「可愛えぇ…ギルちゃん、どないしよ?
この子、まるでおとぎ話のお姫さんみたいやんな?」
水桶に入れた冷たい井戸水にひたした布を絞って、意識のないままの小さな花嫁の汗を拭いてやりながらうっとりとした目でそう言うアントーニョの隣で、ギルベルトは扇ではたはたと花嫁に風を送ってやっている。
医師いわく、涼しい北の国からやってきた少年は、どうやらこの太陽の国の暑さにやられて熱中症をおこしているらしい。
それと同時に、本来は正妻の子である彼は虚弱を理由に廃太子になったらしいので身体も丈夫ではないのだろうから、長旅での疲れもあるのだろう。
とにかく身体を冷やして体力の消耗を防いでやらなければならない。
そこで相手を気に入ってしまった瞬間から本来は世話好きであるアントーニョがその役目を他の者に譲るはずもなく、さきほどから嬉々としてその世話を焼いている。
ギルベルトの目を通しても、全体的に華奢で色素が薄く透き通るように真っ白な肌の少年は頼りなさげで儚げで、実年齢よりもかなり幼く心細げに見えた。
そう、例えるなら、春先の雨に濡れてか細い声で鳴く小さな捨て猫のような雰囲気がある。
つまりは、少しでも庇護欲というものを持ち合せる人間であれば、どうにも放っておけないというか、手を伸ばしてだきしめてやりたくなるような、そんな空気をまとっているのである。
なので、もちろん少しばかりどころか過剰にその庇護欲を持ち合せているアントーニョがそれに当てはまらないなどと言う事はありえない。
というわけで、前述の通り、彼はギルベルトの目の前で、少しばかりの憐憫と大いなる歓喜を持って、その小さな花嫁を抱え込んでいるのだ。
「こんなか弱い子ぉに可哀想な事してもうたなぁ…。
やっぱ、親分がちゃんと国まで迎えに行って、疲れへんようにスケジュール加減して、ここまでゆっくり連れてきたったら良かったと思わん?」
と言う王に、――お前…『思わん?』も何も、ついさっきまで会うのすら拒否してたからな?国まで迎えに行くなんてありえねえだろ――と言った日には、おそらく蹴りか鉄拳が飛んでくるだろうと思うので、ギルベルトは曖昧に笑う。
しかしアントーニョは別にギルベルトの返事など求めていたわけではないらしい。
ただただ目の前で眠り続ける花嫁を本当に嬉しそうな目でみつめている。
政略上とは言え、まあ一応は伴侶となる相手を気に入ったというのは結構な事だが、いずれは手放す事になるのであろう事を考えると、少し感情を移入し過ぎの気がしないでもないと、ギルベルトは少し眉を寄せた。
実母は早くに亡くなって、後ろ盾がないまま国の礎となるために戦場に戦えるようにと乳母の婚家でもある将軍家に放り出された挙句、滅びるであろう事が前提で最後の王として他の兄弟が安全な場所に逃げている中で王として担ぎあげられ現在に至ると言うアントーニョの境遇を考えれば、何かよりどころになる者が欲しいのだろう。
家族として友として、そして誰よりも忠実な部下として、自分もそうなれるように尽くしてきたつもりだったが、役不足だったか……いや、性格の問題か。
守られる者としてかしずかれるよりは、己の力を磨いて大切な者を抱え込み、守りたい…。
ギルベルトがそうであるように、アントーニョもまたそう言う性格なのだ。
そんな守護者でありたい人間の欲求を、最大限に満足させてくれそうな今回の花嫁にアントーニョが惹かれるのはとてもわかる気がする。
やがてゆっくりと瞼を彩る光色の睫毛が上へと移動し、金色の光が通った跡から徐々にまるで木漏れ日に揺れる春の新緑のような淡く黄色がかった緑の瞳が覗いて行った。
ぼ~っとまだ意識がはっきりしないのか、花嫁は夢見るように潤んだ瞳でアントーニョを見あげる。
その様子のあまりの愛らしさにアントーニョの顔に自然に笑みが浮かんだ。
「ああ、気ぃついたか。良かった。気分はどない?しんどない?」
気をつけないと空気に溶け込んで消えてしまいそうな花嫁に、自分的には出来うる限り優しくそ~っと声をかけたつもりだったのだが、それでもびっくりさせてしまったらしい。
ビクン!!と身を震わせて飛び起きて、しかしそのままふらりと起こした半身が前に倒れかかる。
アントーニョが慌ててそれを支えると、可哀想なくらい震えて固まる細い身体。
そのまま酷く咳込むので、アントーニョは慌てて医者を呼ばせた。
幼げな顔が苦しげに歪むのが痛々しい。
「大丈夫…大丈夫やでっ。なんも心配せんでもええから。楽にしとき。」
ゼイゼイしながら止まらない咳に涙まで流している花嫁の小さな背中をさすってやりながら、必死に声をかけるが、白い顔からどんどん血の気が失せて、カクン…と、意識を失う。
「お姫さんっ?!!!しっかりしっ!!!!」
悲鳴をあげるように叫んだ瞬間、医師がようやく部屋に到着した。
体中から血の気の引く思いだった…。
小さな小さな、身体の弱い花嫁。
涼しい森の国から、ここ暑い太陽の国までの遠い道のりと気温差は思いのほか体力を奪い去ったらしい。
意識をなくしたその時から夜まで眠り続けた挙句に、その夜には高熱を出してしまっている。
弱々しい呼吸…熱があるというのに赤くもならず、かえって血の気が引いた青い顔。
苦しそうなのが痛々しくも可哀想で、心臓がズキズキ痛む、
今にも息絶えてしまいそうで、怖くて目が離せない。
意識が戻らぬ間に脱水症状でも起こしたら、もう本当に手の施しようがなくなると言われて、水分を取らせようと半身を起こすように支えつつグラスを口元に持って行って飲ませようとするが、開いた口の合間から零れ落ちてしまう。
一応襟元から胸元にかけてはタオルを敷いたが、水の冷たさに意識が浮上したのだろう。
ペリドットのような瞳がゆっくりとひらいた。
熱で潤んだ丸い大きな目…。
そこにまた怯えが走る。
そして今度は熱のせいじゃなく、見る見る間に目に溢れて来る涙。
……さ…い……ごめ…なさ………
嗚咽をあげながら小さく小さく零れ落ちる言葉に、憐憫の情が膨れ上がって来て、アントーニョは怖いほど華奢な身体をしっかりとだきよせて、その汗ばんだ額に…涙があふれる目元に口づけながら繰り返した。
「大丈夫やで?なんも怒ってへんし、怖ないよ?
ちゃんと国まで迎え寄越して無理ないようにさせたったらこんな風に身体壊して苦しい思いさせずに済んだのに、堪忍な。
これからはお姫さんのことは親分が守ったるから…なんも心配せんでええ。
大事にしたるから…。」
心から…でもまた驚かせないように静かに静かにそう囁きながら何度もその背をさすってやると、グッタリとしつつも緊張のため固まっていた身体から少しずつ力が抜けて行く。
「…水分取らなあかんから…飲める?」
と、タイミングを見て水の入ったグラスを差し出せば、こっくんと頷いたので、小さな白い手に持たせてやって、その上から自分が一緒に支えてやった。
コクコクと水を半分ほど飲みほし、それから少し困ったように自分を見あげる花嫁の大きな瞳に、
「ん、ええ子。また飲めたら飲み。」
と、微笑みながら頭をなでてやると、ホッとしたように小さく息を吐きだして表情を緩める様子が可愛らしい。
もっと戯れていたいのは山々だが、今は少しでも疲れを取ってやるのが先決だ。
「ほな、もう少し眠っておき?」
と、また横たわらせてやって、ブランケットをかけてやると、花嫁はやっぱり困ったように…そして少し不思議そうにアントーニョを見あげて来るので、
「大事な大事なお姫さんになんかあったら心配やし、今日はついとるから。
せや、おまじないしたろな~。目ぇつぶってみ?」
と、言うと、花嫁は素直に目を瞑った。
そこでアントーニョは、ちゅっちゅっと花嫁の瞼に口づけを落とすと、指先でぽん、ぽん、と口づけたあとに軽く触れ
「ほい、今おまじないかけたさかいな。
これでお姫さんは嫌な夢とかも見ぃひんし、よお眠れるで。
でも目ぇ開けたらおまじない解けてまうから、目ぇあけたらあかんよ?」
と言うと、これにもまた素直にコクコクと頷いて見せる。
本当に…いちいち動作が小さな子どもか小動物のようで可愛らしくて、アントーニョの顔からは終始笑みが零れ落ちた。
花嫁…と言うより、まるで育て子のようだが、それもまた楽しく心を温かくする。
そう…幸せは確かにこの手の中に舞い降りて来たのだった。
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