幻の国に使いを送ったところで、もう打てる手は打ったことになる。
今までの経験上、返答が来るまで1週間から10日ほど。
協力を依頼したからには、それまでは動くわけにはいかない。
まあどちらにしても焦っても仕方ない。
幻王の返答を待つしかないし、その前に嵐の国が仕掛けて来たなら、最悪自衛のために戦うことになったとしても、それは問題のない範囲だろう。
とにかく色々が突然で、巻き込まれのために予定が狂ってしまった。
良い方向にも悪い方向にも……
とりあえず森の国の王子は当分…いや、もしかしたらずっとかもしれないが、水の国のお預かりになって滞在することになるかもしれないので、色々を現状に合わせて立て直さねばならない。
まずは部屋…。
色々難しい立場なので、健やかに過ごせる環境に身を置かせるためには森の国の王子自身の協力も必要になってくるし、少しでも自分に慣れて気を許してもらいたい。
だからまずは物理的な距離を考えなければならない。
ということで部屋の位置だ。
一応他国から送られてきた王子などを通すための部屋は城の西側にまとめて用意されている。
東にある王の私室とは一番遠いので、この距離をなんとかしなければ…
そんな事を考えながら踏み入れる西の宮。
カツカツと大理石の床に足音を響かせながら、錆兎はその中央あたりの部屋の前まで来ると、軽くノックをして部屋に入った。
まず入るとダイニングを兼ねたリビング。
その中央部にあるテーブルには時間がたって冷めてしまったらしい昼食が手つかずで置いてある。
(…口に…合わなかったのか…?)
ここまで一緒に来た道中を見る限りでは、特にひどく食事に煩いようには見えなかった。
メニューも特に変わったものではないし、そうすると、もしかして道中で疲れて眠ってしまっていて食事に気づいていないのかもしれない…。
錆兎はそう思って今度は寝室へと足を向けた。
もう日が落ちかけた薄暗い部屋…
「義勇…?」
と、声をかけながら、天蓋に覆われた寝台を覗き込むが、そこには確かに横たわったような跡はあるものの、誰も居ない。
シーツに触れてみても、もう体温は感じられないため、随分前に出たのだろう。
そうすると…?
ちらりとその奥、バルコニーに続くガラス戸に視線を向ける。
夕日は差し込んでいるが、それは日中の日差しと違って熱はない。
むしろ寒々しい風が木々を揺らしている。
日中なら庭に出てみるのも悪くはないかもしれないが、一応駆け寄って開けはなった窓の向こうは、錆兎ですら身ぶるいするほどの寒さだった。
(…まさか……でも?)
こんな寒さの中で庭の散歩をするとは思えない。
しかし室内にいないとなると、あとは庭以外にはありえない…。
悩む脳内とは裏腹に、頭より身体が先に動く。
錆兎は開けたガラス戸の合間からバルコニーへと足を踏み出した。
とたんに冬の冷たい風の匂い。
まだ初冬とはいっても、北に位置するこの国は日が落ち始めるとかなり寒い。
――この冬の寒さのために我が国は強いのだ…
錆兎がまだ幼い頃…城内の塔の上から雪に埋もれた景色を見下ろして、祖父である左近次がそんな風に教えてくれた。
雪に閉ざされる季節のある国だからこそ、暖かく豊かな春を求めてあがくのだと…。
だから過酷な環境の国ほど強いのだと、息が白くなるような中でわざわざ幼い錆兎に一緒に寒さを体験させながら、そんな話をしたのだった。
そうだ…ないから求める。
求めるからあがく。
あがくから強くなる。
普通に1年中温暖な国なら何も考えずに済むところを、何もしなければ凍死する時期のある国では知恵を振り絞って寒さを乗り越え冬を越す。
そうして人は強く賢くなるのだと……
そんな昔の事をふと思い出して、錆兎は小さく息をついた。
本当に幼い頃には確かに嫌いだった冬の寒さを少しだけ好きにしてくれた祖父はもういない。
亡くなるにはまだ随分と早いと思われる年齢で、急に得た病で逝ってしまった。
その祖父から託されたこの国を維持するため、これまで必死にあがいてきた。
いつの日か…己の子か、あるいはそれを託せるほどに信頼できる血縁その他に託せるようになるまで、自分はこうして足掻き続けるのだろう…。
そんな事を思い出しながら視線は中庭の先の方へ…。
だが、ふと感じる小さな気配は、存外に近いところからだった。
まるで手負いの小動物が外敵から身を守るために気配を消そうとしているかのように少年はそこにいた。
気配に敏い錆兎でなければ見過ごしてしまいそうなくらい一生懸命大きな木の影に小さく小さく身を縮めて。
「おいっ!!お前は何をしているんだっ!!!」
錆兎は慌てて駆け寄ると、反射的に脱いだ上着で義勇の小さな身体を包んで抱き上げた。
「誰かっ!!医者を呼べっ!!!」
慌てて室内に戻ると、ガラスの呼び鈴を割れそうな勢いで振りながら声をあげる。
その間も腕の中の小さな子どもはひゅうひゅうと気管支の炎症を起こしているような苦しげな呼吸を繰り返していた。
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