その日はそれからどう過ごしたのか覚えていない。
気づけば昼休みが終わり、いつのまにか午後の授業を受けて、機械的に帰り支度をして、そして学校を出て駅に向かっていた。
学校の門を出てすぐの通りを左折して、ずっと歩くと大通りに出る。
片道2車線の広い通りは車が多くて、信号は圧倒的に車側が青の時間が長い。
でもその長い待ち時間も亜優とおしゃべりをしながら待っていた時は楽しかった。
…亜優……
城山君からのひどい言葉も悲しかったが、それ以上に亜優の拒絶がショックだった。
一体何があったのかわからない。
何故亜優はあんな嘘をついたのだろう…。
ずっと一緒だったのに…
長兄のことでクラスのみんなに避けられている時でも亜優だけは味方だった。
親御さんに叱られるからと表面的には一緒にいられなくなっても、ときたま電話をくれた。
だからなんとか乗り越えられた。
その亜優が居なくなってしまったら、貞子にはもう誰もいない。
ランドセルの肩紐をぎゅっと握り締めながら横断歩道の前でそんなことを考えて俯いていると、後方でなんだか楽しそうな賑やかな声が聞こえてくる。
生徒はみんな同じ最寄り駅に向かうのだから、居ても不思議ではないのだが、今は聞きたくない声…。
亜優と城山君、それにクラスメート数人が楽し気に談笑しながらこちらに向かって歩いていた。
長兄のことで仲間外れにされていた時よりもひどい疎外感と絶望感。
ああ、自分にはもう何もないんだ…と思った瞬間、感じたのは諦めでも悲しみでもなく、怒り…。
そしてそれを感じた時に貞子は自分も所詮、暴力で避けられている不死川の人間なんだ…と絶望した。
そして…思う。
今、そう、昼休みに暴言を吐かれたたった今、二人の目の前で死んで見せたら彼らは少しは寝覚めが悪い思いをするだろうか……
彼らに一矢報いるためなら死んでもいい!
あとで思えば無意味とまでは言わないが、あまり合理的ではない行動だったが、その時の貞子は正常な判断力なんて欠片もなかった。
前方の信号は赤で、車は目の前を行きかっていたが、貞子はためらいもなく足を踏み出した。
体の痛みなんて心の痛みに比べたら大したことはない…そう思った。
痛い…痛い…痛い…もう痛いのは嫌っ…終わりにしたいっ…
兄達の一件から痛み続けた心がそう叫ぶ。
実際のところ、今、道路に飛び出している理由が、亜優達に対する当てつけなのか、疲弊し続けた人生に疲れて終わりにしたい気持ちからなのか、貞子にだってわからない。
それでも不思議と死に対する恐怖心はない。
迫るトラック。
あ~、死ぬのは良いけど、遺体があまり醜くなるのは嫌だな…と、どこか他人事のように思いつつ、貞子はその瞬間を待った…つもりだった。
…が!
貞子が感じたのはトラックが体全体を跳ね飛ばしたり轢きつぶしたりするものではなく、擦りむいたような膝の痛み。
いきなり何かが飛びついてくる気配と、車を避けるように押し飛ばされて車道に膝をついて転ぶ貞子に覆いかぶさる何か。
守るように貞子を包んでいる体温がすごく気持ちいい。
──…なにを…やってるんだ……
と上から降ってくる声は、なんだかカッコいい声で…そして、聞き覚えがあった。
周りは大騒ぎで、急ブレーキをかけたトラックやらその周りの車からなるクラクションや同じ学校の生徒達の叫び声が響き渡る。
それらはかなり大きな音だったはずだが、貞子の耳には、その鱗滝先輩の声だけがしっかりと届いていた。
顔をあげると、はあぁ~とまるでイケメンアイドルのそれのようにどこか色っぽく感じるため息交じりに
──…怪我は?
と、手を取って助け起こしてくれる鱗滝先輩。
少し力の抜けた雰囲気がすごくカッコいい。
助けてくれたんだ…自分が轢かれるかもしれないのに、私を助けてくれた…
助け起こされながら、貞子は思った。
下手をすれば命がけだったのに、自分を助けてくれた相手…
それがこんなに周り中の人気者のカッコいい先輩だなんて……
まるでドラマの主人公にでもなったように、ふわふわと浮かれた気持ちになった。
…が、それは一瞬で、無言で見惚れている貞子の前で鱗滝先輩は横断歩道の前の方に立つ冨岡先輩に視線を向けると、すぐ、
──宇髄、すまん!彼女を頼むっ!
と、たまたま居た宇髄先輩に貞子を押し付けるようにして、冨岡先輩の方へと駆けていってしまった。
そのまま遠目に見ていると、鱗滝先輩がハンカチを出して冨岡先輩の涙を拭いているのがわかる。
正直…冨岡先輩がここで泣く意味がわからない。
そしてそんな泣く必要がない冨岡先輩が鱗滝先輩に優しく慰められているのも納得がいかない。
冨岡先輩が泣いたりしなければ、鱗滝先輩はそのまま自分のことを気にかけてくれていただろうに……
亜優と同じだ。
弱々しく見せて好きな男子を独占するためにはなんでもやる女子。
そう言えば城山君が亜優を守ると言っていたように、初対面の話し合いの時に鱗滝先輩も普通に冨岡先輩は自分が守るからと言っていた。
誰かに大切に守られる彼女達と守られない…それどころか虐げられる自分…。
それを直視するのは悲しすぎて、悲しいと思ってしまうと心が耐えられなさ過ぎて…
ずるい…汚い…ずるい……
と、貞子はそれを怒りに変える。
そもそもが、冨岡先輩が居なければ、長兄がからかわれて次兄が暴力を振るうこともなかったんだ…。
よくよく考えてみれば全ての元凶はあの人な気がする…。
あの人が居なければ、鱗滝先輩はあのまま自分の傍に居てくれて、なんだったら事情がわかったら守ってやらなければ…という気持ちから一緒に時を過ごすうち…ということだってあったかもしれない。
あんな校内でも人気者で影響力のあるカッコいい先輩を彼氏に出来たら…自分を陥れた亜優やひどいことを言ってきた城山君だって見返せる。
もう踏みつけにされるのはごめんだ!
辛いのも悲しいのももう嫌だ!
私だって誰かに大切にされて幸せになりたい!
貞子は血を吐くような思いで決意した。
幸せになるためにはどんなこともやって見せる。
そして自分を不幸にした全ての人間に復讐をしてやるのだ!…と。
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