そして夏の夜に城の扉はひらかれる
昼間はふんわりと優しい光景も、人気のない夜に来るとまた随分と不気味な感じがするものだ…と、22時、漆黒の仮面で顔の上半分を覆った黒のスーツ姿のギルベルトに連れられて大聖堂前に着いたアーサーはふるりと身震いした。
確か予定では昼の1時に集合だったはずなのに、予定日の前々日に急に届いた時間が変更になった招待状。
黒地に金の飾りのカードは綺麗だがどこか薄暗く不気味な感じで、それだけで少し不安感を煽られたわけなのだが、さらに変更された時間と言うのが夜中である。
お世辞にも楽しくワクワクするようなものであろうはずもない。
それでもそれが副寮長の仕事だと言われれば行かないという選択肢もない。
しかたなしにアーサーはカードと共に届けられた光沢のある白い箱へと手を伸ばした。
招待状には当日は贈った衣装を身に付けるようにとの指定があったのでそれだろうと思って箱を開けると、中から出て来たのは繊細なレースのヴェールとアーサーの髪と同色のロングのウィッグ、それにクラシカルな雰囲気の真っ白なドレス。
ギルベルトの元へはまるで対のようにまっ黒なスーツと仮面が届けられた事は当日ギルベルトが迎えに来た時に知った。
普段ならカッコいいと見惚れるそれも、こういう状況だと顔が隠れている事に不安を覚える。
もちろん夜の闇が怖いなどと子供じみた事を思っているように思われたくなくて、そんな事は口に出来ないのではあるが…。
…というか、普段はそれほど夜が怖いというタイプでもない。
ただ、今回は何がと言うとわからないのだが、なんとなく不安な気がするのだ。
まあ、単に慣れない副寮長としてのイベントに緊張しているだけかもしれない…そう自分に言い聞かせて、アーサーはてギルベルトと共に真夜中に寮を出た。
日中は何の気なしに通る寮から学校方面へ向かう森の中の小道も、月明かりだけを頼りに歩くと随分と心細いまでに暗く静かだ。
隣を歩くギルベルトがいなければ、とてもではないが大聖堂まで行く勇気は起きなかっただろう。
が、そのギルベルトも顔半分隠れているせいかどこかいつもと違って見えて、やはり完全には消えない心細さに、アーサーは早く大聖堂に着いていつも賑やか過ぎるくらい賑やかなアルを見たいと思った。
だが、そんなアーサーの期待はすぐに裏切られる事になる。
確か新1年生の寮長、副寮長の交流イベントなのだから自分達だけでなく金狼寮の2人も参加するはずなのに、その姿が見えない。
どうなっているのだろう…
シン…と静まり返る中、時折りガサガサと風に揺れる木々の葉の触れ合う音だけが響く。
「もしかして…寒いか?
俺様のスーツと違ってドレスは地が薄そうだもんな」
それでもそんなアーサーの震えに気づいて当然のように気遣ってくれるギルベルト。
顔が隠れていて違う人のように感じていたが、その声も落ちついた様子も確かに慣れ親しんだ寮長で、当たり前なそれに少しホッとしながら、アーサーが小さく首を横に振ると、おそらくアーサーに貸してくれようとしていたのだろう。
上着を脱ごうとしていた手を止めたギルベルトが小さく笑った。
「ああ、じゃああれか。
今回の諸々が少し不気味で怖いか。
……ま、夜中にこんな場所なんて肝試しみてえだもんな。
でも大丈夫。
お姫さんはなんにも心配しないでいいし、気にしないでいい。
俺様が全部気をつけるし避ける必要のある危険は避けるから。
言ったろ?全面的にフォローするって」
ああ…たった3歳しか違わないと言うのに、なんと頼もしい事か。
ギルベルトはそれをする自信があるのだろうし、実際できるのだろう。
そうだ。
ギルベルトがいれば何もかもが大丈夫なはずだ。
無意識に詰めていた息をホッと吐き出して、アーサーが口を開きかけた時、その音は聞こえて来た。
そう…蹄と車輪が回る音。
聞き慣れないそれに顔を向けると、もうすぐそこまでクラシカルな事にこだわるのか馬車が近づいてきているのが見えた。
隣ではギルベルトもさすがに目を丸くしている。
「あ~…そう言えば当屋敷で宴をって書いてあったもんな。
場所は移動すんだな」
と言う呟きに、アーサーも、ああそうだった…と思い出した。
それにしても迎えが馬車とは…と思わず口にすると、ギルベルトは
「俺が中1の時はヘリで山に連れていかれて山登りだったし、去年は自家用ジェットで南の島で遠泳島めぐりだったらしいからな。
ま、馬車くらいは普通のうちなんだろうぜ」
と、それでも呆れたように肩をすくめる。
なるほど。
アーサーは中等部からの編入で普通の家庭の出だからいちいち驚いてしまうが、考えてみればこの学校は小等部までは郊外に広大な敷地の中に建つ校舎まで、ほとんどの生徒が自宅から自家用機で通っていたというのだから、このくらいは確かに驚くに値しないのだろう。
そんな事を考えているうちに馬車は静かに聖堂前に止まった。
――ひっ……
止まった馬車に視線を向けたアーサーは思わず小さく息をのんで添える程度に手を置いていたギルベルトの腕にしがみつく。
――…お待たせしました……お乗り下さい…
御者台から飛び降りたのは片眼に眼帯をしたせむし男。
まるで映画の中から出て来たようなその男はしゃがれた声でそう言うと、馬車のドアを開いて2人を中へと促した。
真っ黒な馬に真っ黒な馬車。
中の座席は真紅のベルベット。
怯えたようなアーサーに愛想笑いのつもりなのだろう、せむしの御者は不揃いな黄色い歯を見せて笑いかけるが、それが余計に恐ろしくて、思わず足がすくんでしまう。
ドクン…ドクンと自分の心臓が早鐘をうっているのがわかる。
それはまるで地獄へ向かう不吉な乗り物のように思えた。
――…どう、いたしました…?……お乗りになりませんので…?
月明かりの中で浮かぶ笑みはどことなく不気味で、そんな笑みと共にかけられるしゃがれた声に、思わずギルベルトの腕に縋りつくアーサーだが、ギルベルトはというと普段と変わらぬ落ち付いた…むしろ少しふざけたような声音で
「今年はなんだか色々凝ってるな。
ま、交流イベントは毎回、プリンセスにいかにストレスや負担を与えないように課題をクリアするかっつ~寮長の耐久レースだから、お姫さんは楽にしてていいぜ?」
と、アーサーの緊張をほぐすように笑って、アーサーを馬車へとエスコートする。
この不気味に見える諸々自体が主催者が雰囲気作りのために凝らした趣向なのだと、暗にそんな風に言われているようで、アーサーは過剰に怖がっているような自分が恥ずかしくなって頬を赤く染めると、差し出されたギルベルトの手を取って馬車に乗ったのだった。
2人が乗り込むと馬車の扉が閉められた。
何故かこの馬車には窓がない。
だから外と繋ぐ唯一の文字通り入口であり出口である扉が閉められてしまえば、そこは室内を照らすランプの灯りだけが頼りの薄暗い閉鎖空間だ。
「なんだかミステリー列車みてえだな」
と楽しげに笑いかけてくれるギルベルトがいなければ、たとえ走っていたとしても今すぐドアを開けて飛び降りてしまっていたかもしれない。
ゴトゴトと音をたてて進む馬車。
どちらに向かっているのかはわからない。
まあよしんば風景が見えていたとしても、学校の敷地というにはあまりに広大な敷地内の森をどちらの方向に進んでいるかなど、おそらくわからないだろう。
こうしてどのくらい走ったのだろうか。
「夜だしな。眠いだろ?
少し寝ておけよ」
というギルベルトの言葉に最初は眠れるわけなんかないと思っていたアーサーだったが、頭をいつものようにギルベルトの胸元に引き寄せられ、背をぽん、ぽん、とリズミカルに叩かれているうち、反射的に眠ってしまったらしい。
――着いたみたいだぜ?お姫さん…
頭の上で静かにかけられる声に眠い目をこすれば、少し離れたところでギィィ…という何か軋むような音。
――到着いたしました……
との相変わらずしゃがれたどこか不気味な声と共に開かれる馬車の扉。
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