不思議の国の金色子猫9

――まずな、帰る日を一日遅らせろ。
と、それがプロイセンからの最初の指令だった。

――そうしたらあいつきっと家のドアの前で眠りこけてるからな。

世界会議終了後、すぐにはスペインに向かわず、翌日の夜中にスペイン宅を訪れてみれば、確かにプロイセンが言った通り、スペインが自宅の家のドアにもたれかかるようにして眠っていた。

目の下には隈、目元には涙の跡。

おそらく会議終了後、即帰宅した昨日の夕方から今日にかけて、ずっと帰らぬ子猫を待ち続けていたんだろう。

ああ、心配かけちまったんだな…と、心が痛むが、プロイセンの言った事がまさにその通りだったことに、少しほっとする。

そしてイギリスはステッキを振った。
まずはスペインの夢の中に訪問だ。



…ま~お……

夢の中は薄暗くて、その中でスペインは丁度現実と同じように膝を抱えてうずくまっている。
アーサーはその足元まで行くと、ぺしぺしと前足でスペインの足の甲を叩く。

ピクリと震える身体。
おそるおそると言った感じに茶色がかった黒髪が揺れて、褐色の顔が覗いた。

「…アーサー………」

震える唇…。
涙交じりの声。
伸ばされる手に近寄って行けば、そっと抱き上げられて、頬ずりをされる。

「もう…っ……戻ってこんかと思った……」

ヒックヒックとそのまましゃくりをあげる顔をぺろぺろ舐めると、ぎゅうっと潰さないように細心の注意を払いながらも少し力を込めて抱きしめられた。

――ちょっと色々あって……遅れてごめんな?

「ええねん。戻ってきてくれたんやったら、それでええ。もうどこにも行かんとって…」

スペインは泣いてるのに、悲しませたのに、それでも引き止められることの心地よさを感じる自分が嫌だ。

このままやっぱり猫の姿のまま暮らそうか…などとまた決意が鈍りかけるが、色々尽力を尽くしてくれているプロイセンの顔が脳裏にちらついて、やはり今さら引き返せないと思い直した。

――あの…な、大事な話があるんだ……。

「聞きとうない」

思い切って…身を切るような思いで切り出した言葉は即そんな風に拒絶されて、アーサーは目をぱちくりさせた。

――まだ何も言ってねえんだが?

と、それでもめげずに続けようとすると、スペインはぎゅうっとさらに強くアーサーを抱え込み、頭を横に振って拒絶の意思を示した。

「いなくなってまう話なんやろ?そんなん嫌やっ!」

側にいてくれるって言うたやんかっと、今度はアーサーの小さな体を抱え上げて視線を合わせるように自分の顔の前に持ってきてそう訴えるスペインに、アーサーは内心苦い笑いを浮かべた。

――違う。…少し違う…。どっちかっていうと…お前が俺と一緒にいるのが嫌になるような話だ……。

自分で言っていて悲しくなってきて、自然に視線を避けるようにうつむき加減になり、尻尾も耳も手も足も力なく垂れる。

――ごめんな…騙すつもりなんて全然なかったんだ…ただ言いそびれちまっただけで……。

今、自分が子猫の姿で本当に良かったと思った…。
人間の姿なら泣いている。
自分が悪いのに泣いて困らせていると思う…。

――でも結果的には隠してた事になる……俺…本当は猫じゃない……

「猫じゃないと一緒におれへんの?」

スペインはアーサーの身体を片手で抱え直して、指先で頭から眉間を撫でながら、まるで子どもに言うようなゆっくりと優しい口調で聞いてくる。

――別にそういうわけじゃないけど……

「なんや~。ならええやん」
スペインは心底ほっとしたように笑って息を吐き出した。

――良くねえだろ。本当の姿隠してたんだぞっ。

スペインの変わらぬその態度に少しほっとしながらも、それでもまだ少し怖くて、アーサーは前足をばたばたさせながらマオマオ力説した。

――この姿なら頭撫でてもらえるからって…優しくしてもらえるからって…ずっとずっと隠してたんだからなっ!

感情が昂ぶって自分でも段々何を言っているかわからなくなってきたが、そんなアーサーにスペインは少し目を丸くして、それから破顔した。

「なんや、自分撫でられたかったんやね。
ええよ、いくらでも撫でたるから側におってな~」

と上機嫌でちゅっちゅっと額や鼻先にキスを落とされて、余計に混乱してマオマオ鳴きながらぱたぱた足やら尾やらを振って暴れるイギリスをスペインは嬉しそうに抱きしめる。

「どんな姿でもアーサーはアーサーやで?
子猫やなくなっても別に頭くらいいくらでも撫でたるよ。
だいたい…こんな風に夢で色々話できる時点で、普通の猫とちゃうやろ」

ああ…それはそうだけど……。

「やんちゃで不器用で…でも優しゅうて寂しがりやで甘えん坊。そんなアーサーが親分好きなんやから、別に正体が猫でも犬でも熊でも牛でも、なんでもかまへんで?
まあ熊や牛やと家ン中で暮らしにくいから、出来れば小動物の姿取ってて欲しいけど…それでもいなくなってまうよりずっとええわ」

そういうスペインの目はどこまでも優しく慈愛に溢れていて、実際今はそう思っているのだろうと思う…。

スペインの気持ちを信じたい…だけど…気持ちの覚悟が出来ない。
プロイセンはおそらく自分のこんな葛藤も見越して計画をたてていたのだろう。

一日遅れて帰宅。

自宅前で寝ているであろうスペインの夢に入り込んで子猫の姿は仮初の姿であるという事と、言い損ねてしまっただけで騙すつもりはなかった事、その姿で居る時の心地よさから打ち明けられなかったという事を正直に打ち明ける。


その次の指示は…3日間、猫の姿で過ごしたあとに、元の姿を明かすというものだった。

それまでは元の姿を明かさない以上、プロイセンの指示とは言えないので、そういう魔法をかけてしまったのだとだけ説明をして、イギリスはスペインの夢から退出する。

そして…隈と涙のあとは相変わらずだが、少し穏やかな表情になって眠るスペインを前にまたステッキを振った。




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