宇髄先輩に呼び出されたのは、あの日の翌々日だった。
今回は宇髄先輩と村田さんだけではなく、昨日から貞子とずっと一緒に居てくれた胡蝶カナヲさんと竈門炭治郎君、鱗滝先輩も一緒で、さらになぜか隣の席の舞が居る。
皆の目が長兄の問題で避けられていた頃のように冷ややかだった。
しかし前回と違い、貞子には味方がいる。
竈門君は前回に同級生達に貞子達への嫌がらせを止めるように言ってくれたクラスの人気者で、その竈門君が貞子と一緒に居るのをよく思わない子達が色々言ってきたのだが、動じることなく、
「まだ不死川さんが何かしたとかはわからないだろう?!
少なくとも俺は錆兎先輩から、自分に関わりのないことで何かやらかした人が居たとしても、相手に改善するように注意を促すならとにかくとして、自分の日常の不満を自分で解消できずに他人を攻撃してはけ口にするようなみっともない真似はするな!と教えられて育っているから、俺に直接迷惑をかけられたわけでもない相手を攻撃するようなことはしないぞっ!」
と言ってくれたし、もっと言うなら普段は寡黙な胡蝶さんがそれに呼応するように
「…もし…相手の方が不死川さんを陥れようとしていたら、一緒になってるみんなもいじめの加害者だよ?
少なくとも錆兎先輩はいじめの加害者に対して改心させようとはするけど、全面的に守ってやれとは言わない。
だから…今、色々調べている最中だけど…たぶん冤罪…。
そうしたら黒幕はもちろん、追随した人間もみんな処分対象だね」
と、熱く語る竈門君とは逆に、冷ややかに鋭利な刃物で斬りつけるようなことを言う。
正直…味方されている貞子でも怖かった。
普段寡黙な分、口を開けば言葉が重い。
そう思ったのは貞子だけではなかったのだろう。
それまでは亜優と城山君を囲むようにして貞子を睨みつけたり、なんならクスクスと嘲笑していた面々が一気に青ざめて、現金にも今度は亜優の方に疑惑と避難の目を向けて来た。
兄の時も思ったのだが、安全圏でこうやって面白がって無責任に関わっては結局日和見る面々が一番腹がたつ。
まあ、だからと言って、彼らは”自分では糾弾されるようなことをしていない”ので、軽蔑するより他にはどうすることも出来ないのだけれど……
そうして宇髄先輩が村田さんと共に寄こしてくれた迎えの人に連れて行かれたのは前回も行った喫茶店。
貞子と村田さんが着いた時にはすでに宇髄先輩はついていたのだが、驚いたことにその横には舞がいる。
何故舞が?!と驚く貞子に席を勧めて、貞子と村田さんが席に着くと、宇髄先輩は
「俺のジジイの店でおごりだから何でも頼め」
とメニューを渡してくれた。
(…これ…値段書いてないんですけど……)
と、いくら驕りだから何でも頼めと言われてもいくらするのかわからないのに頼んで良いのかと悩んで貞子がこっそり隣の村田さんに聞くと、彼はため息をつきつつ、
(うん…。普通びびるよね…。
まあコーヒーとか紅茶とか、オレンジジュースとか?一般的な…非常識じゃないものを頼んでおけばいいんじゃないかな?)
とアドバイスしてくれる。
相手が注文しろと言っているのにここで注文をしないという選択肢は返って常識知らずと思われかねないし、言われてみればそれが正解かもしれない。
しかし村田さんは宇髄先輩ではなく鱗滝先輩の友人だ。
だから宇髄先輩の行動言動考え方などに詳しいわけでもなさそうなのに、瞬時にこの状況での恐らく最適解を叩きだせるなんて、とてつもなく空気を読めるか、そうは見えないけど実はとてつもなく頭が良い人なのかどっちかだなぁ…と感心しながら、貞子はとりあえずミルクティをお願いしておいた。
店内は相変わらずテレビドラマとかで見る高級レストランで、お茶を運んでくるウェイターさんもまるでどこぞの執事さんのようにピシッと蝶ネクタイを絞めた初老の男性である。
そんな彼が丁寧に自分の前に置いてくれたミルクティを一口。
隣の村田さんはカフェオレを頼んでいて、こちらもそれを一口飲むと、
「んで?そっちのお嬢さんはどなたさんなのかな?」
と宇髄先輩に聞いた。
正直…宇髄先輩も鱗滝先輩も物腰は優しいけれど、華がある分若干の圧を感じる人もいると思う。
でも村田さんは良くも悪くも目立たない、温かな空気みたいな人で、ボロボロに傷ついて疲弊していた貞子ですら、傍にいても何もプレッシャーも感じず、気を使わないで居られるような相手だった。
今だって舞について聞いた村田さんの声音は本当に柔らかくて、緊張する要素なんて欠片もないように感じていたけれど、宇髄先輩の横で元々青ざめた緊張したような顔で座っていた舞は、その声にビクッと身を震わせて、そしてどこか助けを求めるような顔で宇髄先輩を見上げる。
宇髄先輩は当然その後輩のSOSの視線に気づいて、ニカっと笑ってその肩をポンポンと軽く叩くと、村田さんに向き合った。
「え~っとな、榎木舞ちゃんなっ。
実は問題の横山亜優とは幼稚園が一緒だったらしい…っつ~のを、俺の彼女の一人の情報で知って連絡入れて俺がこっちの状況を話して、話を聞かせてもらいてえってことで来てもらった。
でもこの子から色々聞いたってのはとばっちりを避ける意味でもNGな?
その代わりその情報を出元を言わずに俺が信憑性があるって形で流すから。
いいな?」
と言う宇髄先輩。
まあ舞自身は貞子に特に嫌な態度を取ったこともなく、佳境の時も良くも悪くも近づかない関わらないという中立の立場で、なんなら少し同情するような表情を向けてくれることさえあったので、彼女に対してことさら思うところはない。
「はい。それはもちろん…。
私に対してしてきたことを考えると、舞にも矛先が向くかもというのはわかりますし…」
と、貞子はそれに殊勝な表情を作って頷いて見せた。
「大丈夫。うちの学校のすぐそばの同系列の幼稚園だし、舞ちゃん以外にも通ってた奴は大勢いるしな。
なんなら上下の学年合わせたら事情知ってる可能性がある奴なんて少なくはねえし、お前さんに何か被害が及ぶようなことがありゃあ、この天元様が責任を持って小等部まで何度でも足を運んでやるから、話してくれっ」
鱗滝先輩のように小等部に後輩網があるわけではないみたいだけれど、鱗滝先輩に負けず劣らず小等部にもファンが居る宇髄先輩なので、その先輩が言えば下手をすれば少なくとも女子の間では白だって黒になりかねない影響力がある。
その言葉に後押しされて少し安心したのか、舞はそれでも少しばかり不安げな表情で語り始めた。
「うちの幼稚園で、私達が年長組の時に聞いた話なんですけど…その幼稚園出身の2年上の学年の男の子が小学校に入ってノイローゼになって自殺未遂起こして結局転校しちゃったってことがあったんですね。
その男の子は正義感が強くて優しくて、幼稚園では同級生はもちろん、下級生にも大人気の子だったので、お母さん達の間でもしばらくはすごい噂になってたんです。
で、その男の子がノイローゼになった原因って言うのが、イジメられてた子をかばったら逆に自分が毎日暴力振るわれるようになってってことで、その暴力振るってた子が……」
と、舞はそこでいったん言いにくそうに口をつぐんだが、もう貞子には…というか、この場に居た全員わかってしまった。
──また実弥兄ちゃん…ってことだよね……
もうため息しか出ない。
本当にため息だ。
しかも話はそれだけじゃなかったらしい。
「亜優は幼稚園に入りたての頃、なかなか馴染めなくて辛かった時に、たまたま家が近かったその男子が一緒に行こうって迎えに来てくれて、一緒に幼稚園に通ってたからっていうのもあるし、もう一つ…亜優のお父さんもその幼稚園出身なんだけど、幼稚園時代、貞子のお父さんに暴力振るわれて、左の小指が動かなくなっちゃったんだって……
だからうちの学校に入りたい子は地域に慣れるためにその幼稚園に入ることが多いんだけど、貞子の兄弟は入れなかったんだって…」
──親子二代か……
色々に慣れて来た貞子でも、さすがにため息しか出ない。
どんな手を使っても幸せを掴み取る!そう決意したあの日以前にこれを聞いてたら、号泣して今度こそ失敗しないようにビルの屋上から飛び降りそうな勢いだ。
「…つまり…亜優のお父さんの仇みたいな相手が私の父さんで、亜優の恩人の仇が実弥兄ちゃんってことなのね……」
絶対とは言えないものの、亜優は始めから不死川の人間に復讐するために貞子に近づいたのだろう。
辛かった時のあの優しい言葉も、楽しかった時間もなにもかも、嘘だった。
大切な人の復讐のために貞子に近づいた亜優の嘘の好意だったのだ。
それだけじゃない。
あの幼稚園の出身者の同級生達は表面上出さないだけで、貞子が幼稚園ですでに傷害事件を起こした親の子どもだということを知っていたのだ…。
そう言えば兄の問題が起きる前からなんとなく距離があるように感じた子達も居るが、その子達はおそらく舞や亜優の幼稚園の出身者だったのだろう。
「…私はお母さんから本人が何かをしたわけではない場合は差別をするのはダメって言われて育っているから、知識としては知っていたけど、貞ちゃんに対して特に他の子と違う態度は取ってないつもり。
でも亜優は自分のお父さんと親しい先輩っていう、すごく身近な人達だったし、違ったのかも……」
亜優に対する気持ちなんてもう欠片も残っていないはずだったのに、おそらく真実なのであろう、亜優には元々貞子に対する友情なんてなかった、大切な人の復讐のために自分と友達のふりをしていたのだという事実を知って、自然と目から涙が零れ落ちた。
世の中には運が良い人と悪い人がいる。
そして自分はとてつもなく運が悪い人間なのだろう。
それは事実だ。
だけど…それを認めるのと受け入れることができるのは別だ。
運が悪く生まれたなら、自分でその運命を覆して、自分の手で幸せを勝ち取るしかない!
とりあえずまずは鱗滝先輩の彼女になるための障害を排除すべし!
でも冨岡先輩を避けて鱗滝先輩に言い寄ればどうなるかは、城山君の一件で思い知っている。
上手に好意を持っているふりをして、無防備になったところで他の人どころか本人にさえわからないように攻撃を仕掛けるべし!
非常に不本意だが、貞子が幸せを掴むための道しるべは、貞子を不幸にしたかった亜優が示してくれたのだった。
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