いておりますが、少なくともわたくしは見た事も聞いた事もございません。』

と言われたので、おそらくありえない事なのだろう。



「王…お話が……」


試されているのかもしれない。

ここで馬鹿みたいに考えなしにしてもらえるままを受け取っていたら呆れて見離されるのかもしれない…。

結局そんな結論に辿りついて、それを確認しようと思った。


今日も、王はこのところ毎日そうであるように、食事のトレイをベッド脇のサイドテーブルに置いて手際よく横たわったままのアーサーの襟もとにナプキンを敷いている。


アーサーがそう言って王を見あげると、王は整った顔に笑みを浮かべて

「ちゃんと食うてからな。今回は半分くらいは頑張ってみて。」

と、スープをスプーンでかき混ぜて冷まし始めた。


アーサーは元々食が太いほうではないが、熱が出てから本当に食べられない。

飲み込むだけでもだるくて、用意されたスープはとても美味しいモノなのはわかるのだが、2,3匙も飲み込めば、もう胃もいっぱいいっぱい、瞼も重くなる。


…もう少しだけ…あと一匙だけ頑張ろうか。良くならへんで?
と、そのたび王が綺麗な眉を気遣わしげに寄せて言うのには心痛む。


本当にもういいのだ…放っておいてくれていいのだ…例え自分がそれで衰弱死しようとも、自国の親族は誰も責めはしないし、むしろ感謝をする。自分の死で国の仲が悪くなったりはしないのだ…と言いたい。


もちろん実際にはそんな王が打算で動いていると取られかねない発言をできはしないのだが…。


結局、一匙、二匙と、口に運ばれるスープをなんとか飲み込み続ける。

半分…そんなに食べられるだろうか…自信がない。


万が一無理だった時のため、とりあえず今の状況が普通じゃなくとてつもない迷惑をかけているのはわかっているという主張だけでも…と、アーサーが


――迷惑かけて、ごめんなさい

と口にすると、王は目を丸くした。


それから少し困ったように眉を寄せて、次になんだか泣きそうな顔をする。


「…迷惑やない。迷惑なんて思うた事ないよ。

親分のでも他のモンの態度でも、そんな風に見えた事があったなら堪忍な。

お願いやから迷惑なんて思わんで何でも言ったって?
しんどかったらしんどいって言ってな?
食べられそうなモンあったら、何でも取り寄せたるから教えたって?
自分が元気になれるんなら、親分何でもしたるから。」


温かい手が頬に触れる。

思いやりのある態度、思いやりのある言葉。

それは今までアーサーにはあまりに縁がなさすぎて、現実感がない。


演技…というにはあまりに真摯で、本当に自分が大切に思われているんじゃないかと勘違いしそうになる。


しかし勘違いをしたら終わりだ。

甘え過ぎてはいけない。


いつもアーサーが目を覚ますと、目をあけた直後の一瞬だけ酷く険しい表情をしているから、おそらくアーサーが呑気に寝ている時には、こんな面倒な正妻を迎え入れた事を後悔しつつ国のために耐えていて、どうしても固い表情になってしまうのだろう。

王は大人だからアーサーが目を覚ました瞬間、そんな感情は心の奥に押し込めて、笑顔を向けてくれるのだが…。


それでも…目を覚ませばいつでも綺麗なエメラルド色の瞳が自分を見守っていて、形の良い眉を少し八の字にして困ったようにだが笑ってくれる。


…しんどいか。可哀想になぁ…


と、優しく頭を撫でてくれる大きな手が好きだ…と思う。

なんだか泣きたくなって、実際に涙が溢れて来ると、いつだってアーサーのモノよりずっと太く骨ばった指でそっと涙をぬぐってくれる、そんな優しい時間が悲しいくらい心地良い。

こんな空気に包まれて死んでしまえれば幸せなのに…と、思うほどに。


…ああ…嫌われたくないな……

と、そもそもが自分の立場を考えれば絶対に無理な事を思って、ため息をつく。


だから…少しでも王が我慢しないで済むように、少しでも嫌われずに済むように…自分に構わず仕事や他のお妃様のところへ行って欲しい…と懇願するのだが、王はなんだか悲しそうな顔をするばかりで動こうとしない。


どうしよう…王の我慢の限界が来たら、どうしよう……。

気ばかりが焦る。

胃がシクシク痛み、心臓の鼓動が痛いほど波打つ。


片手を胃に片手を胸にあて、身体を丸くしていたいところだが、それをやると


「どこか痛いんか?苦しいんか?親分に教えたって?」

と、聞かれてしまうので、それも出来ず、アーサーはなるべくブランケットを深く被って枕に顔を埋めるようにして耐える。


…痛い……苦しい……


「…顔色悪いな……。」

心配そうにのぞきこまれるのは困るのだが、頭を撫でるその手は心地よくて、少し苦痛がおさまる気がした。


「しんどかったら医者呼んだるから言うてな?」

と言われて、アーサーは頑張って笑みを作って首を横に振る。


王…優しい王……嫌わないで……迷惑をかけないようにするから………


声にならない言葉。

切実な願い。

面倒に思われて嫌われるくらいなら、その前に死んでしまいたい。


それが例え王の方は国同士の友好を保つための義務だと思っていたとしても、今まで疎まれた記憶しかないアーサーにとっては、王のその優しい態度や言葉はかけがえのないものだ。


いつか国同士が決裂して、また自国の冷たい後宮の1室に1人閉じ込められる事になっても、きっと忘れない。

優しく微笑んで頭を撫でてもらった記憶は胸の中、宝石のようにキラキラと輝き続けるに違いない。


例えまた、こんなに立派じゃない、小さな花の株を5株も植えたらいっぱいいっぱいになってしまうほどの猫の額ほどの小さな庭と、アーサーが1人寝られる程度の小さなベッドと椅子と机と小さな棚しかない、リビングもダイニングも寝室も兼ねた薄暗い1室に戻っても、そんな宝物を眺められたら、きっとそれだけで幸せでいられるだろう。


だから…それを綺麗なまま凍らせておきたい。


アーサーにとって今の王の一挙一動がこの世で唯一大切な宝物だから。



だからこそ絶対にこれ以上迷惑はかけられない。

どんなに痛かろうと苦しかろうと、絶対に悟られてはならない。


痛みで手が震えるのを必死に押さえ、気を抜くと引きつりそうな顔に笑みを浮かべていると、ゾフィーが王に何か書状を持ってきた。


王の注意がそちらに向いて、アーサーはホッと息をつく。

痛みのためにブランケットの中で握り締めた手がひどく汗をかいていた。


王は厳しい表情で書状を読んでいたが、読み終わると俯いて小さく息を吐き出す。

…しゃあないな……と、小さな呟き。


それからアーサーの方を振り返ったので、アーサーは慌てて笑みを作って王を見あげた。


王はアーサーのベッドのわきに膝をつき、横たわっているアーサーに視線を合わせるようにすると、いつものように頭をなでながら言う。


「ギルちゃんがどうしても仕事で相談したい事がある言うから、少しだけ行ってくるわ。

すぐ戻るからな。

医者もおるし、何かして欲しい事があったら、ゾフィーに言いや?」


それだけ告げると心残りそうに立ち上がる王。

しかしアーサーは内心、助かった…と、安堵の息をついた。

これで王に面倒をかけることなく、嫌われずに済む。


「俺は大丈夫だから……いってらっしゃい。」

と、なんとか声を絞り出すと、王はもう一度振り返って、

「行ってくるな。」

と、言うと、今度こそ部屋を出て行った。




ぱたん…とドアが閉まる。

部屋から人の気配が消える。

いつもいつも王が横にいたから、急に部屋が広く寒く感じた。


誰もいない…。

ホッとするのにひどく寂しく心細い。

緊張が解けたせいか、胃の痛みと胸の苦しさが一気に襲ってきた。


…痛い……苦しい………


右手を胃に、左手を胸元にあてながら、アーサーはベッドの中で身体を丸める。

額に脂汗。

大きく呼吸すると胃に響いて、アーサーは小さく浅い呼吸を繰り返した。



しばらくそうやってベッドの中でうずくまっていたが、痛みは一向に引く気配はないどころか、ひどくなってくる。


そう言えば…すぐ戻ると言ったが、王はいつ頃戻ってくるのだろうか…。

こんな状態は絶対に見せられない…が、痛みがひどくて急に戻ってこられては取り繕える自信がない。


アーサーは入らない力を振り絞って身体を起こした。

少しでも王の目に止まるのを遅らせなければ……

痛みと疲労でマヒした頭ではそう考えるのが精いっぱいだ。


ベッドにしがみつくように立ち上がり、壁を伝ってバルコニーへ。

なんとかガラス戸を閉め、庭に出ると、大きな木の陰で座り込む。


…痛い…苦しい……


それが体力と気力の限界だった。


ここなら…きっとみつからない……

安堵が痛みに飲まれていく。

パタリ…とそのまま力尽きて木の根元に倒れ込んだ白い身体を、少し陰りつつある太陽がそれでもわずかに照らし続けた。


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